任務のはじまり
午後一番で俺は歩いて登城した。
天気は快晴。太陽と紋章を飾ったマントのおかげで寒い思いをせずに広い庭園を歩いている。
俺が向かっているシャンボール城は優雅な尖塔を青い空になびかせているが、その背後にはいかめしい灰色の壁。
美しい芸術の結晶であるシャンボール城と戦の結晶である城壁。この城を取り囲む三重の城壁には見張りの近衛兵も相まってこちらを威嚇するような重厚感があった。
この三つの城壁にはそれぞれ意味があり、王都をぐるりと囲む市街壁は外部からの防衛。軍部や宮内区、大貴族達の邸宅を含む旧城と呼ばれる第二の城壁には市街に住む内部の市民達から城を守るように築かれている。市街壁は優に及ばず最も高い場所で10リル、それに引き続き6リルの旧城、シャンボール城を守る最終防衛ラインの3リルの城壁だ。厳密に城壁を示す言葉はシャンボール城を守る壁を指し、シャンボール城は防衛の堅牢さよりも芸術性を優先し、防衛のすべてを城壁に任せている。しかし、一旦市街壁が攻め込まれたら俺が歩いている広い庭園はたちまち軍の幕舎に囲まれて籠城戦の準備を始めるだろう。庭園に流れ込む水はすべてが地下からの恵み。
築城ということに関してはそこまでの知識はないが、城の地下に籠城するための武器や保存食ぐらい備蓄しているのは目に見えている。抜け道の一つや二つ、あるいはあらゆる場所にアクセスする秘密の通路があっても不思議じゃない。
城の立地や街の区画は歴史だ。歩くだけで戦いの剣戟と怒号が聞こえてきそうな雰囲気がある。
それにしても登城するは楽だった。ほとんど顔パスなのだ。
城壁をここまで作り込んでいる王国だけあって、登城するのもかなりシステム化されている。が、その手続きは非常に煩雑で時間が掛かる。登城の手続きは厳重に管理され、申請書類と推薦状などを宮内区役所で提出してから、謁見内容の担当大臣の承認を受けて、後日登場許可書を受け取り、宮内の担当文官が城を案内するという流れだ。これは王都の市民ならば誰でも窓口が開かれている。逆に、王都以外の貴族達が謁見を申し込む場合は領主自身の手続きも必要なのでさらに時間がかかる。
手続きの例外は王都内でも宮廷貴族の大御所や家名と教養が確かな侍女たち、近衛騎士などになる。宮廷内では専門的な下働きをのぞきすべて子女。女性の比率が高い。
貴族ばかりの世界。忙しく働いている人たちをみるとなんとなく一人だけ取り残されたような気がしていた。周りには仕事という時間の流れで動いている人たち。俺は友達に会いに来たというかなりふざけた理由だ。
仕事と思えばもっと気が楽になるのだが、俺はこれを仕事だとは思っていない。あくまで学園の友人として会いに城を歩く。
そう思うとロラスが自分と一緒に過ごした時間が不思議に思えるな。ロラスは王子様なんていいものじゃなくて、悪いところ良いところももった人間らしい奴だ。こんな場所よりも街で一緒に市場を歩くぐらいになればもっと面白いところが見られる。
感傷的になりつつある心が少し楽になる。
すでに目の前には見上げるほどの美しい城。
城の入り口にある石階段を上り、守衛の近衛兵に挨拶をして中にはいった。
城の玄関ホールは小さな屋敷ぐらいなら飲み込んでしまえるほど巨大だ。二階を貫く吹き抜けで、二股になった白い大理石の階段には青い絨毯。金箔や黄金でできたシャンデリアや一流の芸術家が描いた王家の似顔絵、天井には宗教画。まさに豪華絢爛だ。城だけでも一都市が買える、といわれても不思議ではない。
ガヤガヤと宮廷の文官が行き交い、美術品を眺めながら会話を楽しめるように備え付けたベンチで打ち合わせをしている。近衛兵は10人ほど。この空間だけでも30人がいる。
「ゼン君じゃないか」
俺がキョロキョロと辺りを見ながら案内役の文官を探していると階段の側で誰かと話していたブリエンヌ団長が爽やかな笑みで手を上げた。男装の麗人という言葉がふさわしい美人。白銀の鎧と近衛兵のマントを着こなしている。
「お久しぶりです。ブリエンヌ団長」
俺が近づき、礼をして挨拶すると嬉しそうに団長は俺のを肩を叩く。
「久しぶりだ。君の活躍は聞いているよ。もう体は大丈夫なのか?」
「はい。おかげさまで直ぐに治りました。ちょっと驚いています」
「あははは。王都の医師は騎士泣かせだからね。嬉しいが、少々の怪我では戦場から逃がしてくれないよ」
春の風のように笑う。
実に女傑っぽい言葉だ。医療レベル、言葉を選ぶとして回復魔法は禅の知識を遙かに凌駕している。知識とは自然科学に基づくため理解できない原理の魔法は、ただの経験からくる予測でしかないが、即座に傷を治す魔法は禅の知識にある戦場とはかけ離れたものになる。より戦略的な軍議の際にはあまり変わらなくとも現場は彼女がいうように兵士はより酷使される。率直に言うと、死ぬまで馬車馬のように働かされるのだ。ただし、回復の魔法士は限られているため、血筋と優秀さがあるものだけ。
大多数の兵士は簡単に死に、神の愛に守られた一部の兵士は生き延びて、延々戦を続ける。
