ルーン王国考察とメフィストの囁き
カヴァスを連れて戻るとたちまち、避難民の子供達に囲まれた。
代わる代わる何人もの子供達にもみくちゃにされて、カヴァスは非常に迷惑そうな顔をしているが、大人しくされるがままである。
ピン、と姿勢良くお座りの状態で吠えたり噛みついたりしないところをみると、俺はカヴァスがどうやら俺の想像を超えて優秀なんだと思った。
あの訓練中の猟犬の中で一番優秀なのを選んでしまったようだ。遠慮もなく、そう見えるカヴァスを選んだことは確かだが、悪いことをしたかなとも感じる。
ひとしきりカヴァスの紹介を終えて、俺は屋敷に戻った。
玄関を開けて、中に入るとエンリエッタが出迎えてくれるが、カヴァスに視線がいくとその目つきは少し険しくなる。
「ゼン様、おかえりなさいませ。その犬はどうしたんですか?」
じっとカヴァスを見つめながらエンリエッタがたずねてきた。
俺は少々気まずい思いをする。そういえば、彼女や母上に何の許可も取っていなかった。
犬が増えるということは家族が増えるようなものだ。家のことを任されているエンリエッタにとっては突然居候する者が現れたことになる。
「ごめんエンリ。言うの忘れてたけど・・犬を飼おうと思って・・・」
俺は謝って、エンリエッタの様子を伺いながら、口ごもったように話してしまう。
エンリエッタが俺の言葉を聞いて、黙ったままその青くて鋭い目をスッと細めて俺を見る。
数秒の沈黙の後で、エンリエッタはゆっくりと、そして俺の罪悪感を掻き立てるように落ち着いて言う。
「ゼン様。そういったことは奥様や旦那様の許可がないといけません。許可がとれなかった場合はどうするおつもりですか?」
エンリエッタの常識的な言葉が痛い。
俺は身を縮こまらせて、なるべく反省の色が出るように答える。
「屋敷で飼えなかったら、外だといいかなって・・・」
「屋敷の外には今、避難民の方々がいます。もし、噛みついて怪我をさせたらどう責任をとるおつもりですか?」
俺はエンリエッタの言葉に追い詰められる。少し後ずさりしてしまった。
真剣に怖い。カヴァスも自分の立場が分かっているのか一層姿勢を良くして微塵も動かない。
「あ・・・えっと―――」
「あら?ゼン、お帰り。その犬どうしたの?」
俺が追い込まれて言葉に詰まっていると、母上が居間から顔を出してエンリエッタと俺、カヴァスを順に見て言う。
母上が声をかけられて、エンリエッタは母上に振り返える。
「奥様、ゼン様が勝手に犬を飼うなどと言って、連れ帰ってきました」
ちらりとエンリエッタが俺を見て母上に状況を説明する。その口調はやはり非難しているようだ。
母上はそのことを聞いて、嬉しそうに笑顔をカヴァスに向けて屈んでカヴァスの頭を撫でた。
カヴァスも気持ちよさそうに顎を上に向けて撫でられている。
「あらあら。いいわね。なんていう名前なの?」
撫でながら屈んだ母上は上目遣いにたずねる。
俺はその一言に安心のため息を漏らして、母上に答える。
「カヴァスっていいます」
「そうカヴァスちゃんね・・・可愛い名前。エンリちゃん、ごめんね。ゼンが無理を言って」
母上はエンリエッタに向かって、俺をかばうように謝った。
エンリエッタも母上の許可が出たので、俺に向かって声をかけた。
「ゼン様、奥様から許可をいただいたので私がお世話をしますが、これからは事前に教えてください」
「ごめん。これからそうするよ、エンリ」
俺はもう一度謝った。その様子を見たエンリエッタは今までの怖い顔をつきから何時もの無表情に見える顔に崩して、彼女も頭を下げた。
「私も言い過ぎました。カヴァスの寝床や食事はお任せください」
その俺たちの様子に母上は満足そうに微笑んで、
「さあ、ゼン。話が終わったら食事の準備を手伝いに行きましょう」
「はい、母上」
その言葉に俺は笑顔で頷いて、荷物を置きに書斎に向かった。
昨日のように避難民達と楽しい食事をして、歌を聞いている途中で辞退して書斎に戻る。
応接間と書斎には火が灯されておらず暗い。手持ちの蝋燭台の明かりを頼りに、書斎の入り口に置いてある茶色の質素なチェストから蝋燭を取り出して、机の上の燭台に置いて火をつけた。寒い書斎に火が灯されると少し温かく感じる。贅沢に五本ほど灯して、十分な明かりを確保する。
本当なら明後日の日中にでも読めばいいのだが、読みたくなってしまったのでトルエスさんに借りた『軍事概論』の紐を解く。この書物は表紙が薄い木の板に紐が通されて不意に開かないようになっている。紙質があまり良くないので耐久性が低く、開いたままで中身がぐちゃぐちゃにならないようになっているみたいだ。
