トルエスの思い
トルエス視点です。彼の思いが分かります。
手紙でエーロック砦に緊急要請を書きながら俺ことトルエスは先ほどの会議を思い出していた。
俺には愛した女性がいる。
アイリ・リーンフェルト、俺が最も信頼し小さなころより唯一無二と言っていいほどの親友トルイ・リーンフェルトの妻。
俺たちは幼馴染だった。
この世のどんな女性よりも美しく、優しい彼女を俺とトルイは小さなころより愛していた。
そんなこと当たり前だろう。
あんな最高の女に好意を向けない男など男ではない。
あれはいつからだろう。
彼女の美しさが目立ち始めたときから平民の彼女を見る貴族共の顔が醜くなっていた。
だから俺とトルイは誓い合った、彼女を守るため力をつけると。
俺とトルイは考えた末に軍に入った。
武勲を上げれば、平民でも貴族になれる。
彼女を守る力を得られるためだけに俺たちは必死で軍で働いた。
軍への志願は15歳から始まる。
そこから考えると女性が遅くても結婚する18歳までには3年しか残っていない。
俺たちはこの3年間で地位をもぎ取らなければならない。
俺もトルイもおそらく寝る間も惜しんで軍で地位を上げた。
常に戦場を求めた。
トルイは剣で、俺は剣が苦手なので後方支援として。
悲鳴と怒号、血と剣、この世の地獄と言っていいほどの戦場で俺達は戦った。
助けを求める声、首のなくなった死体どれほど見ただろうか。
しかし、俺たちは愛するアイリのためどんな地獄であろうとも耐えることができた。
この手が血にぬれようと、あの美しい笑顔を守るためなら平気だった。
俺達は武勲を上げ続けた。
トルイは敵を討った数だけ。
俺は最大限の効率的で兵站を届けた実績の数で。
自分が何歳かも忘れるほど必死だった。
そして、トルイがリーンフェルトの姓を得て男爵位を授かった。
そのときの俺の気持ちは、安堵だった。
これで彼女を守れると。不思議なことにそれは俺なくともいいと思った。
俺たちが誓い合ったことは彼女を守る力、そして彼女が誰を選んでもそれに従うこと。
そして、彼女はトルイを選んだ。分かり切ったことだったのかもしれない。
トルイは気がつかなかったが、彼女はトルイだけを見ていたのだから。
それを知って、俺は軍を辞めた。
トルイはもう彼女を守ることができる。
だが、エーロック砦の第一部隊長の任を受けたトルイは、王都から離れる。
ならばトルイが留守の間に彼女を守る必要があると考えたからだ。
俺は軍の後方支援の実務能力が買われ、王宮の文官となった。
しかし、トルイと彼女はリーンフェルト領に行くことになる。
簡単に言えば、愚かな貴族共がトルイの人気を疎ましく思った厄介払いだ。
俺はすぐさまリーンフェルト領の代官を目指した。
代官は文官の中でも非常に難しい。領運営や派閥貴族達への知識、礼儀作法、ルーン王国の中でも領内の権力や賃金が高い代官は憧れの職業であり難関の役職だ。
これには苦労した。幸い頭がいい俺は試験等は何とか合格するが、目的地のリーンフェルト領に配属になるためには根回しが必要だ。配属地の決定権を持つ貴族の文官どもに俺は稼いだ金のほとんどすべてを費やした。接待、賄賂ときには貴族共が囲う愛人の手配、世話、後始末、反吐がでるほどの汚れ仕事だ。
そうして俺はリーンフェルト領の代官をもぎ取った。
ただ愛する人を守るため。
そうして俺はリーンフェルト領にやってきた。
彼女とは何年ほど会っていないのだろう、あの笑顔を早くみたいと思い、到着した足でリーンフェルトの屋敷に赴いた。
そこには笑顔のアイリが待っていた。その笑顔を見て、俺は報われたと思った。これからまた守ることができる。
だが、彼女の手には生まれたばかりの彼女とトルイの子ゼンが抱かれていた。
俺は見ていられなかった。
彼女の守るため、幸せの為にしてきたこと。
だけどその幸せの結晶たるゼンを俺は見ることができなかった。
醜い人間だと思う。分かり切っていたことだ。
彼女にとって俺は幼馴染。彼女の笑顔の中には俺は入っていない。
しかし、命をかけて誓い、彼女を守るということだけは俺の中で変わらなかった。
代官の仕事をこなしながら日に日に酒の量が増えていく。
彼女の屋敷には必要最低限行かない様にした。
彼女と会わなければ、彼女が俺を忘れてしまえばこの醜い気持ちも少しは消えると願っていたのだ。
そうして、今から半年前、トルイが帰ってきた昼食のときにゼンに仕事を教えてくれと頼まれた俺は躊躇した。
俺はゼンと一緒に居たくない。今まで会う時間を減らした苦労が水の泡だ。
でも俺は了承した。ゼンと過ごす。彼女を切り離して考えることができれば少しはマシになるかと思った。
ゼンが俺の屋敷に来た初日、俺は彼に何を教えたらいいかなど分からなかった。
必死で、それこそ体で覚えてきたこの仕事を5歳児に向かって何を教えたらいいかなど俺にはわからない。
だが、彼は俺の屋敷の中を見るなり『まずは掃除ですね』なんて当たり前の顔をしてそのまま掃除してその日は終わった。
俺は呆気にとられた。それはそうだろう俺が指示する前に彼は動いていたのだ。
掃除が終わってから仕事の話しになると俺はさらに驚かされる。
俺が書きとめていた領の資料を軽く読んだだけで彼は俺の仕事ができてしまったからだ。
彼に教えるどころか、経った一日ですでに一般的な代官として同じぐらいに理解している。
俺が教えたことと言えば、作物や領での取り決め、商人たちとの契約の取り決めといった細々としたこと。
俺は確信する。
彼は既に組織の運営あるいは領の運営を知っている。
それも俺並みにだ。
俺は彼の認識を改めた。
アイリ・リーンフェルト、俺の愛する女性の息子ではなくゼン・リーンフェルト一人の男として。
一緒に仕事をしていく上で、会話していくうちに、俺は彼の能力を知る。
それはこの小さなリーンフェルト領の領主の枠では足りないほどのものだと。
会議を反芻して、俺は更に思いを強くした。
今書いているトルイへの要請に記す一文『ゼン・リーンフェルトは代理領主として前線で指揮をとり、避難の最後は殿を務めることでその責を負う』。
彼は命をかけると示した。
そのことに俺はトルイと誓い合ったあの日のことを思い出す。
いや、つねに会議の主導権を握るため気負いなく語る彼が、あの場所に居た誰もを圧倒していた彼が、
焦りと不安で手の汗を拭う様を見て
この俺とトルイ、一人の女性を守ると誓った俺達よりも彼は遥か先を、大きなことを成し遂げる人物になるのではないか。
俺はそう思う。
ああ、アイリ。
やはり君は素晴らしい。
君とトルイが産んだ子は、ゼンは、俺の想像を越えた素晴らしい子だ。
ならば、俺は君と君の子を守るため、この力。
我が命を捧げよう。
だからトルイ、我が友よ。どうか早く、早く来てくれ。
彼を失わないうちに。
トルエスいい男です。
ちなみに彼は王都でアイリ似の女性と結構付き合いますが、やはり誰に対しても本気にはなれませんでした。ちょっとかわいそう。