戦後の波紋
グラック軍との戦いが終わってから2週間。
怪我もすっかり治った俺の朝は早い。
まだ夜も明けきってない朝靄の中で俺は馬にまたがっている。
軽装の革鎧姿で腰にはゼルと父上からもらった剣を佩刀し、背中には矢筒に収まったゼルの形見の弓と矢が入っている。
俺がゼルの弓を墓に入れようとしたら彼の妻のハーバルさんに止められた。それは夫が仕えたゼン様に持ってほしいと頼まれて、こうして俺の手にある。
弓は黒く重い木材で作り込まれた一級品。使い込まれても丁寧に手入れがされており、艶やかに黒く光り力強い。今の俺には弓を引くには少々固いがありがたくいただいている。どうやら軍の報償として王都の一流弓職人が作ったようで金貨10枚は下らないそうだ。
それを持ってどこに行くかといえば屋敷の近くにある林に行く。
この林は、リーンフェルト家の所有地であるので狩りなどは禁止されているが、リーンフェルト家の嫡男である俺は自由にできる。
背の高い木立に馬を括り付けて、俺は林の奥の方へと入る。
狩りの時間だ。
あの戦いから何故か不思議と弓が上手くなった。飛距離もだいぶ伸びて、夜目も視力も上がっている。
僅かな音も獲物の痕跡も見逃さず俺は獣道を歩く。
そして、目をこらし体勢を低くして草の間から獲物を発見。弓を静かに取り出し、矢をかける。
風が僅かに草木を揺らす音だけが林を支配する。
感覚だけで風の途切れ目がわかる。一瞬の無風となる隙間に俺は矢を差し込んだ。
心は当たるかどうかなどはもはや気にしていない。
空気を切り裂く小さな音共に矢は獲物の額を正確に射貫いた。
呆気ないぐらいあっさりだ。これまでなら一度構えて、精神を集中させて狙いをつけていたが、最近では呼吸をするの同じ感覚で矢を正確に放てる。僅かな風の流れで軌道を変える矢がどこに行くのかも手に取るようにわかるのだ。
もしかしたら、俺に祝福をあたえた神はゼルと同じ弓神なのかもしれない。祝福されているかどうかはまだ不明だが。
ドサリと獲物が地面に倒れる音がする。俺は身を隠していた場所から立ち上がり、狩った獲物へと歩いて行く。
今日の獲物はギルクーク、鹿のような動物だ。俺の身長を優に超えるほどの大きさで正直どうやって運ぶのか一瞬迷ったが、その場で感謝の祈りと血抜きをして、いったん馬の場所まで戻り、馬を引き連れてくる。俺は馬に乗せていた藁をゴザ状に編んだものでギルクークを覆うとそれを縄で馬と連結させる。皮も売り物になるのだがここで贅沢入ってられないのでそのまま引き釣って屋敷に戻ることにした。獲物を放置して、人を呼びに行けば他の動物に取られてしまうからだ。
屋敷に戻るとすでに日が昇り、朝餉の準備で女達が動いていた。
屋敷の敷地に住んで早2週間以上が立っている避難民はもう生活に慣れていた。居住している場所から少し離れた水場で女達がスープの準備とパンを焼いている。パンは小麦粉を練って焼いただけの簡易なもの。スープも採れた野菜のクズを煮込んでいるだけである。
俺が戻ると起きていた住人達が一斉に朝の挨拶と笑顔を向けてくれる。
「若様、おはようございます。あら!今日もまた獲れたんですね!」
俺が仕留めてきた獲物を見て女達の間から声がかかる。すぐさま彼女、この避難民の食事役のとりまとめをしている女性が飛んできて笑顔でそういった。
「ああ。今日はいい獲物が獲れたよ。夕食は豪華になるね」
俺はそう言って、馬から降りて獲物を結んでいた縄を解いていく。
「本当に若様は狩りがお上手ですね。村で生活していたときよりもよっぽどいいものを食べさせていただいております」
その女性は俺に近づき、縄を解くのを手伝うとギルクークを軽々肩に背負った。いつ見てもたくましいなこの人は。
「これぐらいしかできないからね。じゃあ馬の方もまかせていいかい?」
「もちろんですとも。若様はアイリ様達のところへお戻りください。後でお肉をお持ちいたします」
「ありがとう。肉は人数分だけでいいよ。後はみんなで食べて。皮は売るから村の革職人に渡しといて」
俺はそう言いつけると屋敷へと戻る。
「ゼン様、お帰りなさいませ」
屋敷の扉を開くとそこには深々と頭を下げているエンリエッタがいた。
最近彼女の監視の目が厳しい。今朝も俺が狩りに行こうと準備をして玄関の方に行くとすでに彼女がいて見送られた。戻ってくるのも馬の音で気がついたかと思うのだが、非常に鋭い。
