オークザラム③ 女神の舞
「まずは今宵が初舞台!、我が一座の最年少にして祝福された青薔薇の歌姫!リーシャ!みなみなさま、可愛いからといってもってかえらないでくださいね~!」
女道化師が滑稽な手振りで観客に向かって声を投げかける。
彼女はどうやらこの公演の司会役のようだ。話のうまい道化師にはちょうどいい役といったところ。彼女は言葉を終えるとそのまま舞台袖へと消える。代わりに現れたのは一人の少女。
年齢は俺ぐらいで少し背が高い。青い絹のように美しい髪が首元まであり、頬にあたる前の髪が少し長い。斜めに綺麗に切りそろえられており、高い鼻梁と目鼻立ちがくっきりしている。あどけない少女と言うよりもメリハリの利いた綺麗な少女。白いワンピースの裾はきめ細やかなレースがふんだんにあしらわれている。
リーシャは少し緊張した様子で舞台の中心に出て、観客を見渡す。
その美しい少女の様子に会場の観客は朗らかな微笑みになる。誰もが先ほどの女道化師の手品?に魅せられた後だ。突然現れたあどけない少女の緊張した様子に心が緩んでしまう。
揺らめく松明の火にその白い頬が朱に染まり、長いまつげの奥にあるサファイヤのような蒼い瞳が赤くきらめく。
リーシャは意を決した顔をして、右手で胸の辺りを抑えて口を開いた。
「RA―――――」
その第一声。調律のために声を上げたのにもかかわらず俺も含めた会場が一瞬にして飲み込まれた。
大気を僅かに振るわせて響く彼女の声は圧倒的だった。綺麗な歌声なんて表現はすでに超えており、もはや神がかっている。音なんてものではない。ただ一声で魂が鷲づかみにされる。彼女が空気を振るわせるのと共鳴して会場の誰もが奥底の魂を揺さぶられるのだ。
俺たちは動くことさえできない。
俺はその舞台に立つ神を感じた。先ほどのまでの顔とはまるで違う超然として立つ彼女はその声の存在感だけで神の証明。この世界は才能の枠にはめることができない。神々しく響く声が俺の思いを裏付けていた。
そして、彼女が声を上げるのを確認して楽団員は弦楽器を奏でる。
悲しく孤独を感じさせるような静かで美しい旋律。静かに流れる弦が弾ける音と共に彼女の歌が始まった。
「名もないわたしは 荒野にたつ
何ももたずひとりきり
孤独な旅で 天かける月のした
果てることのない 愛がさしのべられ
わたしは歌い 歩き出す」
音楽が転調する。
静かに喜びをたたえた力強い旋律に。
「幾度となく深い森を渡り 険しい山々を歩み
町から街へ 仲間とともに
歌と踊りで 世界を巡る
果てることのない 旅路がどこまでも
わたしは歌い 歩き続ける」
一拍の間を置くと
さらに他の楽器も混ざり、会場には音が薔薇の花を咲かせる。
蒼く美しい薔薇の花言葉、禅の世界では『神の祝福』。
祝福の歌声が会場に響き渡った。
「涙の世界を わたしが包み込む
悲しみに暮れる誰かのため
わたしは歌い 愛をさしのべる」
短い歌が終わる。
その歌が終わったことで観客達が自分が今涙を流していることに気がついた。
孤独と救い、そして愛。
胸を突き上げてくる喜びで満たされる。
それはおそらく彼女の物語なのだろう。そのことに誰もが気がついている。彼女の深い孤独と手がさしのべられたときの感動、そして最後に自分自身も手をさしのべたいという強い意志が歌と共に胸にこみ上げてくる。
一座と共に愛を歌う彼女の姿は健気であまりにも儚く美しい。
動けない。この歌の余韻に一秒でも浸りたい、と思ってしまう。
リーシャは歌を終えると深く礼をして、さらに他の曲を歌っていく。
