揺れ動く策略の決着
全高数百メートルに及ぶ膨大な質量の大津波と直径数百メートルの巨大な渦潮がシャルルの艦隊を飲み込む様子を負傷した旗艦アシュロンからレイ・キルバンは凶悪な笑みを浮かべて見ていた。
手を置いていた鉄の図板には彼女を濡らし、滴る雨粒と海水が流れ落ちる。彼女は肩で息をしている。全力の魔術行使によって疲弊していた。
だが、その疲弊さえ、全力で相手にぶつかった高揚の方が勝る。
彼女の心にあるのは相手が何にに賭けたか、だった。
「さあ!どうするんだい!?私の勝負は単純・・・あんたはどっちに賭けるかってことさ!」
彼女は激しく息を荒らげながらも目の前の敵に向かって吠える。
準備していた手札のほとんどを使い、彼女はこの状況を作り上げた。
シャルルの攻撃に対して防戦一方だったのは渦潮を作り出すためだった。放出型は、長距離攻撃可能だが、それは自分の魔力を切り取って放つことだ。つまり、元々放出型は魔力の支配権を広範囲に向けるのが不得手になる。水の支配権の奪い合いには不利な特性。逆に操作型は中距離の圏内ではその海域全てに支配を強めることが可能で、さらにその特性は支配権の減衰を割り切れば、薄く引き延ばせる。
彼女の狙いは、最初から『太陽を喰らう大海嘯』と渦潮による上下からの同時攻撃。風魔法で浮かび上がろうとも頭上からの津波と風魔法と水魔法を応用して、海に潜ったとしても渦潮によって沈没する。絶対に逃げられない状況を作り上げるのが彼女の狙い。
だからこそ、彼女は戦いの最初から魔力を薄く引き延ばして、シャルルの艦隊の真下の深海で潮流を狂わせ、ミキサーのように渦を作り上げていた。あの渦潮全てがレイの魔力で生じさせたものではない、あくまで人工的に作り出された自然の渦潮。少ない魔力消費で自然の現象を利用した彼女の策略だった。
そして、彼女は期待している。
敵がどのような賭けにでるのかと。
太陽を覆い尽くす女が自らの敵と認めた相手。その強者がただ単純に魔法を喰らい、沈むわけがないと期待している。
それは戦士の快楽。強者の楽しみ。
比肩する者がいなかったこの海で現れた彼女の敵に対する最大の賛辞だった。
己と対等に渡り合えると、己が力勝負をするのに相応しい相手に贈った最高の期待。
レイにも予想できた事がいくつかある。
一つ、限られた艦船を守っての総攻撃あるいは撤退。
二つ、全艦隊を守り、負傷しながらも総攻撃あるいは撤退。
三つ、自らの旗艦船だけを守り、消耗せずに無傷での総攻撃あるいは撤退。
その三つの予想が浮かび上がっていた。だが、三つ目はないとレイは切り捨てる。我が身可愛さに逃げ出すような相手がこの海で自分と対等に戦える力は得られないと信じて。
彼女は親としてシャルルの行動を待っている。
勝負は単純、限られた艦船を守るか、全艦隊を守るかの二者択一。単純が故に命がかかる場面での選択が最も難しい残酷な勝負。
本物の博打打ちが命を賭けるに相応しい最高の勝負になるとレイは自負していた。
レイは鋭く目を向ける。
津波が過ぎ去り、渦潮が綻びゆく濁流に荒れた海の先を。
海賊達も負傷者や救助の手を動かしながらもレイと同じ方向を息を飲みながら見ている。
波の唸りが時間を掛けて静かになる。その光景は時間の流れが遅くなったようにゆっくりとしていた。
レイや海賊達の意識が引き延ばされる。集中し、その敵の動きを、敵の姿を目に焼き付けようと一心に見ている。
波間がかき消えた。
垂れ込めた黒い空と未だに激しく荒れている波との間、揺れ動く水平線の向こうにその艦隊が現れる。
それは無傷の艦隊の壮麗な戦列だった。
「馬鹿な!私の魔術を!私の全力を使った魔術で無傷なはずがない!」
レイは叫び声を上げる。荒れた時化のような声を出して、その光景を信じられないと叫んだ。
艦隊は荒れている波にも関わらず、ほとんど上下しない。まるで凪ぎの海に停泊したように静かに海に浮かんでいた。
そして、その艦隊の最前列、旗艦レディウス・カエルザ号から今度は莫大な魔力が迸り、青い光が天へと昇る。