それを神の愛と呼ぶには、少々血なまぐさくて閉鎖的だ。
「守るべきものがある限り戦場に立ち続けるのは喜びですよ、団長」
俺は微笑んで自分の皮肉を笑顔に隠す。
受け入れるべき現実を皮肉で彩るのは楽しいが意味はない。ここで意味をなすのは結果のみだ。
「武官の鏡のような言葉。さすが、トルイ卿のご子息ですな」
俺の言葉に感心したように頷き声をかけてくるのは、団長と会話していた文官服に身を包む好々爺といったご老人だった。
だが、ただの文官ではない。その胸には大臣であることを示す金の装飾と小さな宝石がちりばめられた深緑色のベレー帽。城で帽子を被れるのは官位が二級以上だ。金の装飾や帽子といった身を飾り立てる装飾品は、官位によって定められている。官位や爵位によって正装となる服装が異なり、もしそれに違反すれば不作法もののレッテルが貼られてしまう。
ここでの結果とは、俺の言葉がルーン王国に仕える貴族としてふさわしいか。その印象をこの人物に与えられるかという点だ。
「私のような者にソルベール卿の言葉、光栄でございます。父上の名に恥じぬよう日々陛下とこの国のために微力を尽くせればと」
「ソルベール卿、カール公やヘルムート伯が期待するのも頷ける少年でしょう。私もまた彼には期待しているのです」
篭手の重い衝撃を受けた。団長が満足そうな晴れやかな声で背中を叩いたのだ。ちょっと痛い。
「ええ、私もまたその期待に投資したいですな。最近では軍で冴え渡る活躍と、なにやら面白い事業を考えているとか」
ジャスティス・ソルベール伯爵。晩餐会の時に軽く挨拶しただけに終わったが、彼はこの国の財務大臣だ。皺に包まれた草原のような瞳を緩く微笑ませるが、若い頃にはグリゼリフ陛下とこの国の財政難を「生産しない金利生活者は国を漁るネズミに等しい」という苛烈な言葉で国債の金利を切り詰め、外国からの労働者の流入や輸入の関税を重くする政策を打ち立て実行した人だ。代わりに産業区の工場地帯を手厚く出資して経済成長を促した功績をもち、30年間もの間財務大臣の座についている。
優しい顔にだまされてはいけない大御所とでも言うか、たぶん味方だけど気が抜けないと言うか。晩餐会の時にはリーンフェルト領の毛織物産業について聞かれちょっと困ったことがあった。ヘルムート伯の名を出して煙に巻いたけど。
「私は友人に恵まれておりますから。これも主のお導きです。上手くいけば、事業のほうでソルベール卿にご助力いただくかもしれません」
ドムソールのブーツ。それが商品化すれば得意先はまずカール公が納める軍部になるだろう。工場の敷地や建設、材料の輸入という莫大な資金が国か、カール公かのどちらかになるかは分からないが競争させるのもありだ。
主の威光と微笑みで商売臭さを消しつつ俺は迷わず口を開いていた。
「それは興味深いですな。是非一度ゼン卿とはゆっくりお話ししたい。夕食に屋敷にご招待したいのですが、よろしいですかな?」
おっと。これは思わぬところでいい話が舞い込んできた。
ソルベール卿は財務大臣でこの国の財布の番人だ。普通なら俺が直接話すような人物ではない。直接話ができる機会を作れるようになれば色々と手段が増えるだろう。
それに、彼はあのガーラン公の上司。
宮廷。この戦場はオセロのようなものだ。打ち負かす相手を自分の味方で取り囲み、相手を自分の色に染める。まあ、あのガーラン公に宮廷のルールが通じるとは思わないけど、彼と対等に話すだけの道筋と協力者は得ておきたい。情報もほしいし。
「ええ、是非」
「それは楽しみですな。年寄りの話ゆえ、退屈させるかもしれまんが許していただきたい」
「いえ。ソルベール卿に招かれるなど故郷の父上にいえば驚く栄誉でございますよ」
「その話、私も乗せていただきたいのですが、ソルベール卿」
と、俺たちの会話を聞いていたブリエンヌ団長は微笑みのままでそうはいってきた。
どうやら俺のことを心配しているようだ。ありがたい。
「もちろんですよ、ルーカン卿。・・・・・・楽しい時間はあっという間。そろそろ、職務に戻らないといけませんな。後日お二人には従者に連絡させます。あと、ルーカン卿、あの件はよろしくお願いします。では」
そう言うとソルベール卿はその場を去って階段を上がっていく。
俺と団長はそれをしばし見つめて、
「なかなかに君も大物だな。あのソルベール卿に屋敷へ招待されるとはね」
苦笑交じりに小さく笑って団長は言った。
「ずいぶんと名前だけは大きくなった気がしますね。ついでに身長ももっと早く伸びれば嬉しいんですけどもね」
「ははは。君なら大丈夫とは思うけど十分に気をつけなければ不必要なことに巻き込まれる。私は、さっさと軍に行く方が気楽で良いと思うよ。いまここの空気は重い」
団長は微笑みつつも目を鋭くする。
重いか。宮廷内で何が起きているかはわからない。
城の警護をする近衛騎士団の長と国の財布を任された財務大臣。二人の間で交わされる約束が重い空気になるのだろうか?
