出立の朝
まだ太陽は起きたばかりで、辺りは少々薄暗い朝。
天気は快晴、このまま時間が経てばそれはもう素晴らしいピクニック日和に違いない。しかし、俺はいまから戦いの場に赴こうとしていた。それに文句よりもこの天気なら戦いの準備がしやすいなと感じる俺はもう普通ではないのかもしれない。
屋敷の外には既に人が大勢いた。20人ぐらいが避難してくる領民のために準備をしているのだ。十分な睡眠をとった俺が彼らに寝ているのか聞くのはちょっと躊躇われる。
聞かなくとも俺がいま装備している革の鎧と戦闘用の革長靴のことを考えればわかる。
トックハイ村にいる唯一の防具職人が戦いにでる俺の為に昨晩寝ずに作ってくれた一品。六歳児に合う鎧など既製品にはない。完全なオーダーメイドだ。正直、急ごしらえで見た目は武骨。しかし、軽さを好んでいた俺のことをよくわかっている。最低限の防御能力だが動きやすい。重要な個所は薄いが鉄の板を裏に張り付けてある。この一品で領民の思いが分かるというものだ。
俺が屋敷から出てくると、部下二名ほど連れたゼルが迎えに来ていた。馬の手綱を引いて歩いてこちらに向かってくる。
「ゼン様、本当に行かれるのですか?」
俺の前まで来たゼルはそう問いかける。後ろの部下達も少し不安げだ。
その様子に避難準備をしていた領民達も手を止めてこちらを見ていた。
「ああ、行くよ。ちゃんと母上達にもわかってもらえた」
その言葉に俺の後ろから見送りに来ている母上とエンリエッタの方をゼルは見て口を開く。
「アイリ様、エンリエッタ殿、ゼン様は私がお守りします」
「はい。ゼルさん、私たちの子をお願いします」
その母上の言葉にゼルはその場に傅き、弓を掲げて言葉を紡ぐ。
「この身に変えても。我が神、万天弓神アルケーストに誓いましょう」
その言葉に周りにいた人々は息を飲む。
軍に所属するゼルが傅き、己が神の真名を告げ弓を捧げるのはルーン王国国王のみ。
それが国王ではなく俺達に捧げる。
それは騎士の誓い。口約束ではなく身命を犠牲にすることを誓約したのだ。
これを破ることはこの国ではもっとも嫌われる。
その重さに俺たちや周りの人、そして自らの部下達も驚いている。
だが部下たちもまたゼルと同じように傅く。
「ゼルさん、皆さん。立ってください。貴方たちが誓ってくれたこと、これほど頼もしいことはありません。よろしくお願いします」
母上は優しく答える。
その言葉にゼル達は立ち上がった。
「では、ゼン様、参りましょう」
「わかった」
俺は、誰もが黙った静かな屋敷の庭で馬に乗り込む。
まずは、トックハイ村に行って戦いの準備とその様子を確認しなければならない。
ゼルの誓いで身を引き締め、皆の方を向く。
「では、母上、エンリ、皆、行ってくる!」
「ゼン!気を付けて!」
「ゼン様、お待ちしております!」
母上やエンリエッタ以外にも屋敷のあちらこちらから声がかかる。
それを嬉しく思いながら、俺は馬を走らせた。
屋敷がある丘から降りてトックハイ村に来ると、そこはたくさんの村人が作業をしていた。
柵には土嚢が積まれ、食糧を積み込んだ台車を押して村のあちこちから食糧を集めている。
早朝なのにまるで昼間、いやむしろ昼間よりも忙しそうだ。
俺が村に来ると、村の人たちは皆が作業を止めて口ぐちに励ましや感謝の言葉をもらった。あまりにも人が集まってくるのでゼルも俺も苦笑してしまう。馬が進めなくなってしまうからだ。
挨拶と礼をしつつ、村の広場に向かう。
村の広場には今から出発する自衛団や警備隊の人たち、ルクラとその家族、ドルグ、トルエスさんが出迎えてくれた。
俺を見つけると一番にアルガスがやってきた。
「ゼン様!私も連れて行ってください」
その言葉に俺はちょっと困ってしまう。アルガスが出立する予定はない。彼はこのままここに残り、自衛団の指揮をしてもらうことになっていたのだが。
「アルガス、自衛団の指揮をしてもらうはずだよ」
そう言ってもアルガスは首を振る。その目は梃子でも動かないという意思が感じられた。
「いえ、自分にはまだ隊長として役不足です。どうかゼン様の側で盾としてお使いください」
確かに、アルガスではまだ自衛団の指揮は難しいだろう。アルガスは成人しており、村長の息子として今後自衛団の隊長として時間をかけてその役を覚えていく。今回はその意味もこめて指示したつもりだ。
とはいえ、彼の戦闘能力はそこそこ高い。剣の才能があり、狩りの経験も豊富なので弓もまた使える。馬も乗れるとなれば、十分に戦力になる。
考えあぐねているとルクラが声をかけてきた。
「ゼン様、アルガスを使ってやってください。アルガスはゼン様のお力に惚れこんでおりますので私がいっても聞きません」
父親であるルクラにそう言われると余計に断り辛くなってしまう。
人のことは言えないが、アルガスはまだ若い。死ぬ可能性だって高くなってしまう。
惚れこんだと言われても俺は魔法が使えるわけでも権能がつかえるわけでもない。剣が少しできる程度だ。昨日の会議のことならあれこそただ禅の記憶から交渉の方法を知っていただけ。
なんだか過大評価されているようで大変困る。過大評価されるより過小評価されるほうが気が楽だ。
俺は助けを借りないと何もできない。
難しい顔をしていたのか更に横から、つまりゼルが言う。
「ゼン様よろしいのではないでしょうか。アルガスは見込みがあります。実戦を通せば十分戦力なります」
ゼルにもそう言われたらもう断れない。
俺も戦力は喉から手がでるほどほしい。なら、答えは決まった。
「わかった。アルガス、よろしく頼む」
「はい!」
力よくアルガスが答えると一目散に馬をとりに走った。
「ゼン様は人気者ですねぇ」
トルエスさんが近づいてきて馬上から軽い調子でそう言う。
トルエスさんは一緒に出発して、ナートス村で避難民の誘導とその人たちに食事と怪我人への対処の指揮をしてもらう。なので途中まで一緒だ。
「人気者なのは嬉しいですけど過大評価は嫌ですね」
「あれだけのことをしておいて今さらですよ。ちゃんと会議のときの様子は村人全員に伝えてありますから」
小憎ったらしい笑みを浮かべてトルエスさんはそう言う。
村人たちのあの態度はお前が犯人か!