それは様々な曲であった。カソリエス教会の静謐で荘厳な賛美歌、海賊が歌うという陽気な曲、砂漠の部族の物珍しい民謡、どれをとっても素晴らしくまるで歌を聴いているだけで世界を歩いているような気にさせる。賛美歌では祈りを捧げ、陽気な歌では観客達がリズムを手拍子でとり、物珍しい民謡の調べに耳を傾ける。楽団員達はその都度楽器を変えて、リーシャの歌を邪魔しないようなバランスで曲を奏でていく。
時間を忘れて俺たちは聞き入っていた。曲が終わるたびに割れんばかりの拍手が鳴り、リーシャは照れた表情で微笑む。
すべての歌を終えると彼女は礼をして舞台から下りていった。
「みなみなさま、公演はまだ終わりではないですよ!さあ、続きましては―――」
気がついたら舞台には女道化師が立っていた。
観客も俺もリーシャの姿が舞台袖に消えてもまだ放心状態で女道化師が入ってきたことも気がついていなかった。彼女が言ったようにここにいる誰もが満足して、公演が終わったような気さえしていた。
一座は様々な芸で観客を楽しませた。
踊り子の衣装を着た美女二人が美しい剣舞を披露したり、人形遣いが十体の人形を同時に操作して愛のために生きた女性の悲恋の物語を演じたり、魔物使いの踊り子がオオカミのような魔物を二体操り共演して踊りを披露する。女道化師も舞台の準備の間に巧みな話術で一同の笑いを取り、滞りなく司会を進行する。
「みなみなさま!今宵の演目も次で最後!我が一座の座長!愛と踊りの女神アフロ―ディアに祝福された当代のアフロ―ディア、リア・アフロ―ディアの踊りがはじまります!」
そして――、最後の演舞が始まった。
その女性が舞台に出てきた瞬間に俺の息が止まる。
美しすぎる。
顔つきや衣装だけではない。存在感が、その有り様が美しいのだ。無駄なものは一切なく、その細胞一片一片が神の造形でできたかのように完璧であった。彼女に美の基準なんて存在しない。どんな場所でも彼女の美しさは不変に違いない。
腰まであるウェーブのかかった長い黄金の髪には白と赤い羽根飾りのついた白銀のティアラをして、躍動感のある牝鹿のように睫が長く、その奥の瞳は強い意志を宿したルビーのごとき紅さで輝いている。筋の通った高く締まった鼻に赤い薔薇の花びらのような形の良い唇。長い首元は鎖骨近くまでを隠す大きな金の首飾り。豊かな胸に白い絹の布を巻き、腰には彼女の髪と同じほどの輝きを持った金の布と非常に薄い赤色のレースが水着のように彼女を包んでいる。肩に透き通るほど薄い金のショールを掛けて、両手首と両足首には金の細い輪が幾重にも巻かれており、彼女が歩くたびに音を鳴らす。
説明されずとも彼女が誰なのかは一目瞭然だった。
一座の座長、リア・アフロ―ディア。
愛と踊りの女神アフロ―ディアの化身。
彼女は舞台の中心に立つと妖艶に微笑んだ。それだけで腰の脊髄から甘美な痺れが脳髄にまで這い上がる。異性だけではなく同性までも引き込まれてしまうような魔性の美貌。だが、そこには魔の陰りはみえない。彼女の存在は太陽のように燦然と輝き、自信に満ちあふれて周囲を照らし出すような情熱の炎が燃えている。
太陽のハートオブクイーン。
香しい薔薇の香りを振りまきながらクイーンは優雅に礼をする。
礼を終えると彼女は黙ったままゆっくりと舞台の上でかしずく。その光景は祈りを捧げる乙女のように。顔は地面の方を向いているためどのような表情をしているかはわからない。
妖艶な色気と厳粛な神聖さが混じり合い、見えない火花を散らすような美しさだ。
美が結晶化し、静謐な人の形をしている沈黙が下りた。
シャラン―――
それを破ったのは鈴の音にも似た金属が作り出す小さな音。ゆっくりと穏やかに、透明感のあるさざ波の音のようにシャランシャランと打ち鳴らされていく。それに合わせて彼女の両手が小さく動いている。その音のリズムが加速していく。
手が上がっていき、彼女が顔を上げる。
