月夜の誓い
薄暗い中、俺は扉の前に立っている。
作戦内容の話しあいは夕方を過ぎて、夜に差しかかる時間までかかった。今は日が落ちて、月が少しのぼっている時間帯。
途中で見た月は満月で美しかった。
外は避難民の受け入れの準備のために村人たちが十数人、テントや食料を運んでいる。籠城作戦のために様々なことを指示したので今日と明日は眠る時間もないほどに忙しくなるだろう。
本来なら俺も屋敷の外か村に出向いて手伝う必要があるのだが、ゼルに『将は戦いのときまで英気を養ってください』と止められた。確かに、指揮の実戦経験のない俺が言ってもゼルの横でウロウロするだけになるかもしれない。それ以上にゼルは俺に時間を与えてくれたんだと思う。
一人、いや二人、今俺が直接声をかけなければならない相手がいる。
母上とエンリエッタ。この二人とは家族として話さなければならない。
戦いに出ると突然言ってしまったのだ。
どんな状況であれ俺のことを思ってくれた二人にちゃんと話して、納得してもらわなければ安心して出陣できない。
ゼルは何もいわなかったが、おそらくそんな気遣いをしてくれたのだろう。
心は決まってはいるが、扉をノックするのが躊躇われる。
俺は二人にどう声をかけたらいいのか悩んでいた。
誰かに認めてもらうとか、褒めてもらいたいとか、力を示したいとか
そんな感情で動いた訳ではない。
ただ、魔物の襲撃の知らせを聞いた瞬間に身体が動いて叫んでいた。
どうすればいいのかを考えて、皆をまとめようと動いていた。
何故なのだろうか?
俺がすべきことなんだと感じていた。
ただそれだけ。
黙っていればよかった、逃げればよかった、見捨てればよかった、六歳児である俺には無理なんだと諦めればよかった。
誰もそれを責めたりはしない。
だけどそれをしなかった。
この体には助けられるかもしれない知識がある、禅・ラインフォルトの記憶がある。
リオ・ラインフォルトが命をかけて教えてくれた彼の全てがある。
動いた。彼が誇ってもいいと認めてくれた俺は、あの瞬間動いた。
死ぬ直前に彼がほほ笑んでくれたから、それの名に恥じないように生きる。
それが禅・ラインフォルトの願い。たとえ、そんな人物がこの世界にいなくとも、俺だけはその事実を知っている。
だからこそ、今俺は、俺の命をかけても禅の願いを裏切らない。
俺は深呼吸をして、二人がいる部屋の扉をノックした。
「はい、どうぞ」
エンリエッタの声して、俺は中に入った。
薄暗い部屋の中、明かりを付けていたエンリエッタは母上のベッドの横にある椅子に座っていた。
母上はベッドの上で寝ている。その美しい横顔には涙の跡が残っている。
「ゼン様・・・」
エンリエッタは言い淀む。その表情には最近よく見かける不安と悲しみの色がでている。
俺は彼女にそんな表情をさせる自分自身が不甲斐なく思う。もっと上手く彼女の不安と悲しみを取り除くことができればと。
「エンリ、母上をありがとう」
俺はなるべく彼女を不安がらせない様にほほ笑んでお礼を言う。
取り繕ったこんな表情をする自分がひどく汚れたように感じる。
エンリエッタは泣きそうな顔でたずねてくる。
「ゼン様、戦いに行かれるのですか?」
俺が彼女のためにできること、それは嘘をつかずに本心を語ることだけ。
「うん。戦いに行くよ。母上もエンリエッタも、リーンフェルトの領民も俺が守る」
「何故ですか・・・?ゼン様はまだ六歳です・・・。なのに・・・何故・・・」
彼女はその切れ長の美しい瞳から涙を流し、聞いてくる。
「エンリ、俺は願ったんだ。俺の尊敬するある人、俺に知識を与えてくれたその人の名に恥じないために生きると」
「・・・それはゼン様に祝福を授けてくださった神様ですか?」
俺の知識と武術は家族に祝福として授けたと話している。彼女がそう考えてるのは当たり前。
本当に、この世界に禅・ラインフォルトとしての記憶をゼン・リーンフェルトに与た神がいるなら彼女の思っている者とは違うだろう。
だけど、構わない。
リオ・ラインフォルトは今やゼン・リーンフェルトの中で神様とは違うけど、俺の生き方を決めた人だ。
なら神様と同じ。
「そうだね。その人の名前はリオ・ラインフォルト。俺に知識と武術を教えてくれた尊敬する人」
「なら!なら私はその神を憎みます!ゼン様を、私たちの子を連れ去る神を!」
エンリエッタは泣きながら椅子から立ち上がり、声を荒げてそう言う。
エンリエッタ・・・。彼女は、俺のもう一人の愛すべき母なんだ。
子を戦いに駆り立てる、命を奪う存在に彼女が怒るのは当たり前だ。
俺は無意識にエンリエッタを抱きしめていた。
母上とエンリエッタ、二人の愛すべき母に恵まれてゼン・リーンフェルトはなんという幸せ者だろうか。
「ありがとう。愛しているよエンリ。でも心配しないで、俺は戻ってくる。生きてエンリ達の前に帰ってくるよ」
「・・・。本当・・・ですか?ちゃんと私たちのもとに帰ってきてくれますか?」
「ああ、ゼン・リーンフェルトの名にかけて誓うよ。エンリと母上、父上の息子を信じてほしい」
エンリエッタは涙を拭う。
その涙の後から見える瞳からは不安が消え、強い意志が感じられる。
純粋にそれを綺麗だと思った。
「では、私もエンリエッタ・エスカータルの名にかけて、ゼン様が帰ってくるこの家をお守りします」
「うん、任せた。美味しいご飯を期待してるね」
俺たちは小さく笑いあう。
「さあ、ゼン様、私はもう大丈夫です。奥様をお願いします。私は食事の用意と外の様子を見てきます」
エンリエッタは俺の額にキスをすると、そう言って母上の部屋から出ていく。
俺はその足音が聞こえなくなるまで待って、母上に声をかける。
「母上、起きてらっしゃるのでしょう?」
もぞもぞと音がして母上がベッドの上からこちらを見てきた。
「ゼン・・・。うん、聞いていたわ。本当に戻ってくる?」
怒られた子供のように、上目づかいにこちらを窺ってくる。
その仕草に少し笑いながら俺は母上のベッドの横に膝をつき、母上の髪を撫でる。
「はい。戻ってきます。父上も必ず駆けつけてくれます。だから大丈夫です」
「そうね・・・あの人の子供のだもの大丈夫よね。あの人もどんな大変な戦いでもちゃんと帰ってきてくれた。私はいつも待っているだけ。ゼンも同じね・・・。だからお願い、ちゃんと帰ってきて」
母上はベッドから身を乗り出し、俺を抱きしめる。
俺も母上を抱きしめ返して言う。
「ええ。剛剣のトルイの息子、ゼン・リーンフェルトが魔物なんかに負けません」
「待ってる・・・待ってるからね」
すすり泣く母上を抱きしめながら俺は生きて帰ってくることを強く誓う。
月夜の晩、俺はこの誓いをかならず守ろうと心に決める。
俺の命はもう俺だけのものではないことが分かったから。
ゼン君の奥さんは大変ですね。
この二人に比べられると思ったら。
次かその次ぐらいから戦いへと流れ込みます。
生き残れゼン君!