俺は小さな文字で文字列が右斜めに上がってゆく文字を目で追った。
読み進めると俺は時間を忘れて、没頭していく。所々誤字脱字はあるが、今の俺ならその部分を補完しつつ読むことができた。
蝋燭の長さが半分を過ぎ、小指の爪ほどまで短くなった辺りで俺は本を閉じた。
蝋燭の消費から二時間近く読んでいた。
実に興味深かった。この分野なら禅の世界でも何冊か古典を読んだことがあるが、それと比較するととても面白い。
ジョーミル侯爵はどうやらルーン王国の高級将校だったようだ。侯爵の立場からすると中将から大将になるのかもしれない。結局、ルーン王国軍の軍階級について記載している巻ではなかったのでわからない。
だが、この人が軍をどのように考えているか、がわかった。そして、トルエスさんがこの本を一番に俺に貸したということはこれがこの国の一番基礎となると考えてもいいだろう。
著書の一巻の一章では、軍と国家の関係性に触れている。
要約すると
『国民が真に平和で、神に祝福された生活をおくるためには、独立した国家が必要であり、分権体制の領主や貴族は国王の従者として、領地よりも国家のために奉仕するべきである。さらに豊かな国家を成立させるには、その経済の発展が重要で、内外からの敵対勢力を駆逐し、安全を保証するために、国王に服従した精強で秩序ある統一された軍が必須である。そして、その軍はあらゆる盲目的熱狂――勇気や名誉、本能的衝動ではなく、国家を繁栄させるための政治的目的をもった暴力の行使機関としてのみ存在するべきだ』
と言っている。
この本はとんでもなく過激だ。
この世界でこれを販売しても大丈夫なのかと心配になってくる。
だが、読んでわかったことがある。これまでトルエスさんやエンリエッタから教えて貰った情報を整理し、俺は想像する。
これは空想だ。正しくないかもしれない。
断片的な情報を、禅の記憶にある世界史の流れにいれて、大河のようなルーン王国の架空の歴史を考えてみた。
ルーン王国は建国前、王国の土地で大小の領主が群雄割拠していた。
領主達はたくさんの王様だ。彼らは略奪や征服、統合を繰り返して、終わりの見えない戦いを続けた。そんな中で次第に大都市を築いた大領主がその勢力圏を伸ばして、多くの小領主たちを飲み込んでいく。それは今の勢力図の数ぐらいになったかもしれない。
そんなときにルーン王国を建国した初代国王はそれらを統一するため、きっとカソリエス教会の後ろ盾を得て、その大領主達をまとめようとする。それにも血みどろの戦いがあったかもしれない。
そうして、トルエスさんが言った『王国は領主の権利や古くからの慣習を認めた』つまり、領主達の権利を守ることを譲歩として、統一を図った。大領主達と合議と戦争を重ねて、統一は成功して、ルーン王国が建国される。
時を重ねながら王国は農地を開墾しつつ、諸外国と貿易をして経済を発展させる。そして膨大な国費を投じて、神による世界秩序のため250年ほどまえに魔大陸の大侵攻と大敗退。諸外国共々疲弊して、カソリエス教会の力が弱まる。
だが、勃発するトランザニアとの戦や王国内の魔物の討伐、国境の警備、海賊のために軍を出しざるおえない。王国は領主たちに重課税を押しつけて、国王直属の常備軍を組織する。各領地が疲弊しているために、問題がある領地へ王国中の領地から資金を集めて、軍を派遣して対処する必要がある。
そのときに、税を納められない領主を王国は文官や武官などの官吏として王都の中枢に置いた。王都に彼らを官吏として置いた場合は、領地に代官を派遣して、領主達の権利を守ったのだ。
王国が平和になったとしても領主達は貴族として王都の暮らしに慣れきっていた。また農村地に戻る意志がでなかったのだろう。放置して、領地のほとんどの収入を税として王国がとろうとも、官吏としての収入もある。人間は豊かな暮らしに慣れてしまうとそれ以前の生活に戻ることがとても難しい。
この世界の貴族のほとんどが王都にいるのは、それがあったからだと思う。
しかし、税が払えた大領主、クローヴィス公爵家、フッザラー公爵家、ハスクブル公爵家などは違う。彼らは大都市を持っているので税が払える。そのまま領地にいて、経済や食料が回復するのを待った。それが今の形。代官が治める領地でも権利は王都の貴族達にある。彼らの領地を元にした派閥ができる。
そこまで妄想して、俺は一旦深呼吸をする。
ここからはこれから起こるできごとの予想だ。