激しい情欲のルビーが燃える。愛という名の激情が迸る。
太鼓がそれに答えるように鳴る。彼女が作り出すリズムに従い太鼓が叩かれる。
その踊りはアラブの踊りを思い出させた。情熱的でエキゾチックな禅の世界の踊りに似ている。
彼女が立ち上がり腰を、白魚のように美しい手を、空中に舞う煌めくショールを、燃え上がる金髪をはためかせて激しく踊り出していく。その動き一つ一つに命を灯すように、全身全霊で跳ね、回り、魂が震える。太鼓の音は彼女が金属の輪の音で奏でる情熱の嵐に対抗するように激しく叩かれて彼女を一層昂ぶらせていた。踊りと太鼓と金属の輪の音。音は添え物ではない。張り詰められた糸のように互いを結びつけて、緊迫感と共に俺を魅了する。その一方で彼女を昂ぶらせるその音色にすら嫉妬しそうになる。
松明の熱さか、食い入るように見ている観客の熱気か、激しく舞い踊る彼女の頬には汗が流れ、あるいははじけ飛ぶ。その一滴の汗ですら豊潤な官能の美がかぐわしく香ってきそうである。
彼女も俺たちも最高潮に達しようとしていた。彼女は会場の熱気に陶然とした顔で舞いながら、一際大きく飛び上がる。
そして、舞台の下にその両足を下ろした。大きく鳴る金属の音が更なるリズムの加速を促し、太鼓の洪水に晒されながらもその激流を優雅に泳ぐように彼女は舞を加速させる。会場内に降り立った彼女はその舞を止めることも、緩めることもなく会場をゆっくりと進んでいく。
まさに愛と美で溺れる一人の愚者のように俺はその光景を眺めている。鼻も肺も官能と美で充ち満ちて息さえできない。彼女の一挙手一投足に魅了されて目が離せない。
彼女は悠然と優雅に、激しく舞いながら会場内を巡る。
巡りながらゆっくりと歩んでいく、俺の方へと近づくたびに鼓動が耳元でうるさく歓喜の声を上げる。
その歩みが進み、彼女は踊りながら俺の側まで来て、俺の真正面で踊る。
それは夢のような美しさ、それが俺の手の届くところにいる。だが、俺は手が出せない。あまりの至高の存在故に畏敬すらしているのだ。
彼女の燃える紅玉の瞳と目が合う。その表情は先ほどまでの超然としていたものとは場違いなほど穏やかな微笑を浮かべている。
しかし、それを妨げるように激しく叩かれていく太鼓が雄叫びのように響く。彼女はその表情のままその雄叫びをまるで子犬のようにあしらい、踊りが収束していく。
そして、彼女はその場で満点の星を手にするように天に手を掲げて、激しく鳴っていた太鼓がパンと一際大きくはっきりと打ち鳴らされて舞が終わる。
会場内に再び沈黙が下りた。立ったまま天に祈りを捧げるような彼女を、それまでの踊りを忘れないように魂に刻みつけるような間。
息を乱れさせて、天を臨んでいた彼女がゆっくりと目線を下げる。
その目線の先には俺がいた。彼女の瞳には茫然としている俺の姿が映っているのが見える。
ぽす、と軽い何かを受け止めるような衝撃と共に目眩のするほどの薔薇の香りが俺を満たした。
俺のものではない甘い息づかい、涼やかな金属の心地よい音、頬に触れる瑞々しい手。
今、感じるもの、感じたこと。世界でそれだけ手に入れば死んでもいいと思わせる者。
「わたしの愛しいゼン、来てくれたのね」
―――シャラン
甘やかな蜂蜜の音色、脳髄がとろけてしまいそうな甘美な声色。
俺は今、リア・アフロ―ディア、そのしなやかな肢体の抱擁を受け止めていた。
誰もが羨む『女神の抱擁』を。
ちなみにリーシャの歌は歌詞をオリジナルにしておりますが、参考にした曲があります。
原曲はsound horizonの『辿りつく詩』です。
クロニクルのアルバムはゼンの冒険を書いている間は超絶ヘビロテです。これから着想を得ていたりもします。その話は今後出てくると思います。たぶん