「助言ありがとうございます。もし何かあれば助けてくださいね、団長」
俺の言葉を聞いた団長はニヤリと笑い、腰の剣の柄を軽く叩く。
「難しいことは願い下げだが、これで守ることは得意だ。で、君は何をしに来たんだい?」
「ああっと。本題を忘れていました。ロラス殿下に会いに来たんです」
目的を告げたら団長は眉を少し寄せて苦い顔をする。
「わかった。取り次ぐだけ取り次いでみよう」
俺はその顔に不安になる。
◆
「隊長、カール公よりいただいた予算のことですが・・・大丈夫ですか?」
「あ、すみません。」
机に座って呆っとしていた。
目の前にはシェーリィさんが書類の束を持って立っている。
俺は陸軍本部が用意した部屋で書類仕事をしていたのだ。ホールのような石の狭い部屋で、質素な木の机が三台と応接用のソファーとテーブルと地味。でも人数が多くなっていく陸軍本部で貴重な一室をわざわざ貸与して貰った。
「お疲れのようですね」
疲れたと言えば大したことはしていない。ロラスに会いに行き、会えなかったのだから。取り次ぎを頼んだ団長がとても申し訳なさそうにしていたのでそれ以上何も言えなかった。
しばらくは通っていよう。こういうのはすぐに上手くいくことじゃない。
まずは地道に、誠実に毎日通ってみることだ。
自分にいまは仕事だと言い聞かせて、答える。
「ええ、昨日はちょっと火遊びが好きな人に付き合わされていたので。でも大丈夫です」
俺は心配そうに見つめるシェーリィさんに微笑んで心配ない伝える。
「それって俺のことか?」
赤毛の迷惑男がのんきに聞いてくる。
「そうだ」
「いやいや、あんな素敵な夜は滅多にねぇぜ?」
自分の机があるのにソファで書類を書いていたレクターが不満げだ。
不思議そうに俺たちの会話を聞いているシェーリィさんをちらりと見て、
「ああいうところは初めてだからな。よくわからん」
「よく言うぜ。初めての奴があそこまで平然とするわけがない。あしらいも堂々としている奴が何をいってるんだか。まっそーいいうことにしておくか」
俺がシェーリィさんに目線を向けていたのに気がついたレクターは、はいはいといった様子で仕事に戻る。
紛れもなく初めてだ。ただ禅の経験が豊富にあっただけだ。
「昨日、レクター中尉と何かあったんですか?」
首を傾げつつシェーリィさんが尋ねてきた。
かなりわかりやすい会話をしていたのだが・・・。意外とシェーリィさんはその辺が疎いのかもしれない。
「ちょっと食事をしただけです。で、予算がどうしたんですか?」
「あ、はい。カール公の予算枠組みの件ですけど、私がこういった場所の予算組みをしたことがなかったので項目の確認をお願いできますか?」
渡された書類に目を通すと、シェーリィさんが困惑する理由が分かった。
カール公が組んだ予算組みは基本的に文句のつけようもないのだが、彼女にとって使途不明金が多すぎるのだ。使途不明金とは言わないか。使途不明予定金だな。
秘密活動費、情報収集下工作費、情報収集工作費が六割を占めている。後は俺たちの人件費。オリエルの依頼料はこの三つの予算に振り分けられる手はずになっている。あの人は軍人でもないただの民間人だからな。カール公はよく許しているよ。あ、夜闇の帳があるから見逃しているのか。まあいい。
ルーン王国は帳簿管理が徹底している。物を買う、あるいはご飯をおごる、そういった場合にはかならず証文が必要になってくる。売るのも買うのも証文を交換して、その商品を追跡できるようにしているのだ。しかも徹底ぶりは極力金銭の直接取引をしないことにある。国に何かを売った商売人は証文を銀行に渡してその現金を得る。お金を挟まないことでトラブルを防ぐ。
なので必要なものがあれば、あらかじめ予算を任されている上司に言って証文を書いて貰い、商品と交換する訳なのだが、俺たちの部署の予算は何か買った場合の証文が必要ではない。買った物の証拠がない支出、つまり使途不明金になる。
