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双望の継承者 〔 ゼンの冒険 第一部 〕  作者: 三叉霧流
第三章 復興の火と故郷の歌
75/218

幕間 鉄王剣ザギルド

三話連続投稿のラストです

深々と雪がトランザニア王国に降る頃、


一人の男がその場所を感慨深げに見つめていた。

獅子のような金の短髪に厳めしい顔つき、腕を組み立っている姿は勇壮の巨像を思わせる。チェニックのような厚手の長袖に革のベストを着込み、生地の品質からして上流階級であることを示しているが平服にもかかわらず戦いに出る戦士のような印象を受ける。

その瞳は今、燃え立つ強い意志に哀愁を滲ませていた。


グレイガノフ・トランザンク、トランザニアの王位継承第二位を持つその男は存在だけで圧倒的な威圧感を放っているが。だがどこか寂しさを背負っているようにも見えた。


彼が見つめるのは王座であった。

焼き入れされた鉄でできた謁見の間、トランザニアが誇る武具の数々、その場に立つだけで戦いの音が生々しく聞こえてきそうだ。

その場にある王座はさらに異様であった。

それは巨大な剣を背もたれにしている王座。2メートルはあろうかという大剣が謁見の間の床から刀身を伸ばして、その刀身を背もたれにして王座が設置されている。


鉄王剣ザギルド。この国を守る宝剣、初代トランザニア国王がその神の力を使い振るったと言われている。

伝説の剣は常に王座に座るものに問いかける。


お主は王となるのに命をかけるのか?と。


グレイガノフはその声を小さな頃より感じていた。

父が座っている姿を見る度に父がその王座に斬り殺されるのではないかと恐怖していた。

だが、今は違う。成長し、一人の国を思う兵士として、男として、そして王族としてその王座に敬意を払っている。例え、そこに自分が座らずとも彼はそこに座る者を尊敬するだろうと思っていた。


彼の心中は決まっていた。

この国を出て、世界に行くと。

単身でもいい、ただ世界を駆け巡ると。

この場に立つのは、その別離の決心がそうさせたのだ。

それ故に彼はその王座を愛おしく思う。

国王であった父が座る姿を見て、その王座に座る自分を夢見て、そしてその王座を後にする自分自身を見ている。


その王座は彼にとって国そのものだった。

そこに座れば国を背負う、それを仰ぎ見れば国に仕える。

だが、彼はそのどちらも選ばなかった。

その王座から遠く離れ、自分に従う者達だけで世界に行くことを選んだ。

それが彼の決意。


グレイガノフがその王座をいつまでも見ていると、謁見の間にある人物が入ってきた。

謁見の間には人払いがしてある。

グレイガノフは決意のために謁見の間にいる。尊い祈りにも似た時間を邪魔されたくないがためにそうしていた。

だが、その人物はその人払いをとがめられずに入ってこれるだけの人物であった。


その人物はマルバス・トランザンク。

王位継承権第一位、グレイガノフよりも細身だが十分に引き締まった戦士の体つきをしている。僅かに伸ばした金髪、彫りの深い顔。グレイガノフとよく似た顔つきだがその顔は武人よりも研究者のような印象がある。服装はグレイガノフとよく似て、王子であることを気にせずに動きやすさを重視している。彼は二本の剣を携えて入ってきた。


「考え事か?グレイガノフ」

マルバスは軽い口調でたずねた。だが、その顔つきは強い意志を孕んでいる。

グレイガノフはマルバスが持つ剣をチラリと見て、彼に目を向ける。

「はい、兄上。昔を少し思い出しておりました」

グレイガノフが視線を王座に戻し、言葉を言う。その言葉にマルバスは同じように王座を見た。

「そうか。よく二人で話していたな。どちらがこの剣を抜けるか、とな」

「はい。覚えております。二人で忍び込んで剣を抜こうとしました」

「そうだった。お前は強く握りすぎて血を流して、騒ぎになったことがあった」

二人は懐かしそうにその王座の剣を見つめる。

しばしの沈黙がおり、マルバスが重々しく口を開く。

「お前は戦をするのか?」

「はい」

その問いかけに間髪を入れずにグレイガノフがマルバスを見つめて答えた。

その瞳は燃えさかっている。その瞳はまるで燃えたぎる炉。意志が炎をとなって黒い瞳を溶かす。

「それはならん。民を戦に巻き込むよりも外交によって平和的に問題を解決しなければならない」

その熱を受けるマルバスもグレイガノフを見つめて言った。強い鉄のごとき意志が瞳に宿る。

「その話は十分にしたでしょう。我らは決して意見が合うことはありません。兄上も知っているはずです。この国で何が起こっているか?農村では口減らしが年々増えています。その打開のためには戦が必要です。領土が必要です」

