収穫祭② 左手の手袋
なんだかアンの元気がないように思う。
最初は普通に教えていたけど途中からうつむくことが多くなった。眠たいのかなと思ったけど、ちゃんとこちらの質問には直ぐに答えるのでそうではないみたいだ。
少し心配になる。何か俺が変なことでも言ってしまったのかな?
そう思って聞いてみたけど、何もありませんと答えるだけで黙ってしまう。
最近は手伝ってくれていたみたいだし、今日もミサで早かったから疲れているのかも知れない。
ちょっと気にかけてい置いた方がいいかもしれない。
アンとの時間はあっという間に過ぎて、ルクラが戻ってきて俺を呼び出した。
俺を先頭にルクラとアンと一緒に外に出る。
村の中心は縁日のような賑わいをみせていた。
避難民達がする串焼きやオートミール、クレープの売店、商人達が荷台を一杯にして作る店、コザにはたくさんの村人達が座りその前には色々な物が置いてある。
村のエールハウスから出店している売店はとても大きくて、たくさんの酒樽を積み上げ、女達が自分の作ったエールの出来を嬉しそうに話し合う。気の早い者達は既に石や木の椅子を持ち出してそのお酒の売店の周りでおつまみを並べて朗らかに笑う。子供達とその母親たちはフリーマーケットの物色をしながら今日買う物を相談している。楽器を持った一団が演奏の準備をしていた。
雑然としているが、誰もが喜んで、楽しそうな顔をしていた。
皆は俺がルクラ邸から出ると嬉しそうに顔を向けた。
ああ、なんて楽しいんだ。
彼らが喜んでくれている。
あの襲撃で受けた傷はまだ癒えていない。だけど、この笑顔を見たらそんなことをは直ぐに乗り越えられそうだ。
俺は一人一人に感謝したくなった。
手伝ってくれた人、楽しんでくれている人、一緒に考えてくれた人。
今日という日を迎えることができたのは皆のお陰だ。
リーンフェルト領というのは領主がいるからリーンフェルト領なんじゃない。
そこに住んで、生きている人達がいるからリーンフェルト領なんだ。
皆で守っているからこそリーンフェルト領だと言える。その名前を背負う俺たちは、守り通してこそ胸を張ってそう名乗れる。
俺は歩いているこの地を胸に抱きながらゆっくりと皆と言葉を交わす。
彼らは俺が歩くと黙ってこちらを見る。
俺はその瞳をできる限り、見て村の中心に用意してくれた台の上に立つ。
その台の近くには母上が飛びっ切りのオシャレをして立っている、エンリエッタが静かにこちらを見ている、トルエスさんが早くもお酒の入ったコップを持っている、ルクラが先回りして台の横に立っている、ゼルの奥さんハーバルさんが静かに微笑んでいる―――。俺と一緒にいてくれる人達が側にいてくれる。
俺は台の上に上って、その光景を見渡した。
そして、口を開く。皆に聞こえるように大きな声で。
「辛いことがあった。失ったものがあった。でも今日という日を迎えることが出来た。それは皆のお陰だ!涙を堪えてこの領地のために働いてくれた皆がいたお陰だ!俺は本当に誇りに思う。リーンフェルト領は、リーンフェルト家の領地じゃない。皆がいてくれるからリーンフェルト領なんだ!俺たちリーンフェルト家ができるのは食べて、飲んで、楽しんで貰って明日への活力をつけて貰うことだけだ!だから!今日は思う存分楽しんでほしい!代理領主ゼン・リーンフェルトにおいてここに宣言する!収穫祭を開催すると!」
俺はそう叫びながら左手の白い手袋を外して、精一杯背伸びしながら天高く掲げた。
どこまでも高い空にと届けという思いで。
その瞬間、歓声とともに一斉にたくさんの手袋が空を舞う。
陽気な曲が始まる。
そこら中で乾杯の声が響いている。
俺は横にいたルクラに手袋を渡す。
この手袋は、収穫祭の象徴みたいなものだ。
左手の手袋は『約束のしるし』で、自由な市と楽しい祭りを約束するという意味が込められている。この世界では約束とは非常に重い。禅の世界では約束して遠く離れても通信の手段があるし、追跡も容易だ。だけど通信も人を追うことも難しいこの世界では約束は人に依存する。約束がきちんと守られるのはその人が何よりも高貴だという証。
その証を俺は見せた。
ルクラはその手袋を持って、自分の家の玄関の上に貼り付ける。領主の代理から収穫祭の約束を村長であるルクラに渡したのだ。
これで祭りの儀式は終了したことになる。
「ゼン、良かったわよ」
母上が俺の側に来て楽しそうに笑って言った。
「ありがとうございます。母上、お腹がすきました。何か食べましょう」
「ええ、いいわよ。ほらアンちゃんも一緒に行きましょう」
母上は近くにいたアンに声をかけた。アンは小さく頷いて母上の側に寄る。
「奥様、私が並びますのでお話していてください」
「いいわよ。皆で並びましょう。こういうのはそうした方が面白いのよ、エンリちゃん」
母上はエンリエッタにそう言いながら俺とアンの手を引っ張ってグイグイと人の波を切って進んでいく。