あんな無茶な戦いをしたのだから甘んじて受けようと思う。彼女には心配をかけっぱなしなのだから。
「ただいま、エンリ。今日はいい獲物が獲れたから夕食が楽しみだ」
「お怪我はございませんか?」
じっと俺の方を見ながらエンリエッタが気遣わしげな様子で言う。
「もちろん、ないよ。大丈夫。朝食はできてる?」
「はい。もうすぐ奥様が降りてこられますので朝食に致します。お着替えに上がられますか?」
「そうだね。血の臭いがするからいったん着替えてくるよ」
俺はそう答えて、上にあがる。
エンリエッタは朝に狩りをしてくることにあまりいい気はしていない。グラックと戦ったとき、かなり少ないが逃げ延びたものがいるからだ。人の集落までは彼らも来ないが林の奥に逃げ延びても不思議ではない。それを気にしてエンリエッタは狩りをやんわりと止めてくる。
だが、戦いで食料を失った避難民達を食べさせるのにこの屋敷とトックハイ村ではギリギリの分量しかない。今は失われた村の畑にいき収穫を急がせてはいるが、避難民の食事事情は良くない。俺が狩りをするのもそれを改善するためだ。ギルクークの肉はこの屋敷の避難民全員には行き渡らないが、その骨からとれるスープだけでも彼らにとってはご馳走となる。革も村を再建するための費用となる。それを理解しているからこそエンリエッタは強くは言わないが、俺の身を案じていることは感謝しなければならない。
母上達との朝食が終わった頃にハーバルさんとアンが屋敷にやってくる。
彼女たちは屋敷の掃除や避難民達の世話を行う。午前中の間は俺は鍛錬を行う。ゼルがいないので俺と真剣に稽古ができる者はいない。なので大体が走り込みと型の稽古、弓の稽古、ときにはアルガスとベルグがやってきて稽古をするときもある。普段二人は村の食料を確保するために自衛団として、失われた村の畑の収穫の護衛をする。
今、俺は力を求めている。ゼルのような犠牲を出さないように一人でも多くを守れるように。祝福は当てにしない。使えるかどうかもわからないものに頼ることなどそんな甘えた考えではこの世界ではやっていけない。常に死があるのだ。祝福に悩まされている間に一振りでも多く剣を振るい、矢を放つほうがよっぽどいい。後は敵が祝福持ちであったときのために知識を得ることだ。
鍛錬が終わって汗を流して、昼食をとる。昼食は取ってきたばかりのギルクークの肉が出された。貴重な塩と薬草に包まれたしたたる肉汁とその味にに舌鼓をうって俺はトルエスさんの屋敷に向かう。その手には余分目に作った昼食が大きな葉っぱに包まれている。
昼からはトルエスさんと領主の仕事を行う。
父上は3日前にエーロック砦に向かった。王都から伝書烏が来たのだ。普通ならしばらく領地に滞在して事後処理に当たるのだが、王からの勅命でトランザニアへの警戒を厳にせよとの命令が下った。最初父上も難色を示したが、王命とならば騎士たる父上に拒否権はない。だが、王国軍の派遣と伝書鳥の貸与で納得することにしたらしい。伝書鳥とはアーコラスと呼ばれる魔物だ。白いカラスのような鳥で屍肉を食らう。王都でも珍しい祝福された魔物使いが調教した非常に賢い鳥で一度行った場所や世話をした人間を記憶する。父上と俺が世話をしたので何か起きればすぐさま父上にアーコラスで使いを出せば半日でエーロック砦に到着するらしい。この世界では貴重な情報伝達手段である。アーコラスは捕獲と調教が難しく人の手には懐かないが、魔物使いによって人の言うことを聞くようになる。調教されたアーコラスは非常に高価で貴重なためリーンフェルト家では手に入れられないほどのものだ。確か、金貨250枚ほどになると言われる。優秀な情報伝達手段なら妥当な金額だと思う。今は父上が持っており、砦に到着すると屋敷に戻す予定だ。砦の位置を覚えさせるために。
「お、来たな。ゼン。いい匂いじゃなか」
トルエスさんの屋敷の玄関を叩き、中に招かれるとトルエスさんはそういった。
「ギルクークですよ。昼食は食べましたか?」
「いや、さっき起きたばかりだ。悪いが先にそれを食べてもいいかな?」