その魔力、その力は神気。
その神気とは神の息づかい。神の存在。
この世界の神の存在証明。霊魂がたどり着けない遙かなる高みからの光だった。
レイはシャルルの賭けを理解した。
自分がそれを予測できなかった稚拙さを恨んだ。
シャルルは四つ目を選択したのだ。
四つ、神の守護による命を賭けた総攻撃を。
レイは手を置いていた鉄製の図板に拳を打ち付ける。
その目には勝負を覆された動揺は一切ない、その目には消えることのない燃えさかる闘志が宿っていた。
「そうか・・・。あんたは奥の手を切ったんだね。なら仕方ない。私もこんな簡易魔術図板じゃなくて、まだ誰にも見せたことがないとっておきを切るさ!じゃあ、今度こそ最後の勝負をしようじゃないか!私達の全財産を賭けた最後の大勝負をね!」
レイは天高く吠える。
その瞬間、巨大戦列艦アシュロンが揺れ、想像を絶する魔力と神気が爆発した。
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セバンは見ていた。
迫り来る巨大な海の壁がそそり立ち、周りの海が回転する凄まじい速度の潮流の中に浮かぶ旗艦レディウス・カエルザ号の甲板の上で、船首甲板にいたシャルルが崩れ落ちる瞬間を目にしていた。
「衛兵!殿下を見てくれ!」
セバンは叫び声を上げて衛兵を呼びながらシャルルの元へと駆けつける。
発汗し息を荒げ顔を蒼白にしたシャルルを腕に抱きかかえて上半身を起こす。
セバンは襲い来る脅威の中でもシャルルしか見えていなかった。己が主と認めた相手が倒れたのだ。例え死ぬ可能性があったとしても自分のことよりも主を第一にするのが騎士の務め。
セバンはシャルルの顔色が悪いことに気づき、何をしたかに思い当たった。
グリゼリフ王からシャルルを任せられたとき、もしもの事があればと彼の力の代償をセバンだけは聞いていた。
その代償とは血液。
神に血液を捧げ、権能を行使するシャルルは今その血液の多くを失っている。この症状は重度の貧血が原因だと海軍のセバンは感づいた。
セバンは唇を噛み、シャルルの瞳を見た。彼は覗くセバンを瞳に入れてはいるが、目眩によって眼球が細かく振動している。
「殿下!撤退致しましょう!もう十分です。もう十分殿下は戦われました。敵はこちらよりも被害を受けております!」
セバンは必死になってシャルルに撤退を具申した。それはもはや戦闘や戦略など彼の頭にはない。ただ、主の身を案じての言葉だった。
シャルルは震える身体を抑えるように両手で身体を抱きしめながら、なんとかセバンに答える。
「セ・・・セバン。良く申してくれた。わ、我が艦以外は・・・即座に撤退だ・・・」
「いえ、ダメです!殿下。我が艦が先に撤退します。殿下のお命を守らなければ兵達の誇りを汚すことになります!」
セバンの悲痛な叫び声が甲板に木霊する。慌てて上ってきた衛兵達はシャルルとセバンを囲み、傅き様子をうかがっていた。
シャルルは立ち上がろうと足に力を入れるが、力が入らずに雨で濡れた上の甲板を引っ掻くだけだった。
「よいのだ・・・。我が理想のために・・・兵達を家に帰すのが司令官の勤め・・・であろう?」
「そのようなっっ!我らの次なる王がいなくて、我らは迷います。この国の臣民のために、撤退してください!」
「そう心配するな・・・。まだ、私が死ぬとは・・・決まっておらぬぞ」
シャルルはこの渦中にあってもセバンに微笑む。
セバンはその微笑みに唇を噛みながら涙を止められなかった。
そして、津波と渦潮が旗艦レディウス・カエルザ号を襲った。
セバンはシャルルから目を離し、それが最後の瞬間と思い目に焼き付けた。
だが、その光景はまさに神の力。
巨大な津波の壁が旗艦レディウス・カエルザ号の船首の眼前に迫ると、そこから左右に切り開かれる。津波が左右の壁となって、旗艦レディウス・カエルザ号を避けて過ぎ去ったのだ。そして、激しい渦潮に晒されているのにも関わらず船は微動だにしない。船が浮かび上がる場所だけ、凪いだ海のように平然としている。