俺たちは収穫祭を楽しむために売店の方へと向かう。
夕方になるまで本当に楽しい時間だった。
母上達と売店で買い食いをして、フリーマーケットや商人達が売っている服や雑貨品を皆でワイワイと物色する。
エンリエッタは何時もの表情で俺たちに着いてきたが、商人が売っている服を真剣に見ていた。明らかに男の子の服だったので俺用なのだろう。もう十分に服はあるのでいらないんだけど。
アンは服よりも本に興味があるのか、フリーマーケットで売っている本を読んでいた。プレゼントしてもいいんだけど気を使わせるから一緒に見ているぐらいしかしていない。
母上達と並んで歩いているといろんな人が声をかけてくる。酔っ払っている男の人たちは母上を見ると、一気に酔いが覚めるのか皆恥ずかしそうに下を見ていたりする。
ドルット神父も母上の元に来て、神父自慢の香草酒や蜂蜜酒を勧めて朗らかに喋っていた。
ゆっくりと歩いて、色々な人達と話しながら楽しい時間が過ぎてゆく。
そうしている内に村の西からトスカ村で働いていた者達が帰ってきた。
その集団の先頭にはジャン中隊長とその兵達が数人護衛で来ている。
俺は母上とエンリエッタを連れて、彼の元にいった。
「ジャン中隊長殿。任務ご苦労様です」
俺は祭りをきょろきょろと見ていたジャン中隊長に声をかけた。
彼は俺に気づくと不機嫌そうな顔をして言う。
「おいくそガキ。こんな楽しそうなことになんで俺の部隊を呼んじゃいけねぇんだよ?」
顔を顰めて彼は聞いてくる。
俺はジャン中隊長を収穫祭に招待した。トスカ村に働く人達の護衛ということもあるが、彼とは交流を持ちたかったのだ。
この人に興味があるんだ。
「調査の任務が優先でしょう?そうだ。母上を紹介します」
俺が母上の方を見ると、母上は俺の後ろから一歩前に出てジャン中隊長に礼をして言う。
「ゼンの母、アイリ・リーンフェルトです。ジャン中隊長様、この度はお世話になっております」
綺麗な仕草で礼をして太陽のような笑みで母上は彼に挨拶をした。
その母上を見て、彼はキョトンと一瞬茫然として、その後で俺の首に腕を回して、母上に背を向ける。
「おい、くそガキ。あれがお前のお袋か?くそっ!とんでもないべっぴんじゃねぇか」
俺の耳もとでジャン中隊長はそう声を小さくして言った。
「母上は綺麗ですよ。俺もあんな美人は二人ぐらいしかしりません」
「ちょっと待て、お前あんなべっぴんを二人も知ってるのかよ。教えろ」
俺は一瞬言うのを迷うが、彼に答える。
「リア・アフロ―ディアです。アフロ―ディア一座の座長です」
俺が答えた瞬間、彼は俺に回していた腕を離して、鬼気迫る表情で俺の顔を万力のような力でわしづかみにする。
「紹介しろ。というか、知り合いなのかよ!」
「痛い!痛いですって!」
「うるさい、殺すぞ。いいか、紹介しなかったら切り刻むからな。その代わりここを俺たちが守ってやる。お前に死なれると紹介されないからな」
俺が必死になって、ジャン中隊長の腕を叩くが全く効かない。
権能でも使っているのか、頭の骨が割れそうだ。
本気で痛い。
俺はつい叫びそうになるのを我慢しながら口を開く。
「わかりました!わかりましたから!」
俺がそう答えるとジャン中隊長の手から力が抜ける。
やっと一息つけた。
「よし。男の約束だからな。破ったら地の果てでも追いかけて殺す」
ジャン中隊長は俺を睨み付けながら言った。
だが、俺には彼がリアさんをどうにかできると思わない。
紹介したところで一蹴されるだけだろう。それぐらいあの人は強い人だ。
戦闘力というよりも生命力が半端ないのだ。
俺は咳き込みながら彼に言っていた。
「紹介したところで無駄だと思うんですが・・・」
「ハッ!ガキが分かったようなことを言うんじゃねぇよ。指でもくわえて見てろ」
「はあ・・・。まあなんでもいいんですけどね。そうだ。紹介する代わりに稽古してください」
「は?なんで俺がお前に稽古しなきゃいけねぇんだよ?」
「紹介する代わりです。領地を守るのはジャン中隊長の任務ですから対価にはなりません」
「糞ガキ・・・。本気でムカつく奴だなお前」
「ゼン、お話しているところ悪いんだけど私に中隊長様を紹介してくれないかしら?」
俺とジャン中隊長はその母上の声で振り返る。
そこにはちょっと怒っているような顔つきの母上がいた。
「すみません!えっと、こちらがジャン中隊長で―――」
俺は慌てて母上にジャン中隊長のことを紹介する。
俺が紹介している間に教会の鐘の音が響く。
それは午後四時、宴の始まりを告げる音だった。
俺はジャン中隊長たちにお酒を配る場所を教えて、母上達と一緒に祭りの開催場所に戻る。
今、宴の準備をしているところだろう。
早く戻って準備の指揮をしないと。
ここからがリーンフェルト家の本番だ。
気合いを入れて楽しくしよう。
日が傾き、人々の笑い声が木霊する中、俺は宴のために歩き出した。




