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双望の継承者 〔 ゼンの冒険 第一部 〕  作者: 三叉霧流
第三章 復興の火と故郷の歌
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届いてほしい願い

次の日、俺は日の出と共に訓練に出た。今日は遠出なのでブーケファロスはまだ厩舎にいる。

カヴァスの散歩も兼ねて今日は走り込みだけだ。休憩を挟んで、長距離と短距離を分けて走った。


天気は午後辺りから崩れそうに見える。

西から流れてくる薄く広がり、凹凸のある鱗雲が見えた。北にはそそり立つ断崖絶壁のようなアラフェト山脈。その頂は遙か天上にあって、雲がかかっている。視界の端から端まで、峰が遮る。遠くにありすぎて、その峰はなだらかだ。その下には森林が雲海のごとく広がり、緑と灰色、白とグラデーションのように見えた。


この地方の天候はアラフェト山脈が重要になってくる。

ヨーロッパの天候と仮定するとこの辺は西岸海洋性気候に似ているが、アラフェト山脈もあるので東に行くと亜寒帯気候となる。東に行けば行くほど冬の寒さが厳しくなると、村の人たちから聞いたことがある。

一年を通して、温暖で過ごしやすく作物が育ちやすい。だけど、雲が一旦広がり、風向きが北を指すとアラフェト山脈を越えられない雲が麓に雨を降らせる。

特に、冬場は大陸から海洋に風が吹く。なので北に風が吹きやすくなるので冬場にも雨が降りやすい。たぶん雨量のグラフを書くと、真っ直ぐ一直線に近くなるかもしれない。


早めに終わらせて帰らないと、雨に打たれて風邪を引いてしまう。

雨が降ったときのために昔に仕留めたマルックの毛皮のマントを持って行こう。

マルックのマントは分厚くて耐久性に優れるが毛が短く、剛毛なのでそんなに高くはない。その代わり安いので気兼ねなく使える。この雨具用のマントは、なめしの仕上げの時に油分を除去せずに撥水性を高めている。ただ、油分というか脂分が残っているので獣臭い。毛糸の裏地を張っているとは言え服にこすれると臭いがついてしまう。

本当なら前に仕留めたイススの毛皮を持って行きたいところだが、襲撃もあって完成が遅れているのだ。イススの毛皮は毛が長くて、滑らかで見栄えもいいのでとても高く売れる。防寒性も、防水性も高いので完成までが待ち遠しい。身長が伸びても使えるように長めのマントでお願いしておいたから、長く使えるだろう。


俺は屋敷に戻って朝食をとり、エンリエッタが用意してくれたお弁当を受け取り、厩舎に行ってブーケファロスに一通りの荷物を括り付ける。もし、何かあって野外で泊まっても大丈夫なようにしている。服も上着は昨日と同じ長いジャケットだが、ズボンは羊毛製で温かい。乗馬のことを考えて、革の手袋をエンリエッタから手渡された。


お弁当は、雑穀の混じったパンと燻製肉、それにチーズ、水とエールの入った革の水筒二つを鞄に入れて、馬の後ろの鞄に入れた。

屋敷の人たちに挨拶をして、俺はトルエスさんの屋敷に向かった。


のんびり馬で歩いていると、途中でアンに出会う。

仕事着、紺色の女中服に身を包む彼女を見て、俺は馬を止めて声をかける。

彼女も俺を見つけて、小走りに近寄ってきた。

「アン、久しぶりだね」

「はい、ゼン様。お久しぶりです」

アンとは本当に久しぶりに顔を合わして、俺は和やか笑った。

彼女は長い髪を後ろで縛り、少し照れているが嬉しそうに笑う。

「ゼン様、ご挨拶ができなくてすみません」

「いいよ。俺も忙しくて挨拶できなかったしね。送るから、さあ、乗って」

俺はそう言いながらアンの方に手を差し出す。


時間までまだある。どうせトルエスさんだし、多少遅れても問題はない。

というか、起きてるのかな?


「え・・・もうすぐなので・・」

アンは申し訳なさそうな顔をするが、俺は手を引っ込めずに笑う。

「送りたいんだ。遠慮せずに手を取って」

一瞬、悩んだようだが観念して、アンは頷くと俺の手をとる。彼女と距離が近くなったときに、かすかにロースィップの甘い香りがした。その香りで俺は彼女と一緒に行ったロースィップ畑のことを思い出して、懐かしくなった。


手を取っても正直言えば、重いが俺は重心を操って、彼女を勢いよく引っ張った。彼女も乗馬を少しは訓練しているのか、鐙を反対の手で掴み器用にブーケファロスに乗り上がる。


