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双望の継承者 〔 ゼンの冒険 第一部 〕  作者: 三叉霧流
九章 堕天の王都(上)
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世界の猛毒

 少し曇り空の中、俺は市場の油問屋の二階へ続く階段を上る。

 目的の人物は、日頃から一定の行動を取らない。仕事はしているのだかしていないのだか、図書館や町に出て常に何かを探しているようなそぶり。

 早い話が、雲を掴むようなものだ。連絡手段がないため、手紙を使って日時を知らせてこうして訪ねるしかない。呼び出し、なんてことをしても先生はきっと笑顔で訪ねてくるけど俺はこれでも彼の弟子。師として尊敬はしている。こちらから訪ねるのが礼儀だろう。

 ノックをして、中に入ると、いつものように窓際で書き物をしていた先生は微笑みを向けてくる。

「弟子ゼンよ。お久しぶりですね。お怪我はもうよろしいのですか?」

「はい、先生。もう稽古をしても大丈夫なぐらいですよ」

「そうですか。それはよかった。お茶の準備をしましょう。さあ、寒いので中で暖まってください」

 ヒステリィアさんはそういって立ち上がりお茶の準備を始めた。

 近況報告、みたいな感じで互いに雑談をし、ヒステリィアさんからは就任のお祝いの言葉をもらって俺は切り出す。

「魔法の根源ですか。なるほど、弟子ゼンもこう言ってはなんですが・・・俗世に入ったのですね」

「最近、悩まされていて困っているんです」

 ちょっと意外な顔でヒステリィアさんは苦笑する。

 俗世とは聖職者らしい言い方だが、残念ながら俺は常に俗世を気にして俗物的だ。

 単にこれまでヒステリィアさんが教えてくれることを素直に学んでいたに過ぎない。

 魔法の根源、ヒステリィアさんが俗世的だと揶揄したのは正しい。それは強大な力を理解したいという欲望の始まり。この世界が俺にとって異質さと違和感を残す最大の元凶だからだ。

 でも、そうだとしても先生が俺を否定する権利はない。俗世、俗物の代表たることをしているのは先生なのだ。世界の歴史を知り、それを知ることが神につながることだと信じているこの人が魔法の根源を求めていることには変わらない。

 唯一、先生と俺が違う点といえば、それを知ったときにどうするか。

 先生はただそれを知り観察者に徹し、俺はそれを利用し役立てる。

 とはいえ、魔法も神の言葉さえも聞いたことがない俺が魔法の根源を聞いたところで何もできないのはわかっている。

 だが、どうしても気になるのだ。

 自分を取り巻く状況が、理解できない。

 まるで自分の知らないルールでゲームをさせられているもどかしさと不安だけが日々蓄積する。そのゲームはある程度こちらのやり方が通じるが、不意に駒が予測不可能な変化を起こしては指し手として未熟すぎる。

 ヒステリィアさんはちょっと難しい顔をしながら言葉を選ぶように聞いた。

「弟子ゼンよ。その質問は非常に答えるのが難しい。魔法とは何かを説明する前に、神とは何かを理解せねばなりません。卑賤な身でありながら神々とは何かを講義するのはおこがましい。故に、私の理解の仕方でもよろしいですかな?」

「ええ、もちろんです」

 そう俺が返すと、微笑みながらヒステリィアさんは始めた。

 実に、先生らしいやり方で。

「神とは歴史なのです。世界に保存された記憶ともいいますか」

「世界に保存された記憶?」

「はい。時の概念を越えた存在であり、神々はその時を超えた記憶の総体です。たとえば、ここにあるお茶を私がこうして注ぎますよね。で、このお茶を我が弟子が飲む。もし、ここで私がお茶を注いだカップ。それが世界に記憶されなければどうなりますか?」

「記憶されなければ・・・現象としては何も入っていないことになります」

「そうです。現象として私がお茶を注いだ事実が記憶されずにお茶が入っていなかったことになります。お茶を入れたという事実が失われて、我が弟子はお茶を飲めなくなる。これが世界の記憶です。ゼンや私が存在しているというのも現象が世界に記憶として蓄積されるからこそ、存在しているのです。いわば、現象が連続的に記憶されているから存在しているともいいますか。そして、未来もまた記憶です。聞いたことありませんか? 神は神の願いを叶えるために人を祝福すると」

「あります」

「なら話は早い。未来を確定するために必要なこと。それは生命としての意識です。主は何故、自らの身を分けて完璧な世界を、不完全にしたのか。創世の歴史では語られていません。ただ主も孤独をいやがったのかもしれません。ですが、一つ分かることは生命によって世界のあり方は大きく変わる。自然を開拓し都市を築く、農地を築く、人の手は自然を変えるだけの力があります。もし大地や海、大空だけの自然のみの世界であればより単純な世界ができあがったでしょう。何者にも犯されることのない記憶として。しかし、主は生命を創造した。世界を変えるだけの力を与えた。この世界はより複雑な未来を獲得し、人族だけではなく魔族、魔物といった多様性によって世界の未来は不確定なものとなりました。いわば、神々が望む何かのために、世界は不確定な未来、らしいものを手に入れたわけです。ただ、その不確定な未来もまた歴史の流れに沿った一本の道筋です。未来もすでに記録であり、確定された神が望む何かのために生まれたに過ぎません。今、我々の前にあらわれている神々はその道筋を作る水先案内人。記憶の大河で歴史が迷わぬように灯りを持った船頭なのです」

