エンリエッタの願い
エンリエッタ視点です
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私、エンリエッタ・エスカータルの人生は人から見ると可哀そうなぐらいに悲惨らしい。
エスカータル男爵の三女として生まれ、ルーン王都マキシラーテルに住んでいた。
貴族の三女が政略結婚の道具であることは、小さいころから理解している。だから、愛してもいない貴族と結婚することに何の期待も、諦観もしていなかった。
私は他の姉妹より優秀で、そして両親からは優秀な道具に過ぎない。
12歳のときには王都マキシラーテルの王立ライカル女子学園に入学し、淑女としての教養と可愛いく清純で純潔の箔を押してもらい。有力な貴族という魚を誘き寄せる餌として王宮の侍女となった。
王宮での私の評価はかなり高かった。
大体一度説明を聞けば、すぐに即戦力となる私はどの部署からも重宝されて、仕事をこなせばこなすほどに地位は高くなっていく。また、鋭い目つきは少々難点だが、顔立ちは美人らしく、王宮で様々な貴族から声をかけられる。
そんな多くの男性を見ても、道具に過ぎなかった私の心は揺れ動かない。
第一、結婚する相手は父が決めること。後から聞いた話だと、舞い込む婚約の話に良い気になって、えり好みしていたという。
せいぜいそんなものだと、私は思っていた。
いつ告げられる婚約の話を無関心に私は王宮で従事していた。
『タグキラース子爵と婚約しなさい』
だから、父のその言葉に私は、あっさり承諾し、次の日には引っ越しの準備は完了していた。
タグキラース子爵は、父が食い込みたいと思っていた派閥の有力者だった。
狙い通りの人物がかかった、としか思わなかった。
私はタグキラース子爵の3番目の側室で私が17歳、タグキラース子爵は36歳、歳の差は19歳。よくある話に過ぎない。
嫁入り先での私の仕事は、王宮で働いていたような働きと子供を作ること。
楽しくはないが、別段不満がある訳でもなかった。
だが、2年も経つと問題が発生した。
子供ができないことが発覚したのだ。
貴族を釣る道具から子を作る道具となっていた私には、致命的な欠陥だった。
そうなれば私はただ無駄飯を食らうだけの人形。
両親は私を攻め立てた。
簡単な話、壊れた道具を大事な相手に渡したようなものだ。
私にはどうしようもなかった。
焦っても、子爵との夜は月を追うごとに回数が減り、最後の1年間は全く相手にされなかった。
そして、最後の致命打は父の不正が王宮にバレたことだった。
派閥にいるだけで汚点となる父をタグキラース子爵は簡単に切り捨てた。
もちろん、年老いた私も離縁され、実家に戻ることになる。
その後に予想されることは、父の借金のカタとして商家の後妻に身売りされることだった。
流石の私でも60歳の男性に身体を弄ばれるなんて想像したくない。
実家にいても居場所がない私は、毎日散歩として王都の公園で無為の時間を潰していた。
そんなときに運命と呼べる出会いをする。
少し残念なのはその相手が同性だったこと。
今では微笑ましいことだけど
その相手は、奥様のアイリ・リーンフェルト様だった。
たまたま公園の椅子に座っていたときに隣に座った関係。
太陽のように無邪気な奥様と過ごしていると、氷とも呼ばれた自分が何故か身の上話などをしていた。
あのときは気がつかなかったが追い込まれていたのかもしれない。
ポツポツと無表情に自分の身の上話をしていたと思う。
その話しに、まるで自分のことのように悲しい表情をされて、面白くもない話を聞いてくださった。
『エンリちゃん!私の家に来て。私の旦那様にちゃんと説明するから』
その言葉まるで迷子の猫を拾った子供のようだった。
その必死の表情に私は、思わず泣いていた。
それからは目まぐるしかった。
予想もしていない話に私は混乱していたのだろう。何の準備もせず、私の身一つで奥様の家にいき歓迎された。
旦那様と会ったときに、初めて彼が剛剣のトルイ様だと知った。
平民から剣一つで貴族になった旦那様は王都でも人気者だった。
奥様と旦那様と暮らすことは驚きの連続。
平民だからなのだろう、食事も一緒、与えられる部屋はお二人が使っても良いぐらいに清潔。
私は旦那様の妾になるのかもしれないと、心中で覚悟もしていたが、彼が私に手を出すことはしなかった。
初めて羨ましいと思うぐらいにお二人は相思相愛で、旦那様は奥様しかみていない。
見てないと言っても放置されることはなく私のことは家族の一人として迎え入れてもらった。
だからなのだろう。
お二人の初めての子供である嫡子のゼン様が生まれた時、小さくて温かく生命力に溢れたゼン様を抱くと私は泣いてしまった。
感動していたのだ。
感動しない人間などいない。