現在、代官による中央主権が緩やかに進行している。権利はあっても代官が治める領民達は、もはや貴族達を領主だとは認めないだろう。彼らは国民だという認識でいる可能性がある。それに加えて、国境に配備された領土を守る王国軍の存在。
ここのままいけば、つまり――主権国家の成立。
絶対王政の下地ができあがりつつあるのだ。
ジョーミル伯爵の軍事概論はそれを完全に主張している。
独立した国家を立てるために貴族達の権利をすべて国王に渡し、軍を国王の政治的目的のみで行使する。
貴族に喧嘩を売り、そしてさらに――カソリエス教会にも喧嘩を売っている。
カソリエス教会は魔大陸の大侵攻を、世界秩序のために行った。彼らにとって軍を派遣した戦いは神の名の下に行われる。国教をカソリエス教会としているのにも関わらず、その聖なる戦いがルーン王国では自国の政治的目的のためだけにしか行われない。
教会は神を絶対としている。教会は例えルーン王国の軍であろうとも自分たちの意向で動かしたいに違いない。それが教会の権威につながるからだ。
独立した国家ということは、国益にならなければ教会と対立する、とも言っている可能性がある。
ジョーミル伯爵は盲目的熱狂の例えの中で信仰と書かなかったのはワザとだろう。きっと本心では信仰も加えたかったに違いない。
神が存在するこの世界で彼がこの思考に行き着いたのが信じられない。まるでヴァルゲンさんのようにこの世界で強く生きている人なのかもしれない。
総括してみるに、この国は主権国家として生まれ変わろうとしている。もし、クローヴィス公爵家がカソリエス教会の支援を受けて反乱を行い、それを撃退した場合に一気に変わるだろう。反乱を根拠に、国王が法の統一化とカソリエス教会と領主の権利の剥奪。残っている領軍を解体し、その兵を王国軍に吸収。権利の剥奪の代わりに、領主と貴族、そして教会に特権を与えるが、それは国王の下に位置する。
一国に教会が負ける。
宗教革命や異教徒の脅威があるかどうかは分からないが、
このルーン王国の主権国家成立を契機に、主権国家体制が世界で成立する可能性だってある。
その出来事は戦火と剣と血の上でのたうち回りながら、その殻を破って国が生まれ変わるのだ。
その産声が響き渡り、世界が神の支配から脱却するのだ。
ハスクブル公爵家の婚姻が成立すれば、俺はその最前線に立つ。
この生まれ変わろうとしている、王国のターニングポイントのど真ん中に行く。
時代が激動し、歴史の潮流が渦巻く世界の中心に、俺は立つんだ。
ああ、なんていうことだ。
ゾクゾクして体の芯から震えがわき起こる。
それは武者震いだった。
喜びで気持ちが昂ぶるのだ。
禅がこの世界に来る直前に願った想い。
その全身全霊をかけててもいいと望んだ大きな野望。
世界じゃなくていい、このルーン王国を、この俺が導く。
この国のすべてに平和と秩序を与えて、王国中を駆け巡り、その一生を終える。
主権国家の後は、近代国家。
それを成すには経済力の強化、ルネッサンスの『活版印刷』、『火薬』、『羅針盤』を発明し技術を近代まで発展させる。製紙技術は十分だ。活版印刷を導入すれば瞬く間に書籍が出版されて、さらに知識が伝わり―――。
「ゼン様、まだ起きていらっしゃったのですね」
俺が夢中で考え込んでいるとエンリエッタが明かりを持って、心配そうな顔をして書斎に入っていた。
その蝋燭の揺らめく火に照らされて、エンリエッタの影が怪しい幻惑のように動いていた。エンリエッタという確かな存在、その後ろで幻惑の影が揺らめいている。
その姿に俺ははたり、と気がつく。
俺は何を考えていたのだ?
それは空想だ。空想にとらわれて俺は思ってはならないことを思っていたように感じる。
まるであらゆる人生の快楽と悲哀を体験させるという悪魔メフィストと契約して魂を奪われ、体を四散させたファウスト博士のような・・・。
人生の快楽と悲哀、それは鮮烈な生の実感。幻惑の生の実感に魅せられていた。
願ってはいけない。その空想と願いはメフィストの囁きだ。最後には悲劇が待っている。
俺は頭を振って、その囁きを振り払い、エンリエッタに笑顔を向けた。
「ありがとう。時間を忘れていたよ。もう寝るから心配しないで」
「はい。もう寒いのでお体に障ります。お休みください」
俺はエンリエッタの言葉を聞いて、ほとんど無くなりかけた書斎の蝋燭を消して、エンリエッタが差しだしてくれる明かりで書斎を後にする。
最後に振り返って見た書斎には、蝋燭の消えた後の煙が怪しく揺らめいて消えてゆく・・・。
幻惑は覚めなければならない。
俺は今を生きているんだから。
俺はそんな思いで、部屋に向かう。