俺は彼女がしっかり体重を乗せたことを確認して、ブーケファロスを反対方向に向けて、進ませる。

久しぶりに彼女と話すのだ。ゆっくり楽しもう。


「最近は忙しい?」

俺はブーケファロスを進ませつつ、後ろにいる彼女に声をかけた。

俺の腰におずおずと手を回しながら彼女は答える。

「あ・・・、えっと。今はお父さんの畑を手伝ったりしています。昨日、鍬入れが終わったので少し時間ができました」


時間ができたということは彼女は休みだったのかも知れない。

疲れているだろう。無理に屋敷の手伝いをしなくてもいい。

俺はそう思って声をかける。

「それなら、無理して屋敷の手伝いをしなくてもいいんだよ。もし、ルクラに言われていたら俺がそういったっていえばいいさ」

木立の中で馬の足音だけが静かに響く。彼女は言葉を止めた。俺の腰に手を回す力が僅かに強くなり、彼女は話した。

「・・・いえ、私がしたかったんです。それよりも、オークザラムはどうでしたか?」

小さな声で彼女が聞く。

「ああ、大変だったけどとても楽しかった。色々なことがわかった」

「何が分かりましたか?」

彼女は不安なのか、その声は少し暗い。

いつもなら照れたり、恥ずかしがったりするがその奥には可憐な花が咲いているような温かい声を出す。今はどこか、その花に元気がないように思えた。オークザラムの話題を聞く彼女の声は、ばったり会った先ほどとは少し違っていた。


ああ、と俺はため息をつきそうになる。

もしかして俺の婚約のことか?母上達も彼女に何を吹き込んだか知らないが、そんなことをアンに教えるべきではないだろう。

俺は特殊だけど、アンは年相応の子供だ。周りの意見に流され易い。

それが母上のような領主の奥方に言われたら、領民のどんな子・・・いや女性でもその気になってしまう。

本当にいい加減にしてくれ。


俺はなるべく彼女の不安が取り払えるのにはどうすればいいかを考えるが、恋愛ごとは全くの素人だ。

俺の中には、もちろんゼンと禅の中だが、それを解決するだけの言葉はない。

だから俺は率直に聞く。


「もしかして、俺の婚約のことが気になる?」

俺の言葉にアンは硬直する。握りしめた手が固まったようになり、無言になった。

だから、俺は彼女の言葉を待たずに言う。

「婚約の話はあったけど、実現するかどうか、なんてわからないぐらいに突拍子もない話だよ。まだ何も決まってない。だからアンは気にしなくてもいいし、もし何か他の人に言われてもアンが決めることだ。少なくとも俺はそう思う。俺はオークザラムで学んだんだ。人にはそれぞれ物語があって、大事なものがある。きっとアンにも大事なものが見つかる。その大事なもののために、自分の道を決めればいい。他の人のことは気にするな」

俺はゆっくりと話した。


こんなことをアンに言ってもわかるかどうか、わからない。それにこういうことは自分で経験して、本当に分かること。俺もオークザラムでやっと分かったことだ。リアさん、トルエスさん、ヴァルゲンさん、アルガス、リザベラさん、ユルゲン卿、リーシャ。そういった人たちと出会って、話し合って、ぶつかって分かったこと。

きっとアンにもこれからそういう人たちが現れる。そんな人たちと時間を過ごして、本当の自分と向かい合うときが来る。

そのときに、彼女が出した答えなら、俺は真剣に彼女と向き合う。

そのときの俺が真剣に考えて、答えを出す。

今はただ彼女も大事な友人として俺は大切にしようと思う。


彼女は俺の言葉を聞いて黙っていた。

俺は何も言わずに手綱を握って、景色を楽しむ。


ゆっくりとした時間、彼女の中でどんなことを思い、言葉に出そうとしているかは分からない。

だけどゆっくりと俺の言葉が時間をかけて、それこそ十年でもいい、心の底にいるアンにたどり着けたらなと、そう願いながら俺は景色を見ていた。


「難しくてわかりません。でも、私はこうしているのが楽しいです」

流れていく時間の中で、彼女は呟くように言った。

彼女がどんな顔をしてそう言ったのかはわからない。

でもその言葉がとても嬉しい。


そうだ。それでいいんだ。

俺もアンと一緒に過ごすのは楽しいよ。


嬉しくって、俺は思わずにやつきながら答える。

「ああ、そうだね。俺も今の時間が好きだよ。そうだ、オークザラムでアンのお土産を買ったんだ。アルガスからアンにって買ったお土産を預かっている。ベルグの分もあるから今度来たときに渡すよ」

