幕間 リア達の帰り道
川からの冷たい風が吹く王都の夜。
石畳は昼間の熱を失い足下から寒気が這い上がり、ぽつぽつと歩く人々はランプを手にして、暖をとろうと肩を寄せ合っている。
アフロ―ディア一座たちが泊まる王都一の宿へ帰っている間、リア達は一言も話さなかった。輝く虹食堂では楽しそうに退院祝いをしてたのにも関わらず。
静寂と風五人の間に吹き込んでいる。
五人とも思案顔で視線をあわせていなかった。
キスラは、フェスティナさえも黙っている空気に耐えきれず、石畳に落としていた視線をリアに向けた。
「座長、いいのですか?」
キスラが白い息とともにぽつりと呟いた言葉に三人がリアへ視線を送る。
リアは隣にいるリーシャに一瞬目を向けて、キスラへと振り向いた。
「何が?」
「ゼン君のことです」
その答えにリアは苦笑する。
「貴女が一座の規則を見過ごすのは珍しいわね」
「それは・・・」
キスラはそれ以上言うとリアを困らせるとわかってしまった。キスラの目には苦笑するリアの顔、そのほほえみが固い。太陽の笑みを浮かべる彼女が見せた陰りだった。
リアは悲しみをたたえた微笑みでキスラに声をかける。
「いいも悪いもないわ。これは私が選択したことだし、もし座長の私が彼にそれを教えたら私は一座をやめることになる」
「でも、愛に生きるのがアフロ―ディア様の神話ですよぉ~。結局、アフロ―ディア様も好きな人のために一座をほっぽり出したんだし、いいんじゃないですかね」
帽子の位置を直していたフェスティナがのんびりと声を上げる。
フェスティナが言うアフロ―ディアとは、初代アフロ―ディア。小さな国を五つ滅ぼしたと言われている伝説の歌姫だった。彼女は五つの国を滅ぼし、一座を作り上げたが、惚れた男性のために一座の掟を破った。
リアは立ち止まった。その視線をフェスティナから外し、空を見上げた。
王都は冬の時期に雨が降る。天気が悪い日が多いが、今日は晴れ渡っている。薄い雲さえ見えず、満点の星空が光を降り注いでいた。
―――そろそろ冬も終わるわね。
リアはその空を見ながらそう思った。春の訪れは雨と寒さを追い払い、人々に太陽の慈悲と恵みを与える。
その情景を思い浮かべて、彼女は清々しく白い息を吐く。
「大丈夫よ」
「え?」
キスラが思わず声を上げてリアへ聞き返していた。キスラだけではない。フェスティナ達もその言葉に胸中では驚いている。
「だから大丈夫なのよ、あの人なら」
「大丈夫って・・・トランザニアは完全に戦争状態へ入ってますよ。リーンフェルト領はトランザニアのすぐ横。ゼン君の領地が危ないんですよ」
キスラは慌てて言う。
アフロ―ディア一座の行程を変更する理由。
それは二つあった。一つはゼンに説明したトローレスの巡業が難しくなったこと。
もう一つは、トランザニアが人の流出入を制限したのだ。それも他国へ内情を知られないように細心の注意がされていた。
彼女たちは、トランザニアに住む元団員の一人からギルドを介してその情報を手に入れている。
それはつまり戦争の初期段階。トランザニアがルーン王国へ攻めてくるのはもはや時間の問題だった。そして、そのことをゼンに伝えればリアは掟を破ったことになる。
掟とは、各国を渡り歩くアフロ―ディア一座が国の極秘情報を漏らさないと言うことだ。それを破れば一座の信用は落ち、その責任のために破った者は一座を辞めなければならない。
心配そうな顔のキスラにくすりと笑ってリアが答えた。
「あの人ならそれも気がついてるんじゃないかしら。それでもう準備してそう」
「私も思います。ゼンなら大丈夫」
その声に聞き慣れたキスラ達ですら動揺した。
声を発したリーシャは、それっきり口を閉じ、キスラ達を見渡した。
その様子にポリポリと頬を掻きフェスティナが呟く。