「それってつまり、私たちの過去も未来もすべては神によって定められているということですか?」

「ええ、その通りです。カップは人が飲み物を飲む容器だと定められているように、神は生命の歴史を注ぎ続ける器なのですよ。膨大で流動性をもった可能性という水をこの世界が飲み干すための器。世界の視点からみれば生命が生まれ、終わるまですべての歴史は大きな円環のようにつながっている。私たちは現在しか知ることはできないので過去と現在を知り得ますが、神は未来も知っている」

 壮大すぎる話に躊躇してしまうが、それはどこか気色が悪い。

 怖気すら走りそうな箱庭だ。

「それはすごく―――気分が悪いですね」

 俺素直にそう言ったらヒステリィアさんはいきなり笑い出した。

「ハハハハ! 我が弟子は面白いですね。カソリエス教会の信者であればそれは福音なのですよ。人は定められて生きている、主の慈愛が人の歴史を導いてくれると言うね」

「私は敬虔な信者ではないですからね。どちらかというとその未来を変えてやりたいと思います。人は自らの可能性だけで、未来を築く。そう信じたい」

 そういった俺にヒステリィアさんは興味深そうに見て聞く。

「それは人ならざる所行ですが、ここからは言葉遊びですけども、たとえばこのお茶の中に一滴の毒が入ればどうなりますか?」

「毒ですか? 飲めなくなります」

「ええ、運命を殺す毒。それがもし存在するとしたらその毒はこの世界の理から外れたものになります。理から外れた存在。はじめからこの世界に存在しなかったものだけがこの運命を殺す毒たりえます」

 言葉遊び、とはいったがその内容は俺の心を動揺させるだけの力があった。

 なぜなら、俺は、いや禅という記憶はまさにこの世界のものではない。

 いわば、この世界から外れた記憶。

 ヒステリィアさんと同じように俺は戯れ言のように尋ねる。

「―――そんな存在があると思いますか?」

「それはわかりません。もしかしたらという人物には注目していますがね。でも、ひとつ歴史を振り返ってみると神を殺したと言われる猛毒がありました。時に5000年前、暗黒時代を築いたとされる悪魔エオ。イオやエーオとも呼ばれたこともあるこの悪魔は世界から神の慈愛を払い、世界に混迷を与えました。人は生きる定めを失い、文明は何世代も遅れたと」

「それは人なのですか? 悪魔なのですか?」

「悪魔に魅入られた人間だったと古文書にはありますね。そして、その血を分けた人間は今もなお生きています。もはや古い異端書に記載されたイオニア人と呼ばれるエオの民族は現在でも異端審問の対象です。5000年もあると民族としての血筋は薄れて形骸化しています。自らがイオニア人の末裔ということも知らない者も多いでしょう」

「イオニア人・・・どのような民族だったんですか?」

「神に反逆する者達。神を畏れない民だったとされています。見かけはごく普通の人間ですので見分ける方法ありません。しかし、イオニア人は知能が高く古代の錬金術師、思想家、さまざまな技術を残した技師達、巨万の富を築き上げた商人がその末裔であると信じられています。神に頼らないため彼らの合理性は他の民族よりも圧倒的ですからね。ちなみにそれらの者達が残した技術や思想も異端の対象となりますよ」

「なにか・・・矛盾しているような気がします。暗黒時代をつくったエオ、文明が何世代も遅れたのにその民族は高度な技術を持っていたんですよね。おかしくないですか? そんな民族が繁栄すればもっと文明は発展するはずです」

「良い質問ですね。でもそれは危険な発想です。高度な文明を有すればときにそれが騒乱の要因となります。悪魔エオ亡き後、イオニア人が築いたイオニアンという国は滅びています。何があったかは歴史にも記されておりません。神書には人の罪の象徴たる都市や技術が神の炎によって滅びた、とだけ記されている。繁栄した民族が滅びたとあれば、失うものは数多い。それが文明の遅れを誘発するおそれだってある。しかし、私は君のように知りたい。人の罪とはなんなのか、神はなぜ滅ぼす対象にイオニアンを選んだのか。それは私の研究対象の一つでもあります。歴史から抹消された人の罪を知れば、さらに神の真意に至れるものだとね」

「・・・俺の発想を危険だという先生のほうが危なっかしいと思いますよ」

 俺が意趣返しで返した言葉に先生は実に楽しそうに言う。

「ええ、だから私は異端審問官から外れたのですよ。神に至る道、それは教会からすればただの害悪でしかありません。聖職者は神を崇める、信仰するための存在ですからね」

 ほんとうにこの人は危なっかしい。それこそ異端として火あぶりにされなかったのが不思議なぐらいの人だ。

 そういえば神に至る道、それを求めた人物の名を聞いたな。

「ヘルズマンという人物のことを聞きました。彼もまた何かした人なのでしょうか?」

「ほぅ。なるほど案外、我が弟子は色々と知ることが多いようですね。ええ、ヘルズマンは古代の著名な錬金術師であり、イオニア人の末裔です。が、ただ彼の御仁の場合はかなり過激で悪魔エオの思想とは袂を別ったはずです。歴史は繰り返す。頂に登れば登るほど外法を享受することが多くなります。悪魔エオ然り、墜ちた賢者ヘルズマン然り」

「ヘルズマン思想は知っています。自らが神へとなるための思想。では、悪魔エオの思想とはどのようなものなのですか?」

 俺の質問に、ヒステリィアさんは眼鏡の奥に潜む目を微笑ませる。

「禁書にはこう記しています。悪魔エオは神を殺し、この世界から魔法を消そうとした神を愛せざるもの(メフィストフェレス)。この世界の猛毒であり、あらゆる生命の敵です」


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