「知っている。しかし、私は私が信じる道を行く。お前を許すことはできない」

その言葉にさらに沈黙が下りた。


これまでに互いにその話し合いは何度もした。腹を割って話しても二人の意見があうことはなかった。

トランザニアは国土の多くを山や川に奪われ、東部では砂漠に近いために作物が育ちにくい。アラフェト山脈付近は教会が聖域として開墾もままならない現状では食料生産が限定される。他国に頼ろうとも輸送費や関税もあって食料が十分に確保しにくい。

マルバスはそれを他国との融和によって解決しようとしていた。鉄の輸出量を上げて、貿易による共同体を作り、食料を十分に確保しようと。だが、そのためには途方もない金がかかる。今でも国民には厳しい重税と労働がかかかっている。そして、もう一つの問題として居住地が少ないのだ。人が住める場所も少ないトランザニアでは食料があっても人口増加で人の住める土地が足りなくなるのも見えていた。

一方、グレイガノフは戦によって領土を広げることを主張していた。その主張は好戦的なトランザニア国民に受け入れられて王宮内でもグレイガノフ派が着実に増えている。


グレイガノフは沈黙を切り捨てて、先ほど決心したことを言葉にのせる。

「許されなくとも私は戦のために出て行きます。兄上は私がこの国を出た後で王となってください」

その言葉にマルバスは苛立った。

「この国の軍のほとんどを引き連れてか?軍を持たぬ王になれというのか?」

マルバスは憎々しげに言った。


すでにこの時、グレイガノフはトランザニア軍の兵のほぼすべてを心酔させている。彼のためなら国を捨てて彼と共にあろうとする者達だ。グレイガノフが戦のために国を出るとなれば彼らは無言で付き従うだろう。


「我が誇る騎士達です。そして、例え軍がなくとも兄上なら王としてこの国を守ると信じております」

グレイガノフは微塵の揺らぎも見せずにそう言い切った。


トランザニアの近くにあるアースクラウン神国とミッドバル国は領土拡大に興味がない国だ。トローレスも貿易のみを考えている。軍がなくなった後で攻め込んで来ると考えられるのは確執のあるルーン王国一国のみ。グレイガノフはそのルーン王国に攻め込むつもりだ。最低限の防衛軍を残せば問題ないと確信していた。


マルバスはグレイガノフを憤怒の激情をもって睨み、声を荒らげる。

「弟よ。私は王位を、そこの王座を弟の慈悲によって与えられるなどと反吐が出る!虚仮にするな!」

マルバスの言葉にグレイガノフは驚きを見せた。

グレイガノフは兄マルバスを尊敬していた。自分よりも気高さと誇りを持ち、民の模範で正しくあろうと努力する彼の姿を尊敬していたのだ。グレイガノフは兄なら立派な王となり、トランザニアを豊かにすると信じるが故にその王座を彼に渡そうと思っていた。

彼は慈悲などというもので王座を渡すことなど考えていなかった。それ故にマルバスの言葉は彼を驚かせる。

「兄上!私は慈悲などとは考えておりません!私はただ、この国を豊かにできるのが兄上だけだと思っているからです!」

悲痛な叫びが小さく鉄の間を振るわせる。

その震えをさらに震撼させてマルバスが叫ぶ。

「もうよい!もうどのような言葉もいらぬ!王宮での王位継承争いなどもいらぬ!トランザニアの王ならば、我らの流儀で王を決める。それは剣と血の神聖な戦いだ。勝負をしろ!グレイガノフ・トランザンク!!」

その声はマルバスの激情の炎で謁見の間を燃え尽くさんばかりに響き渡った。

その言葉にグレイガノフは人生でもっとも驚愕した。


マルバスは祝福を授かっているがそれは武神ではない。その神は“秤を掲げる法神テラーダルス”。思考強化、人物審美などの知識神だ。戦いに向かない権能しか持っていない。

その勝敗は火を見るよりも明らかである。

その宣言はグレイガノフが本気になればマルバス自身の死と等しいものになる。


グレイガノフにはマルバスの真意が見えなかった。勝負の場所にマルバスの味方の兵士が百人いようともグレイガノフが負ける確率は万分の一でしかない。冷静な判断をするマルバスがそのようなことを言うはずもなかった。

グレイガノフは自らの混乱を収めようと必死に冷静になろうとする。それはいつも王宮で見られる光景と立場が変わっていた。いつもならグレイガノフが無茶なことを言って周りを困らせて、それをマルバスが諫める。今はグレイガノフが兄の言葉を取り下げようと口を開いた。