権能『波頭の揺り籠』
その力はあらゆる嵐から船を守る力。どのような津波でも、洪水でも、渦潮でも、雷雨でも船を守り、その船が一度だけその嵐を無事に過ごせる神の権能だった。
その権能がシャルルの全艦隊を守り、津波と渦潮が次第に過ぎ去っていく。
セバンは茫然とシャルルの方を見る。
シャルルはセバンに抱きかかえられながら自分の権能が艦隊を守る光景を見ていた。
シャルルは微笑んでセバンに話しかける。
「・・・セバン。言ったであろう・・・。我が力を見せつけるとな。・・・分かって・・・くれたか?」
「はい、やはり殿下は素晴らしいお方です。我らの王となるお方です。もう、これでは昔のように喋れませんな」
セバンは涙の筋が浮かぶ顔を微笑ませて、そう言っていた。
シャルルもそのセバンの軽口に小さく、苦しそうに笑った。
「ならば・・・。主として、次期王として命ずる。私を立たせてくれ・・・そして兵達を・・・守らせて欲しい」
「仰せのままに、我が正しき王よ」
セバンは微笑み、シャルルの身体を優しく支えて、彼を立ち上がらせた。
セバンはもう自らの主に何も言うことはなかった。
重度の貧血に陥り、苦しんでいるのにも関わらず自らの兵達を気遣って殿を勤めるというシャルル。そしてその底知れない力。
それはまさに英雄の姿だった。
セバンが守りたいと思った正しき王の姿。
セバンはその正しき王の言葉を、その魂が震えるような命令にただ従う。
シャルルは一度深呼吸して、その船首の先に目を向ける。
「さあ・・・全てを賭けて・・・決着だ」
「武運を、私はここにいます・・・共にいます」
シャルルはその忠臣に黙って信頼の眼差しを向ける。
そして、遙かな先を見た。今だ、荒れ狂う波によって見えざる敵を。
シャルルは全身の力を言霊に乗せる。
燃えあがる魔力がシャルルの魂を通じて神気へと変わる。
ピシリと空間が歪んだ。
「願う。海原を行く者達の守り手よ。船を導く生命の海の君臨者よ。我ここに汝に希う。
我らの命を汝の腕によりて灯し、波頭の寄る辺、海に生きる者の標をここに。
我は王国の血を引く者、汝との古よりの契約に基づき、我が血をもって汝に希う。
大いなる海の理を我が手に、波頭の止める者、船首の前に立ち塞がりし者を泡沫のごとく消し去らんことを―――顕現『海龍神招来』
今この場所に神が現れた。
シャルルの艦隊全域にあった波が、雨が、潮流が全て止み、その運動エネルギー全てがただ一点、旗艦レディウス・カエルザ号の前にある海に収束し、青い神気によってその姿を形作られていく。
それは巨大な海龍の姿。海で出来た海の生命の王である海龍が海原を引き裂いて産声を上げる。
真名『海龍神レヴィアニアン』
祖神たる主神トールデンの弟神と呼ばれた海洋神ティリマキスにより作り出された海の王。海の全生命を司り、その統率と守護を任せられた神獣。ドラグリア大陸の船乗り達が船の守り神と崇める高位神。
その姿が波頭を生み出し、巨大な姿を悠然と空に靡かせて、青い氷の瞳をシャルルの敵であるレイ・キルバンの船へと向けた。
だが、神の招来という代償にシャルルは意識を失う。
その代償は致死量と等しい血液の喪失。全身から致死量ほどの血液を失い、シャルルの脳は無酸素状態へと陥ったのだ。
セバンはその身体を受け止めて、シャルルの代わりにその最後を見届けるために敵へと視線を向けた。
海龍神の出現と数拍遅れて、今度は巨大戦列艦アシュロンからも神気が爆発する。
遠く離れていても息が出来ないほどの神気の圧力が吹きすさび、
海が一変した。
その海域に巨大な渦潮が逆巻く。
それはレイ・キルバンが魔法で作り出した渦潮とは比べものにならなかった。渦潮の中心が深海にでも通じているかと思うほど深く大きく、そして奈落のように暗い。
巨大な穴が海に出現した。
そこから現れてくるのは巨大な三叉槍の穂先、穂先から出でて柄が現れ、アシュロンの倍以上あるかと思うほどの槍の長さが続いた後で巨大な腕が出現する。
