海の君臨者達の睨み合い
ルーン王国の都市ヴォラチネスに接した神国のコルヌ半島からトローレス王国西側沿岸部が作り出す巨大な貿易湾の海のことをポンナーレス海と呼ぶ。広大で複雑な海岸線に富んでいるポンナーレス海は良港に恵まれ、年間を通して西風が吹くためにドラグリア大陸一の海上交通の要衝の一つでもあった。沿岸部から内洋数キロには多くの商船が行き交い、その商船を目当てに港は繁栄する。古くからルーン王国とトローレスの繁栄の揺り籠であり、常に騒乱の元でもあったポンナーレス海。
そこから西に行くとキルバン諸島が広がり、現在では商船にとって魔物巣窟と等しい島々だ。海賊が独立宣言をしたキルバン独立国が存在し、海賊達が我が物顔で住み、そこから各国の港町や商船団を襲いに出る。
海賊達はポンナーレス海を熟知している。船の技術、潮流、風向き、海岸の地形、商人達の航路、領地の統治の現状など、海で戦う術全てを熟知した一団。
そして何よりも数多くの祝福持ちを保持し、完璧なる上下関係を構築し、その戦力はまさに海軍。むしろポンナーレス海においては比類なき軍隊とでも呼べるほどのものだった。商船を有する貿易商人や各国はその対応策を講じても相手の航路でさえ不明な点が多い。
神出鬼没の電撃戦を仕掛けられて、その後に残るのは助けを呼ぶ遭難者達と空っぽの船。
残された救いは、海賊達が無闇に命を消さない慈悲だけ。
それは海を生業とする者達の恐怖であった。
水平線の遙か向こうから悠然と姿を現し、例え自分たちが風を味方に付けて逃げようとも瞬く間に捉えられて、抵抗もむなしく蹂躙されあらゆる財を奪われる。そして、残されるのは僅かばかりの水と空っぽの船。海賊達はまた忽然と海の彼方に消える。
『聖戦の亡霊』。そんな声が商人達の間で交わされる。200年以上前に神国、つまり主から見放された亡者共が地獄にも行けず未だに海で暴れていると。
そして、その海賊団の首魁、レイ・キルバンが君臨する巨大戦列艦アシュロンがキルバン諸島からルーン王国方面に500キロ行った海上にあった。猛々しい黒い海賊旗が描かれたマストの群れ、黒い外観の巨大ガリオン船。その海賊旗は黒い生地に海賊帽を被った髪の長い髑髏の目に宝石をはめ込み、その頭上に交差した二本の三叉槍が血のように真っ赤に染まっている。その両側に従えるようなガリオン船が5隻と外洋航海可能な突撃ガレー帆船15隻。
キルバン独立国、海賊女王の護衛艦と旗艦アシュロンの壮観な艦隊が次第に強くなってきている雨と波の中で、堂々と停泊している。
その艦隊陣形は旗艦アシュロンとガリオン帆船の6隻による縦一列に並べた単縦陣戦列。その後方にガレー船が単横陣形で15隻並んだ縦陣と横陣混在の二列戦列だった。
それはガレー船が突撃を行い白兵戦に持ち込む中世の近距離戦闘戦術ではなく、祝福持ちの魔法を主戦力とし、遠距離攻撃に特化した近代的海戦戦術に基づく行動と等しかった。
海賊団の最前列、単縦陣戦列の帆船の上では祝福持ちの海賊達が無数に並ぶ円盾の柵の手前で列を成している。
その魔法使い達は遠距離攻撃魔法士、防御魔法士として各員の役割を持ち、背後のガレー船には白兵戦に特化した魔法使いが武器を握りしめて、荒ぶれゆく海原の先を見つめている。彼らは降りしきる雨の中で、眉毛に雨が滴りゆくのも気にせずただ戦意を燃やし続ける。
対して、その海賊団の位置からさらに東、ルーン王国側へ5トリル(9キロ)先にはルーン王国海軍司令官王太子シャルルが率いる青い海軍艦隊が波の波頭を打ち破って、進路を西に進めている。風向きが気ままに狂い、操舵と帆の操作が難し中で海兵達がかけ声を上げて、雨に打たれながらユルユルと海面を走らせる。
その陣形は二列横陣形、旗艦レディウス・カエルザ号を中心としてガリオン軍艦が40隻、後方に突撃ガレー帆船30隻。その少し後ろで補給艦10隻が艦隊を追随している。そして、彼らもまた帆船の下層待合室に祝福持ち達を待機させて、いつでも甲板に配備可能なように準備をしていた。海軍の祝福持ち達は口を一文字に引き締め、軽量化された海軍の鎧に身を包み各々の武器、杖や剣、鉄球の詰まった箱、弓矢などを握ってそのときを待っていた。
この海域、まさに今戦いの気配が這い進むこの場所には海賊団とルーン王国海軍達の燃え上がる一つのある感情が支配していた。
それは闘志。
互いを打ち破るという激烈で、人の狩猟本能を呼び覚ます原始的な感情。
恐れもある。