「あ~それはボクも思いますねぇ。これは道化師の勘ですけど、あの子は思っていることと顔の表情が違うんですよねぇ~。仕込めばいい役者になるんじゃないかなぁ」
「私もそれは思うな。あの子は戦士だ。男の舞は虫酸が走ると思っていたが、あの子の剣の所作は美しい」
腰に帯びた剣の柄をぽんとたたいたカイサもリア達に同調する。
「わ、私だけですか・・・心配しているの」
四人がうなずき合って納得している様子を見て、キスラが胃のあたりをさすり始めた。
「キスラさんはウチの心配役なんですからしょうがないですよぉ~。みんなが楽観的ならウチなんてすぐになくなっちゃいますねぇ。ほら、キスラさんの胃が痛い限りボクたちは楽しく巡業できるって訳です~」
「フェスティナ・・・君はなんでそんなにぽんぽんと言葉がでてくるかな・・・」
「だって道化師ですよぉ~それがボクの役柄、役柄」
ケラケラと笑うフェスティナとそれをじと目で見つめるキスラ。
その様子にリアは微笑んだ。
「でも、もし彼に何かがあったら私は一番に彼の元へ行くと思うわ。だからその間は貴女たちに一座を任せる」
その言葉に笑っていたフェスティナ達は黙り込んだ。
彼女たちには、座長の、リアのいないアフロ―ディア一座を想像できなかった。リアは彼女たちにとっても太陽だ。日の差さない場所に花は咲かないように。
一瞬の沈黙の中でフェスティナが陽気に声を上げる。
「わざわざさっきゼン君に地図まで見せて、ルーン王国が危ないと伝えたぐらいですからねぇ~。それぐらいは多めに見ますよぉ。それにしても座長がいない間かぁ・・・その間はボクがフェスティナ・アフロ―ディアでいきましょうか。語呂が可愛くないですけどねぇ」
ゼンが輝く虹食堂に来たとき、地図をしまおうとしたキスラの手を止めてリアはそのままでいいと一言言っていた。キスラやフェスティナはそのリアの行動を不思議がっていたが、彼女の考えはゼンへの警告だった。きな臭くなっているルーン王国の内部や周辺国。掟によって情報を伝えられない彼女は、危険を知ってもらおうとわざと地図を見せながらゼンに神国とトローレスの話しをしたのだ。
その言葉にカイサが眉をひそめる。
「フェスティナ。それは聞き捨てならないな。私たちの座長は一人しかいない。アフロ―ディア様の真名はお前ではない」
ちょっと厳しい口調でたしなめられたフェスティナはどこ吹く風と笑う。
「まぁまぁ~。冗談ですよ、冗談~」
「ならいい。私も悪かったな。それにしても腹が減った」
ぐるぐるとカイサのお腹が鳴った。それにフェスティナが目をむく・
「またですかぁ~? お店で二十人前ぐらいは食べてましたよね・・・。本当に底なしの胃袋ですね」
カイサは首をかしげる。
「底なし? 尻があるから底はあるぞ」
「いや、そういう意味じゃないですよぉっ。カイサさんのお腹は全部胃袋ですか・・・」
フェスティナとカイサが話し合っているのを聞きながらお腹を押さえていたキスラが微笑んでリアに声をかけた。
「座長、ならそのときは一座のみんなで行けばいいですよ」
その言葉を聞いて、フェスティナ達はだまり、リアを見つめる。
「・・・」
リアは黙って何かを考えていたが、頷いた。
「そうね。みんながいいといってくれたら―――」
「座長らしくないですよぉ~。こういうときはいつも私についてきなさいって無理矢理行くじゃないですかぁ。それと同じことですよぉ」
フェスティナはリアの言葉を遮って笑って言った。それにキスラ達も頷く。
リアは目を閉じて、何かを口の中で呟き、彼女たちに満面の笑みを浮かべる。
太陽が夜の寒空の下で輝いていた。
「なら行程は決まったわ。私の道がアフロ―ディア一座の道よ。貴女たちついてきなさい」
その言葉に四人はそれぞれ了承の声を上げて歩き出した。
王都の夜に冷たい風が吹く。
だが、五人の間には吹き込む風はなく、リア達はおしゃべりしながら宿へと帰って行った。