「兄上。落ち着いてください。そのようなことまでして王などいりません」

グレイガノフは努めて声を低くしてゆっくりと話した。


だが、マルバスは止まらなかった。

左手に持っていた剣の一本を引き抜くと、その剣で自分の左腕を切り、刀身を血で濡らす。そしてその血に濡れた剣を閃かせて、その血をグレイガノフの顔にかけた。

その一部始終をグレイガノフは顔に数滴の血を浴びながら茫然と眺めていた。その行為が信じられないという顔で。


その行為はトランザニアでは決闘の申し込みの儀式。自らの血を剣によって相手にかける。魂を武器に込めて相手に贈るということはこの国での最上級の挑戦状であり、その神聖な決闘を止めることは誰にもできない。それでも決闘をしないと言うことは敗北ととられて、相手の言い分を飲まなければならない。例えそれが命であろうとも。


「これでもしないというか?グレイガノフ・トランザンク。決闘に敗北した後はこの国で死ぬまで私の臣下として生きろ」

「・・・兄上・・・そこまで・・・わかりました。受けます。決闘場所は?」

「王座をかけるのだ。今この場所以外で相応しい場所があるか?場所はここだ」

マルバスは抜いた剣を鞘に戻し、もう一つの剣を投げてグレイガノフに渡した。

両者は剣を持って対峙する。


グレイガノフはその剣に恐怖を感じる。

彼はまだ人を殺めたことがなかった。父が健在の時にはどれだけ懇願しようとも戦にでるのを禁じられて、王都で忸怩たる思いをした。戦場に立ち、敵ならば誇りを持ってその命を摘み取れる。しかし、今は尊敬し愛する兄を手にかけようとしている。彼は迷っている。その迷いはいくら考えても答えのないものだ。この状況ではどちらか一方が敗北を認めるか、死ぬしかない。マルバスは決して敗北を認めないだろう。


「迷うか?グレイガノフ・トランザンク。お前が持つ野心。それを俺に示してみせよ!その剣で示してみせよ!」

マルバスは剣を再び抜き放ち、グレイガノフの方に向けて構える。

もはやどのようなことをしても兄を止められないとグレイガノフは気づいた。その構えを見るだけで兄がどこまで本気かが伝わってくる。抵抗しなければたやすくグレイガノフの首を切るだろう。それだけの殺気がその構えから放たれていた。


その構えを見て、グレイガノフはあらゆる感情を切り捨てた。

兄と過ごした日々も、共に笑い合った思い出も、激しく喧嘩をした夜も。その過去すべてを彼は深い心の奥底にしまい込み、武人として、トランザニアの男として剣を抜いた。


彼らにはもうどのような言葉も必要なかった。

決闘の場で真剣を構えるということは二人にとって神聖なものだった。これより先は剣と血、それだけが語る。


先に動いたのはマルバスであった。

鍛え込まれ、練磨されたその動きはあっという間にグレイガノフに肉迫し、袈裟切りに斬りかかる。空気を切り裂く轟音が謁見の間を震わせて、紫電のごとき剣筋が閃いた。


甲高い剣戟の音。


そのマルバスの剣をグレイガノフはたやすく止めた。その剣が動いた音も、剣筋もマルバスの瞳は捕らえきれなかった。凄まじいまでの衝撃が手の骨を軋らせて、脳髄まで響く。マルバスは歯を噛みしめて、その痛みに耐えて剣が抜けぬように握り込んだ。


そのままマルバスは体重を込めて、鍔迫り合いから相手を押し込もうとするが、グレイガノフは微動だにしない。その顔からは何の表情も読み取れない。ただ鋼鉄の巨大な塊のごとき存在で、マルバスの剣を受け止めていた。


マルバスは小さく笑う。


マルバスは鍔迫り合いが無駄だとして、少し間合いを開けて今度は突きを放つ。しかしそれもグレイガノフは一閃で軌道をそらせる。そして、弾かれて体が大きく空いたところにグレイガノフは切りつけた。それは美しい一閃であった。ヒュゥと風が小さく鳴く音の後にマルバスの左肩から右脇腹までが切られて一筋の線を繋ぎ、次の瞬間に血しぶきが飛ぶ。

マルバスは剣を落としてそのまま床に倒れ込んだ。


グレイガノフはマルバスの血で染まり行く床の上に膝をついて彼を腕に抱き寄せた。

「兄上、私の勝ちです」

グレイガノフに涙などない。神聖な決闘で戦ったのだ。勝者、敗者共に名誉を守り、誇りに準じたトランザニアの男だ。死する敗者であっても悲しみよりもその信念を讃える。それがトランザニアの男であり、王族である。


