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双望の継承者 〔 ゼンの冒険 第一部 〕  作者: 三叉霧流
第三章 復興の火と故郷の歌
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幕間 地底湖の巨人

ゼンがエンリエッタと相談をしていた頃。


深海のように暗く、冷たい地底湖。

巨大な空間に、岩々が地面から突き出て重力に逆らい、数万年以上もの時をかけた鍾乳石の群れ。岩の表面は濡れて、今も尚滴がしたたり落ちて岩肌に弾ける。その場所はドームのような形状で、人の腰ほどの位置までの壁は大理石で覆われ、その壁には窪みがあり、像のようなものが数十体以上安置されていた。

直径数百メートルはあるそのドームの真ん中にその地底湖が存在していた。その湖面は仄かに青く光っている。まるでその地底湖の底に光る物体を沈めたように。


湖面には淡い青色に身を浴した人物が浮いていた。


その身体には身を隠すようなものは一切纏わずに裸体で冷たい水に浮かぶ。これまで一度も日に当たったことがないような白くて無垢で滑らかな肌、彫像のように整った中性的な顔立ち。手足は子供のように小さいが、その髪だけは枯れた老人のような白髪である。

病的にまで美しいその身体は目蓋を深く閉じ、地底湖の天を仰いでいる。

事細かに注目すれば形の良い唇は寒さのために青く、美しい身体を鳥肌が覆い、凍死する死人にも見える。

神々しさと死が介在した美しい少年の裸体像。

それは相反するテーマを生涯かけて追い求めた彫刻家に衝撃をあたえる光景である。


湖面はさざ波を立てるのを嫌うように静かに波打つ。

その姿だけで自然を従えて、彼の鼓動だけがこの空間に君臨している。

岩も湖も彼の従者として、彼が目を開くのを静かに待っていた。


「光よ」

そんな厳粛な静けさを打ち破るように一人の年老いた男が声を上げた。

その声と共にドーム内部にある大理石の燭台に火が灯る。炎は一つの燭台に光を灯すと、追いかけるようにぐるりとドームの燭台に火が灯されてゆく。

その無粋な男の白い司教服は人々の祈りと金で装飾された豪奢な物である。その服装だけで彼がどのような高位の聖職者であるかは一目瞭然であった。

男は火が点ったことを確認すると無言で歩みを美しい少年が浮かぶ地底湖に進める。

その足取りは年齢を重ね、その地位を示すように落ち着き払い、粛々と進んだ。

コツコツという彼の靴がそのドームの中で唯一整備された石畳を叩き、甲高く響き渡っている。

男は長い時間をかけてゆっくりと地底湖に歩いて行くと、その地底湖の縁にある二本の燭台が設置された一段高くなった広い台座の前に立ち、少年の美しさに心を打たれて、聖印を切ると跪いた。


「主よ。お体の具合はいかがでしょうか?」

男は跪き、一瞬の沈黙の後で祈るように声を上げて少年にたずねる。


パシャ―――


その男の声で少年は目をパチリと開けて、湖面から手を上げて自分の顔に触れた。その手が湖面の上に波紋を滑らせて、音を出した。

少年は黙ったまま自分の顔を確認するように触れた後で、バシャと音を立てて、水面に潜り込んだ。


男は顔を上げない。ただ地面を見つめたまま待っていた。

彼にとってそれは全てであった。自分が生きている間に拝める最大の奇跡であり、自分の生涯そのものだ。それ故に男はその存在を感じ、緊張していた。声をかけただけで魂が硬直し、動けない。その眠りを妨げるのが大罪だと身を震わせて恐れていた。

だが、自分こそはその奇跡の証人であり、言葉を交わすことに幸福を越えて、死すらも感じる。いや、死でも語り尽くせない。自分の献身、その命を捧げることですらもその幸福の前には脆弱で矮小だ。自分は、その存在の前では草木や砂のようなもの。その存在から告げられることのみを聞く石になればいい。

そう男は思い、石のように動かずに待っていた。


男の覚悟を試すように時間が流れる。地底湖での時間の流れは感覚を狂わせる。一分が何倍も感じるときですらある。

鍾乳石に滴り落ちる水滴が何度も音を静かに立てた後、湖面に大きな音と波を立てて少年が浮上した。

少年は地底湖にせり出していた台座の縁を掴むと、身軽にその台座の上に立った。

彼の身体から滴り落ちる水滴で台座は黒く濡れる。その身体が台座にある燭台の火に照らされて、ドームの壁に巨人の影が幾重にもそそり立ち揺らめいた。


「ふむ。器が小さいな。もはやこの血統は薄れつつある」

少年は自分の身体に触れ、まるで年老いた老人のように話した。声色はまだ子供のあどけなさはあるが、その威厳が年齢を感じさせない。

少年の発言に男は一層身を小さくして、声を上げた。

「申し訳ございません。血統は絶やさぬように注意をしていたのですが、やはり時を重ねると血が薄れております」

「よい。血統が古くなれば、新しい血統を興せば良い。この時代は実に愉快だ。余を楽しませる。この時代であれば新たな血統が興せるだろう」

少年はその美しい顔を歪ませて、嘲笑するように笑う。

男はなおも顔を上げずにその言葉を聞き、歓喜する。

新たな血統、それは男にとって福音であった。苦渋を舐めている時代だからこそ彼にとってその言葉は福音。生きている間にその存在の血統を残すことは自分の子供を残すことよりも遙かに上の喜びであった。自らの子などドブに捨ててでもその新たなる血統を探しだそうと心に決める。

だが、この方の前で感情を出すことは許されない。自分ごとき矮小な存在が感情を出して、その存在の喜びを遮ってはならない。

そう感じて男はその喜びを表に出さないように口を開く。

「我ら最大の名誉に存じます。この我が身が尽き果てようとも探してご覧に入れましょう」

「して、情報は集まったか?」

少年はその男の言葉に一切の関心を示さずに男の方を見て話を変えた。

「はい。大陸中の『耳』を総動員して収拾しております」

「ならば、ルーン王国のことから聞こう」

少年の言葉に顔を伏せたままの男は畏れながらも怪訝に思い聞き返そうと口を開く。

「トランザニアが現在、不穏な動きを見せておりますが・・・」

その一言こそ男が石から人間になった瞬間である。自らの愚行を呪いながらも人としてありたいという男の生への執着であった。男にとってその呪いにも感じられる執着が言葉となり、少年へ運ばれる。

「あのような小国なんぞ、どうにでもなる。余はルーン王国について聞いておるのだが?」

男が自分の意に疑問を持つことに不愉をに感じて少年は舐るように男に低い声で問いただす。

男はその言葉に自らの執着の激しい後悔を感じつつも更に頭を下げて、焦りを隠しながらも言う。

「申し訳ございません。我らの『耳』からの報告ですと―――」


男は頭を垂れながら、彼の知りうる全ての情報を少年に語る。

少年は凍えるような地底湖でも美しい裸体を晒し、その長い男の話を無言で聞いていた。


静かに滴る水滴がその空間の時間を支配し、少年の影が巨人となってその場を支配する。

その巨人が身を震わせ雷鳴が轟くのを予感させながら時は流れてゆく。


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