セバンは息を止める。
あり得ないと頭の中が真っ白になる。
セバンは確信していた。シャルルが祝福を授かった海龍神レヴィアニアンは紛れもない一流の神だ。それに勝てる者は、それを越えるものではなくてはならない。
しかし、その武器と腕はまさにその超越した神のモノ。
その三叉槍は主神トールデンと海洋神ティリマキスしかもたない神の武器。
つまり、あれは海洋神ティリマキス。
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神話曰く。
その手から一度投げられれば、その槍の穂先が穿つ地面は津波で全てが押し流されるとされた神の槍。
その飛翔距離は全ての海洋と全ての大地を収める絶対なる必中の槍。
人が神格した神で守られていようと、どのような加護があろうともそれを打ち崩し、その槍の津波が全てをのみ込み、破壊する神の怒り。
神の中の神の一柱がその場所に出現した。
海龍神レヴィアニアンが声にならない雄叫びを上げて、海から空へと一直線に飛んだ。その巨体が風を切り、爆風が辺りに吹き荒れる。
それは一刻でも早く海から逃げんとする動物的な本能。
その動きに合わせて、海洋神ティリマキスの掲げた三叉槍が鋭く放たれた。
高速で空へと昇る海龍神レヴィアニアン、そしてそれを追いかける神の槍。
両者は空に上がり、雲を引き裂き、全てを霧散させる。
いや、違う。
海洋神ティリマキスの槍が雲に存在する全ての水分を吸収しているのだ。途方もなく広大な分厚い雲を吸収し、槍が更に神々しく光る。
吸収された雲が消えて、その頂には太陽が燦然と輝いた。
その太陽の中で黒点のように海龍と槍が衝突する。
空が割れんばかりの轟音。
遙かな上空にあってもその衝突音がその海域に響き渡る。
人の身であれば一言も言葉にできなかった。
いまだその眼前にある海洋神ティリマキスから放たれる神気によって誰もが硬直していた。それはシャルルの海軍であろうとも海賊であろうともかわらなかった。
そして、誰もが硬直している中で空からシャルルの艦隊に巨大な水の塊が落ちてくる。
表面を氷で覆われた無数の水の塊、それは海龍神レヴィアニアンの身体の一部だった。今、この海域と上空には海洋神ティリマキスの膨大な神気が満ちている。その神気が打ち砕かれた海龍神レヴィアニアンの身体を霧散させることはなく、その身体の肉片をまき散らせている。
それは高圧縮された水の塊、それは砲弾にも近い破壊力だった。
無数の海龍神レヴィアニアンの肉片がシャルルの艦隊を襲い、その帆船に巨大な穴が穿たれる。多くの船が穴によって、浸水して海の藻屑となり、沈没を避けられた船でも損傷が激しくなっていく。
そのシャルルの艦隊が全滅していく姿を確認し終わったかのように海洋神ティリマキスの腕が海の底へと沈み、渦潮で穿たれた海の穴が塞がれていった。
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ここに、シャルルとレイの決戦が決着する。
それは、誰が見ても明らかなシャルルの敗北であった。
その後、レイ・キルバン海賊団は追撃をかけずに撤退する。
シャルル達、全滅したルーン王国海軍は、駆けつけた討伐海軍の少将によって救助されて、シャルルは満身創痍ながら一命を取り留めルーン王国王都へと運ばれた。
このルーン王国海軍海賊討伐艦隊の全滅はグリゼリフ王が必死にも秘匿するが、多くの人命が流され、海上に残った艦隊の残骸という事実は隠すことはできない。
シャルルの取った行動、そしてその勇姿はほとんどの者が知ることはなく歴史の裏へと消えていく。
残ったのは、ただ艦隊の全滅という事実のみ。
アースクラウン暦10028年、収穫期、使徒イスラ月、ゼンが王都へ旅立ったその月に起こったこの事件がルーン王国全土を巻き込む騒乱の序曲だった。
その事実をゼンが知るのはもう少し先になる。
幕間 揺れ動く策略 完結。