「・・・ああ、私の負けだ。強いな、弟よ。勝者はあの王座につく」

痛みで呼吸を乱しながら、それでも気丈にマルバスは言葉をいって、王座を指さした。腕が重いのかその動きは非常に緩慢だ。

グレイガノフは王座をチラリと見ると、あえぐ兄を見て答える。

「私は王座などいらなかった」

「ふん、甘えるな。お前はこの国を背負え・・・背負ってどこまでも好きなところに行くが良い・・・。そのためには・・・帰ってくる場所がいるであろう」

その瞬間にグレイガノフはマルバスの真意を理解した。


マルバスはグレイガノフが国を捨てるのを良しとしなかった。

弟を思う兄が、命をかけて弟を引き留めたのだ。

グレイガノフの決意を変えるには命をもって意志を通さなければならない。それを兄は誰よりも理解していた。


そして、テラーダルス神の祝福を授かった先を見通す彼だからこそ、どのような政策であろうとトランザニアの国難を乗り越えるためには民の団結が必要だとわかっていた。王位継承権争いで、どちらかが勝利を得たとしても、残った一方の勢力には不満が残る。その不満を取り払い、完全な団結を築くための方法として決闘しかないとマルバスは思ったのだ。

「兄上!貴方はどこまでっ・・・!」

グレイガノフは次の言葉がでなかった。ただ涙を流さないためにその言葉を言うことができなかった。


命をかけて、兄として、王族として生きたマルバスをグレイガノフは敬愛し、誰よりも崇高な王だと感じ、今この時ばかりは彼の臣下となった。


マルバスは口から血を吐くことにも躊躇わず消えゆく命を、その言葉を告げる。

「・・・我が誇りである弟よ。この国を・・・頼む・・・民達を導いてやってくれ・・・」

「ご安心ください兄上・・・いえ、我が王よ。この国を、王が愛したトランザニアを世界一の国にして見せます。ごゆるりとお休みください」

グレイガノフは穏やかに笑って兄マルバスに語る。


「ああ、それなら・・・もう大丈夫だ・・・」

マルバスもグレイガノフに穏やかに笑いかけて、その息をひきとった。

グレイガノフは無言で兄マルバスの亡骸を腕で抱き上げると、王座、その鉄王剣ザギルドに向き合う。


そして咆吼した。

「ぐおおおおおおおお!!我はマルバス王の弟、第六代トランザニア国王、グレイガノフ・トランザンク!我は鉄王剣ザギルドに誓おう!我が国を世界一の国にし!悠久の繁栄を!民達の永久なる栄光を!」

兄の亡骸を両手にかかげて、血に濡れたグレイガノフ。その顔は獅子のそれであった。

その咆吼に答えた。


―――汝、グレイガノフ・トランザンクよ。命をかけてこの国の守護者となることを誓うか?


「ああ!誓おう!我が命と我が神、獅子王ジルグハルドの名にかけて!我の全てを賭けて!」


―――ならば、我が身を其方に預けよう。我が名は鉄王剣ザギルド。この地の民の団結とその命を其方に委ねようぞ。さあ、抜くが良い。我が身を


グレイガノフは兄と共に壇上に上がると、兄の亡骸を王座に座らせて、王座の剣を強く握り込んだ。

不思議とその手からは血が流れない。

そのまま渾身の力を込めて剣を引き抜いた。

鉄王剣は二百年以上の間、誰にも抜けなかった剣である。

その剣がメキメキと音を立てて、謁見の間を揺るがせて引き抜かれる。

そして、その剣の柄が床から出るとそれを握り込む。


その王の剣は呆気ないほど軽かった。2mもの大剣が羽毛のように軽く、グレイガノフの手に吸い付くように握りやすい。グレイガノフはまるでその剣が自分の一部であると感じた。その身が王であることを彼は実感した。


グレイガノフは剣を右手に、左手で兄の亡骸を抱きかかえて、決然とした表情で謁見の間から外に出て行く。

彼が巨大な謁見の間の鉄の扉を開けようとすると、その扉は自動的に開かれた。


その先にはあらゆる騎士が、文官が、王宮の人間すべてが待っていた。

ただ伏して、グレイガノフを待っていた。

彼らは知っている。今この時に現れたのが誰であるかを。

マルバスやグレイガノフのどちらからではなく、そこに立つのが自分たちが仰ぐ王であることを知っている。


それを睥睨しながらグレイガノフが口を開いた。

「我は兄マルバスを討ち取った。今この時より、第六代トランザニア王国国王、グレイガノフ・トランザンクがこの国を統治する。者ども、我に従え!この剣に従え!そして、この国を世界一の国にしようぞ!」


「「「「我らが王よ!御心のままに!我らの血と鉄は陛下と共に!!」」」

王宮すべてを揺るがすほどの熱狂が地鳴りのように王宮に響き渡った。


深々と雪が積もるトランザニアでアースクラウン歴10025年 使徒ノヴァの月 トランザニア王国国王グレイガノフ・トランザンクがその王座に即位した瞬間である。



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