事務官でその辺が骨身にまで染みついたシェーリィさんが困惑するはずだ。帳簿管理を任された事務官の格言「常にペンをもて」「インクで汚れた手こそ我が栄誉」をたたき込まれた彼女には証文のない帳簿など武器も鎧も持たずに戦場にでるようなもの。賠償責任を法廷で訴えられない。
「これで大丈夫ですよ。サインしますから置いておいてください。あと、すみませんお茶いただいていいですか?」
「わかりました」
シェーリィさんは書類を置くとお茶を入れに部屋を出て行く。
俺はそれを見送って、ソファで昨日の報告書を書いていたレクターに目を向けた。
「レクター」
「んー?」
鼻で返事とは。年齢的に間違っちゃいない。
「昨日の娼館の料金。ここに書いて」
「はい?」
レクターは素っ頓狂な声を上げて俺を見た。不思議な物を見るような顔で俺と机の上に出した申請書類を見比べる。
「どういうことだ?」
「情報提供料だ。昨日はいい情報をもらったからな」
彼は目を細くして意地悪そうな顔で笑った。
「俺がなんの情報を隊長殿に売ったんだ?」
「闇夜の帳とこの国について。ついでにレザニエス男爵家の実業かな」
「アハハハハ!」
レクターがビックリするぐらいの大声で笑った。額を叩いてそうかそうかと呟いている。
やっぱり試されていたんだな。かなり大ざっぱな推測だけどどうやら当たっていたようだ。
「なるほど。隊長殿は勘がいいなぁ。鋭すぎておそらく誰もついて行けないぞ。先に行きすぎて独りにならないようにな」
「・・・・・・大きなお世話だ。で、書くのか書かないのか?」
「違いない。ちなみにいくらだと思う?」
レクターは立ち上がって俺の方にやってくると、机の上に座って書類を手に取っていた。
あんな高級娼館で豪遊なんて経験がない。
「金貨五枚ぐらいか?」
「七枚。娼館が初めてってのは間違いないんだな。もし安いので遊んでいたなら止めといた方がいい。病気がうつるぜ?」
ニヤッと笑いながらレクターは俺の羽ペンで書類にサラサラと記入する。
「忠告痛み入る。二枚分は任務で返してくれ」
「ひどい言いがかりだな。で、なんか任務あるのか?」
「薬を買ってきてほしい」
俺は勘の良い部下に今日の任務を通達する。
「あー、もしかして・・・・・・王都に出回っている薬を全部集めろと?
「そうだ。引き続き情報収集しながら最近で回ったヤツを重点的に」
パタパタと書類で風を起こしてこちらをうかがうような顔でレクターが俺を見ている。
「そりゃいいが。品質管理は徹底しているし、他のところの勢力の薬は調べているはずだがな。それをわざわざ調べるんだからかなり専門的な学者がいないと意味はないぞ? 調べるところのアテでもあるのか?」
なるほど。それはレクターが心配するはずだ。麻薬というのは犯罪組織の収入源でもあり、非常に複雑で繊細な市場競争が起き、ニトログリセリンのように不安定で抗争という爆発を起こす劇薬だ。必然的に品質管理が徹底され、組織の威信をかけて流通量が制限されるだろう。
そして何よりも麻薬の成分を調べるには専門の人材と施設が必要になる。だが俺にはその専門的人材の天才の友人たちがいるのだ。
「それは任せてくれ。レクターは怪しげな薬をなるべく買い込んで俺に渡してくれたらいいんだ」
そうそう。俺はそれをトートシアさん達に分析してもらって、余ってしまったもったいない薬を使って沈痛剤の精製を試すのだ。仕事と実益という一石二鳥の完璧な計画だ。
「了解。頼むから隊長が薬に溺れないでくれよ。せっかく楽しくなってだからな」
「ネコババするなよ、レクター」
心外な心配をするレクターに軽口を叩くと、お茶を持ってシェーリィさんが戻ってきた。
さて、残りの書類を日が落ちるまで片づけないと。
夜はジャン副隊長と一緒の楽しい哨戒だ。
財務大臣とガーランのつながりを覚えている人ってどれぐらいいるのだろうか、と疑問になります。
書いている本人も忘れそうになっていますし・・・。