子を生せない私が子を抱く。
その機会を与えてくれた奥様に止めどない感謝と、生まれてきてくれたゼン様に万雷の感謝を。
それからの日々は心の底から幸せだ。
生来の感情があまりでない顔をしているのが少し憎らしいが、ゼン様のお世話をすること、奥様と旦那様と過ごすこと、そのすべてが私の喜びだった。
だが、今私は戸惑っている。
それはゼン様のことだ。
熱で寝込まれた後からゼン様は少しおかしい。
まるで人が変わられたように、その行動が変わっている。
あの日までは、何処にでもいる悪戯好きの子供だった。活発に外で遊ぶこともある。絵本を読んでほしいとせがまれることもある。
しかし、あの日からゼン様にはこれまでとは違った知性があるように思う。
昼間に台所で仕事をしていると、突然読み書きを教わりたいと、私に頼み。
絵本かな?と私は自室の絵本を彼に読み聞かせる。
彼はその絵本を食い入るように見つめながら、彼が指し示す単語の発音をしてほしいと言われる。
最初は疑問を持たなかったが、凄まじい量の絵本の単語を一つずつ数時間もかけて私は機械的に発音していく。
それには明確な意図があったに違いない。
私が発音している横で彼は発音と書かれた単語の差異を確認していた、と思う。
その次の日には奥様の部屋の本棚から小説を引っ張りだしてきて、昨日と同じように発音をせがんだ。
私は驚いた。
なぜなら彼が発音をせがむ単語は、読み書きができる私ですら少し戸惑うような難しい単語だったからだ。古語や他言語から派生する単語は、スペリングが少し難しい。それを的確に彼は聞いてきたのだ。
私は聞いてみた。
『他の単語は大丈夫なのですか?』
『ああ、それなら何とか覚えたよ。確認のために一度テストしてみて』
私は数単語を彼に質問すると、すらすらと淀みなく正解した。
そのときの私は、ゼン様の才能を喜んだ。
8歳の子供でも専門的に勉強しないとできない読み書きを彼はたったの一日でできるようになったのだ。
この才能を活かせば、命の危険が伴う武官ではなく、王都で平穏に過ごせる文官の道ができると私は喜んだ。
すぐさま、私は奥様にそのことを話し、心が弾みながらゼン様の将来のことを相談した。
だが、その才能は私の理解を越えていた。
読み書きは満足したのか、次は算術になった。私が数字と算術の記号を教えるとあっという間に簡単な足し算、引き算を習得した。
その次は、自治領のことだ。言葉は比較的簡単に、遠まわしに質問していたが、彼の質問はリーンフェルト領の主な収入源、作物、関税、商人の流通状況、隣国や他領の情勢、王都の人口やはたまたルーン王国の政治。何処でそんな知識を覚えたのか、不思議になるぐらい彼は私と奥様にたずねてくる。そう言ったことに明るくない奥様はしどろもどろになってしまうので、私がわかる範囲で答えた。
『どうしてそんなことをお聞きになるのですか?』
私は思わずたずねてしまった。
ゼン様は少しとまどいながら、ほほ笑んで答える。
『リーフェルトの名に恥じないようにしたいんだ』
そう言われてしまえば、私には何も言い返すことができなかった。
そういった大人の世界の問題は15歳の成人になってから考えてほしい。今はただ、一身にお二人の愛を受け、平穏無事に過ごしていただくことが私の望み。できれば、貴族なんてしがらみに囚われずにのびのびと。
そんな思いが顔に出ていたのか、ゼン様は申し訳なさそうに言葉を続ける。
『エンリ、心配してくれてありがとう。でも僕は大丈夫だから』
その言葉に私は泣きそうになった。
そんなことはゼン様がもっと大きくなられた時、20歳になってからのほうが嬉しかった。
せっかくの幸せな幼少時代を彼が捨ててしまったように感じてしまったからだ。
それから私はゼン様の行動を諌めることはできなくなってしまった。
夜中にこっそりと木剣を振っていたり、辛そうに身体を鍛えたり、私が明かりを消す直前まで本を読んでいたり。
生き急いでいるかのような後ろ姿を見ると、私は不安と心配で押しつぶされるようになってしまう。
そして、ゼン様が鍛錬で屋敷にもどって倒れられ部屋で休んでいたときの言葉。
『わかっているよ、エンリ。でも、僕はトルイ・リーンフェルトの嫡男でこのリーフェルト領の次期領主だ。隣国トランザニアとの戦いも続いている中、一文官で終わるのは無責任な気がするよ』
その言葉が決定的だった。
私はできる限り、普段の表情を変えずに、ゼン様の部屋を出る。
ガチャリとゼン様の部屋の扉が閉まった後、
私は静かに泣いた。
ああ、どうか、どうかお願いです。
主神トールデン様、ゼン様を、奥様と旦那様と私の愛しい子を戦いに巻き込まないでください。
もし必要なら私の命を捧げます。
だから・・・どうか、私たちの愛しい子をお守りください。
エンリエッタがいい子すぎて泣ける。