俺は思わず余計なことを言ってしまった。

アンは先ほどとは変わって、本格的に暗い調子の声を出した。

「アルガスお兄ちゃん・・・」

「ごめん、アン。でもこれだけは分かっておいてくれ。アルガスは俺の大事な騎士だ。どんなことがあろうともそれは変わらない。必ずいつか、またルクラ達と笑って過ごせるようにするから」

「・・・ゼン様がそう言うのなら私は信じます」

彼女の言葉は重い。

俺は自分が信じてもらえるような人間じゃないと思っている。

でも、その信頼の証は重くても、俺の財産だ。

領主としてではなく、俺はゼン・リーンフェルトとして答える。

「ああ、信じていてくれ」

「はい、ゼン様」

アンが小さく頷くように答えて、俺たちは屋敷に行く。






アンを送った後、俺はトルエスさんの屋敷に向かい、彼の扉をノックした。

アンは最後には笑顔を向けてくれた。

その笑顔は可憐な花のように美しい。そんな笑顔ができる彼女だ。きっと、俺じゃないかもしれないが彼女の騎士は必ず現れる。

それに少し、寂しい思いをするが、そんな騎士が現れたら俺はきっと、厳しい目で見てしまうかもしれない。この世界でアンを守れるだけの力を持たせるために、反吐がでるほど鍛え上げてやろう。

そのときには俺も十分に身長が伸びて、力も強くなる。

覚悟しやがれ。


「なに一人でニヤついてるんだ?気色悪い」

一人で想像していると気づかないうちにトルエスさんが扉を開けて、そのドアノブを握ったまま俺を不思議そうに見ていた。

俺は慌てて声を上げる。

「いえ、ちょと思い出し笑いを」

「そういうのは一人でいるときにした方がいいぞ?領主様の威厳がなくなる」

「まだ領主じゃありません。いいじゃないですかトルエスさんの前だし」

「好きにしてくれ。ちょっと待ってろ、用意ができたらすぐに行こう。雨が降るかもしれん」

トルエスさんはそう言いながら、トルエスさんの屋敷の厩舎の方に向かう。

彼は代官服をきっちり着込み、キリリとした代官の顔だ。

仕事の時には格好いいのだが、私生活を鑑みると不思議だ。どうしたらこんな風になるんだ?

今彼が向かっている厩舎も村人を一人雇って、馬の世話やら細々とした雑用を全て任せている。代官という身分からしたら普通なのかも知れないが、馬の世話ぐらい少しはしたらいいのに。特に愛着もない風に馬を扱っているのを見ると、彼の馬が可哀想にみえてくる。

ブーケファロスはエンリエッタが世話をしてくれているが、俺も手伝ってブラッシングなどをしているので素晴らしい毛並みだ。輝く黒曜石のような艶。眺めているとうっとりしてしまう。

まあ、そういったことは名前を決めてから思うのだが。名前って大事だな。


「おーい、できたぞ」

俺が考えていると、厩舎から馬に乗ったトルエスさんが出てきた。俺はその声で気がつき、その辺に落ちてあった木の箱を台にしてブーケファロスにまたがる。

「今行きます!」

俺はブーケファロスを歩かせて、トルエスさんの方に向かった。


ナートス村までは半日、馬の体力を考えずに飛ばせば三時間だが雨が降りそうだから急がないと。

俺とトルエスさんは馬を早めに走らせて、ナートス村まで続く街道の方へと向かった。




トックハイ村を出て、しばらくいった街道。

鍬入れが終わった畑が左右に広がる街道を進む。とても小さな丘がいくつもの連なり、なだらかな段状になっている。高低差がほとんどないので凸凹の地平が見渡す限りに広がっていた。晴れた気持ちいい小春日和なら最高の遠乗りなるが、今は馬が風を切る度に肌寒くて西から灰色の重い雲が波のように連なっている。

「トルエスさん聞いてもいいですか?」

そんな景色の中で俺達は会話できるほどの早さで馬を走らせていた。

俺が聞くと、前を向いていたトルエスさんが横にいた俺の方に顔を向ける。

「なんだ?」

「昨日借りた『軍事概論』を読んだんですが、ジョーミル伯爵ってどんな人だったんですか?」

俺は気になっていたことをトルエスさんに聞いた。

昨日の空想はひとまず置いておいて、俺はジョーミル伯爵という人物が気になっていた。

あのような本を書く、この世界でそれはとても勇気がいることだ。それこそ、命をかけるようなことでもある。

そして、まだ生きていたら、会いたいなと思っている。


トルエスさんは憤然とした表情で俺の問いに答える。

「ああ、ジョーミル伯爵はハスクブルグ公爵派閥で、酒の都バッカルス一帯を統治していた領主だった。彼は嫡男で、本来なら都市を統治するはずだったが、軍人となることを選んだような人で、数々の戦地を経験し、名を馳せて、中将まで上がった人だ。そして、その功績と人柄で前国王の時代から国王の右腕として、相談役でもあった。前王から現国王のグリゼリフ王の時代までずっと王の右腕として、軍事や政治に関わった重要人物。魔物の討伐軍を設立し、街道の安全を保障し、ルーン王国に多大な貢献をしたんだ」