「余計なことを・・・」
俺は思わずトルエスさんを睨みつける。確かに村人たちの不安を取り除くためには英雄のような役が必要かもしれないが、それでもこの居心地の悪さは歓迎できない。
「ま、文句は戦いが終わった後に聞きますよ。あと、ここの指示は済ませてあるのでご安心ください。いつでも出発できます」
最初からトルエスさんの手際の良さを信頼しているので聞いたりはしない。彼がこの場に居る時点で俺がすることは何もないだろう。
トックハイ村に来たときの村人の様子を見ればわかる。誰もが作業をしていた。村人全員が誰も暇をしていないということはそれだけ緻密な指示があったということだ。
「ええ、信頼してますよ。では行き―――」
「ゼン様!」
俺の言葉の途中でアンが声をかけてきた。勇気を振り絞ったのか、その頬は赤い。アンは人前で話すことが得意ではない。こんな村人全員が注目しているような場所で声をかけるのは彼女にとって相当勇気がいっただろう。
「アン、どうしたの?」
アンは大きな葉っぱの包みを俺の方へと両手で掲げた。
ああ、この匂いは俺の好物のラスクートか。
「ゼン様のお好きなラスクートです。よかったら食べてください」
「ああ、ありがたく頂戴するよ」
俺はその包みを受け取ると思わず笑みがこぼれていた。料理もさることながら彼女の行為が単純に嬉しい。
「あ、あと、これを」
アンは顔を真っ赤にしながら小さなカバンから組み紐を取り出す。
この世界では組み紐は願かけに近い。組み紐の組み方で安全や武運、恋愛などのお守りがわりにしている。俺はなんとなく日本刀の飾りを思い出してしまったが。
俺は包みを持っていたのでアンに左腕を出す。
アンは驚きながらも顔を赤くさせて、左手首にその組み紐を巻いてくれた。
「ありがとう」
「い、いえ、ご武運を・・・」
「さて、では・・・ん?皆どうしたの?」
皆の方へと顔を向けると何故だか、こう温いというか何かを含んだ顔つきをしている。
俺が首を傾げるとトルエスさんがニヤニヤしながら言う。
「いや、何、ゼン様は色男だと思ってね」
「ハハハ、ゼン様ぐらいの男ですと仕方ありませんな」
ゼルまでもが笑っている。
アンとのやり取りが原因か。特に何かの意味はなかったはずだが。
すると、馬の足音が響いてきた。
「ゼン様!お待たせしまたした!」
大きな盾をもったアルガスが笑顔で駆けつけてきた。
完全に忘れてた。
「あ、ああ。アルガス待っていたよ。さあ、出陣だ!」
取り繕いつつも今の居たたまれない雰囲気を拭うために俺は一際声を上げて、号令を出す。
「「「「おう!」」」」
その号令に応じて、皆の馬が動き出す。
俺、ゼル、トルエスさん、アルガス、ドルグ、そして警備隊からは13名、自衛団からは10名の総勢28名がトックハイ村より出陣する。
それはトルエスさんを除き俺達の警備隊と自衛団の中でも一番精強な兵たちだ。
いまからこの27名が1200あるいはそれ以上かもしれない魔物の群れと戦いに行く。
普通に考えて勝てないだろう。
だが、今回の俺の作戦では『勝たなくてもいい』が最大の武器になる。
勝つためではなく生き残るために、皆の期待を受けながら俺たちは出陣した。
ゼルの神の真名来たーー!
万天弓神!ちょっとテンションあがります。ゼルの誓いの描写は地味だけど。地味だけど。
これちょっと細かく描写する必要あるかもですね・・・。
あと、アンちゃん出ました。ポロっと出ました。
アンちゃんよかったね!
ベルグ「なんで兄貴とアンが出て、俺には出番ないんだよ!三叉のバカ野郎ーーー!」
三叉「君は次男だから我慢なさい」
ベルグ「OTZ」
次こそは戦闘シーン来ます。たぶん。