トルエスさんは少し痩せて、若干不健康そうな顔で俺が持つ包みの方を物欲しそうに見る。彼は完全に昼夜逆転している。夜方が静かで邪魔が入らないから書類仕事に向いているんだとよく言っているので昨晩もまた夜遅くまで起きていたのだろう。
「では、台所借りますね」
俺はそう言って勝手知ったるトルエス代官の屋敷に入っていく。
トルエスさんの昼食が終わり、彼の書斎でいつものように書類を整理したり、書き方を習う時間が来る。
代官の仕事は大きく分けて三つ。一つは領地運営、二つ目は王国への報告、そして三つ目が情報収集。領地に籠もる貴族の領主達は大体領地運営と王国への報告だけを済まして終わる場合が多い。彼らは外の世界よりも自らの領地を繁栄させることだけを念頭においているからだ。だが、聡い者や王都で代官をしていたものは情報収集の重要性を理解している。慣例的な貿易をするのは楽ではあるが利益を考えると、他領の収穫状況や戦の発生といった情報を握っているだけで利益が倍になる商機が掴める。大きな領地を持つ侯爵ぐらいになるとアーコラスを多数所有して情報戦が始まる。だが、このリーンフェルト領では早馬が精々であるので情報収集の早さに難点がある。トルエスさんは苦心して商人達を抱き込み、早さは劣るもののできる限り手広い情報を集めてくる。
今も彼は商人からもたらされた情報を読んでいる。毎日ではないので週に一度か二度ほど大量に手紙がくるために俺がそれを手伝うようにしている。
「あー困った、困った」
不意にトルエスさんがワザとらしく声を上げてくる。こちらをちらりと見て声をかけてほしそうにしている。
立派な木の本棚と美しい焦げ茶色の木目が目立つ重厚な机と革張りの椅子。暖かな秋の日差しが入ってくる書斎に着崩した文官服で頭に両手を当てて、椅子にもたれたトルエスさんがだらしない姿で座っている。机の上は本やら書類や手紙で散乱していて、インク瓶を置く場すら困ってしまう有様だ。
「・・・どうかしたんですか?」
また酒が飲めないと俺は死んでしまう、とか言い出すのではないかと勘ぐりながらも俺がたずねる。その言葉を聞いてトルエスさんが一枚の書類を持ち上げてピラピラと書類をもてあそんだ。
「村の再建費用がどーしても少し足りない。王国もヘルムート辺境伯も費用は出してくれるのだが、何度計算しても足りないんだよ」
意外とまともなことだったので俺は安心しつつ答える。
「商人達から借りるのは・・・無理ですね。あとは・・・蜂蜜酒をある限り売るとか?というかいくらぐらい足らないんですか?」
リーンフェルト領は規模は大きいが商圏としては小さく、それ以上に貸しても戻ってくるという信用がない。商人達が貸してくれても少額だろう。
「金貨400枚ほどかな。商人から借りれる金額ではないな。ゼン、こういう費用っていうのは貸しますよ、といってから実際に借りられるまでに時間がかかる。辺境伯も王国も費用が借りられるのは来年以降になる」
「・・・それはまずいですね。食料がギリギリたりたとしても他の生活雑貨が全然足りてません。冬を越すための毛布や油とか」
「このままでは冬が開けたら死人で溢れかえるぞ」
そのトルエスさんの言葉に俺は暗く沈黙してしまう。リーンフェルト領は極寒とまでは行かないが毛布もなしに冬は越せない。
「何か俺にできることありますか?」
俺は藁にもすがる思いでトルエスさんに聞く。
その言葉を聞いたトルエスさんは姿勢を正し、厳しい目で俺を見てくる。
「なんでもするか?」
「道徳と名を汚さないことであれば」
俺も姿勢を正してトルエスさんの目を見つめながらそう答えていた。
「わかった。その言葉しかとうけとめた。ならば辺境都市オークザラムにいってヘルムート辺境伯と交渉しよう。そのときはゼンも一緒だ」
威厳に満ちた声でトルエスさんはそう言い終わると途端にニヤリと人の悪そうな笑顔をして続ける。
「それとゼンの婚約者探しもだ。ちょうど運良く茶会の招待をヘルムート辺境伯からいただいていてね」
そのトルエスさんの一言に俺は頭痛を覚える。
絶対この人楽しんでるな。珍しく重い話題をして俺の何でもするという言葉を引き釣り出して言ったに違いない。
グラック軍に次いで俺の生活をかき乱す言葉に俺は言いしれぬ思いを抱いていた。
秋の晴れた午後の出来事であった。
トルエスいい仕事した!
ゼン君嫁探しの旅に出るの章が始まります。
がんばれゼン君!