トルエスさんの言葉で、ああやっぱりなと俺は思った。

あれだけの本を書いた人が活躍しないわけがない。領地よりも国家のために、その身を捧げたんだ。王の右腕として活躍したのも頷ける。

あの本はそれだけの価値がある。というよりもそれだけの人物が書いた本だと思い知らされる。


そして、トルエスさんは顔を顰めて、続きを語った。

「だがな・・・、『軍事概論』を発表した翌月に殺された。犯人はジョーミル伯爵の女中。強姦されそうになって抵抗して、側にあったペンでのど仏を刺したんだとよ。考えられるか?女中が軍人を一突きで殺せるなんて。だが、派閥以外の貴族達は疑いもせずに認めたんだよ。そんなことをしそうだと。王の臣下は誰も信じなかったよ。そのときは俺も子供だったから覚えてる。王都内はその話題で持ちきりだった。結局、その女中が牢屋で自害して、うやむやになったがな。んな馬鹿なことあるか?戦争の孤児に援助をして、あれだけの本を書いた人物がそんなことをするなんて!」

吐き捨てるようにトルエスさんは言う。それは何かに向かって、吠えるようにも思えた。


彼は暗殺されたんだ。犯人なんて腐るほどいるだろう。

ジョーミル伯爵はこの国の闇に引きずられて、その命を失った。

その気高い魂も、崇高な理念も散らされた!


絶対王政の弊害もある。

国民が虐げられている状況は変わらない。

だけど、彼はただ願ったんだ!

この国の人々に笑顔をもたらしたいと、その手を血に染めても、彼は掴もうとしたんだ!

自分のためではない、誰かのために祈りにも似た崇高な想いを願ったんだ!

ああ、くそ!

本当に国を思う人物が殺されてなるものか!

そんなことをして手に入れたものなんてたかが知れている!金がほしければ国を豊かにすることを考えろ!


俺は彼のその願いを叶えたいと思った。

これは、まやかしなんかじゃない。その人物の生き様を知って、単純にそう思っただけだ。

思うだけなら、それは俺の自由だ。


「・・・トルエスさん、この国の敵はなんですか?」

俺は忌々しそうにしているトルエスさんに話を変えて、たずねた。

彼は俺の問いに、真剣な顔で答える。

「・・・魔物やトランザニア、海賊といったもんだろうな」

彼は低い声で答える。

だが俺はそう言った答えが聞きたいわけじゃない。

そんな見せかけの敵に用はなかった。

俺は重ねて聞く。

「もっと大きな敵です。この国が本当に見据えている大きな敵です」

トルエスさんは怖い顔つきで、急に馬を止めた。俺はそれに合わせて、馬を止めてトルエスさんと向かい合う。

その距離は5メートルもないが、とても遠く感じた。

彼は低く、重く聞く。

「お前・・・あの本の意味がわかったんだな?この国が敵としている二つの敵を」

「はい。わかりました。この国でどんなことが起こっているのか、も想像できました」

トルエスさんは黙り込んだが、それを打ち破って聞いてきた。

「お前、祝福を授かってるな。うすうす気づいていたが、今確信した」

俺は彼の問いに答えようと思っている。


トルエスさんとはもはや運命共同体に近い。

彼と生き抜くためにはもうどんな隠し事もしたくなかった。それが父上の約束だろうが、知ったこっちゃない。

俺が考えて、求めたことだからだ。


俺が答えようと口を開く―――。

「何も言うな。それが本当なら俺はお前を今すぐ、王都に連れて行かなければならない。それが俺の立場であり、お前達の側にいられる理由だ。だから俺は答えを聞かない。何も言う必要はない。そうだとしても俺はお前を守る。例え、それが魔神であっても俺はかまわない」

俺の口が開く前に鋭くトルエスさんが言葉を告げる。

その目にはどんなことがあっても揺るがない意志が灯されている。

その瞳が美しいと思った。泣き出したいほどに美しいと。


ああ、俺には友がいる。

俺のことを・・・禅の記憶を持った、ゼンではない俺のことを認めて、守ると言ってくれる友人が。

もうどんな言葉を言ったとしても陳腐にしか聞こえない。

だから俺はこう答える。


「ありがとうございます。トルエスさん」


俺はその感謝の思いが、全部伝わるように、彼に笑いかけた。

届いてほしい。

俺の感謝の気持ちを、万分の一でも届けばと願って。

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