不安もある。
だが彼らは激闘をくぐり抜けてきた海の戦士であり、鍛え込まれた軍人である。故に己が信念を燃やして今その場所にいた。
シャルルの艦隊は更に1トリル進み、旗艦レディウス・カエルザの主檣楼から雨を切り裂くような鋭い打鐘が何度も響き渡った。それに呼応して僚艦の主檣楼からも打鐘が響き、強い雨音のように広がる。その音は海だけではなく、船の中にも響く。
木の帆船に打ち付ける雨音の合間から鋭い鐘の音が響いた途端に海兵達は側にいた者達と無言で肩をたたき合って、甲板へと早足に駆け上る。
雨が激しくなって、波が白波を立てて荒れる船上で規則正しく鳴る足音がそこら中に響いた。
ルーン王国シャルル王太子艦隊の戦闘配置は即座に終わった。
旗艦レディウス・カエルザ号では海賊討伐総司令官シャルル・アーノルド・マキシラルが船長室から青い壮麗な鎧姿で兵達に迎えられて船首楼の上へと歩みを進める。
眼前にはレイ・キルバン率いる海賊団、21隻の姿が灰色の厚い雲と白波に荒れる波の間に小さくも確かにその姿を現している。
特に異様なのはその海賊団の旗艦、巨大戦列艦アシュロンの巨大さだった。僚艦の倍はあろうかという大きさとメインマストは小山のようにも思えた。その帆に掲げられた海賊旗がその異様さを恐怖の象徴ともしている。
揺れる船首でその光景を静かに見ていたシャルルは横にいたセバンに話しかけた。
「あれがアシュロンか。噂には聞いていたが我がレディウス・カエルザよりも大きいとはな」
その呟きは、悲観も恐れもなくただ事実を冷静に確認したような響きだった。
セバンは自らの上官が恐れずにただその光景を見ているのを不思議と安堵しながら答える。
「はい。大きさ、収容人数、そして祝福持ちの数もこちらよりも優れております」
「それはただ一隻であればの話だろう?我が艦隊は敵以上の戦力を有する」
シャルルは僅かに笑った。
戦力。それは単純に兵士の総数では表せない。
戦力とはその中にどれだけの祝福持ちがいるか、あるいは何人の上位祝福者がいるかで表すことが出来る。
例え十人の祝福持ちがいてもそれを覆すような上位者がいれば、戦力はその者に傾く。ただ一人で小規模な艦隊に匹敵しうるのだ。
そして、シャルルはまさにその上位者の一人だった。ルーン王国内で海における絶対の上位者。
だからこそシャルルは今回の作戦を立案した。
将校が軒並み反対する声を遮って、王族の特権と司令官の権力によってその作戦を遂行する。
シャルルは慢心でそれを立案したわけではない。相手もまた上位者がいる艦隊だ。
それ故に互いがぶつかれば、間違いなく味方艦はその戦闘の余波を受けて沈没する。自分の力を間違えれば、敵までか守るはずの味方を巻き添えにすることだけはシャルルにとって許せない。上位者の戦いとはそこまでに苛烈で、一度火蓋が切って落とされるとその全てを巻き込み破壊しかねないもの。
シャルルの作戦とは―――旗艦レディウス・カエルザの単艦による敵の足止め。
味方艦はシャルルと敵の上位者との祝福戦闘が終わったと同時に包囲して殲滅するというものだった。彼我の戦力は単純に導き出せないが、艦数が四倍あるシャルルの艦隊が敵を包囲し、一斉に魔法で攻撃しつつ、距離を縮めて温存しておいたガレー船の突撃で一気に決着をつける。シャルルの艦隊には中位者の中でも粒ぞろいの戦力を有している。決して敵の艦隊に遅れはとらない。そうシャルルは判断していた。
「さあ、セバン行くぞ。我が初陣。亡者達の弔いの花を咲かせよう」
「はっ。我らの青い花。その美しさを見せつけてやりましょう」
シャルルとセバンは互いにうなずき合い、海原へと目を向けた。
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シャルルの艦隊は更に進み、両軍の距離は1トリルへと縮み、シャルルの艦隊はそこで帆を巻き上げて止まった。
数分の沈黙の後で、シャルルの艦隊の青い旗艦レディウス・カエルザだけは帆を切り返しながら進む。
その光景にレイ・キルバンの海賊達はいきり立つ。それは海の戦士として誇りある海賊達にとっては何よりの侮辱だった。
たった一隻で無双を誇るレイ・キルバン海賊団と渡り合えると、そう叩きつけた挑戦状。
海賊達の中でレイ・キルバンの巨大戦列艦アシュロンとともに海を駆けるというのは超一流の証。人生を海に賭け、命を戦いへと投じてきた海賊達は舐められることだけは何よりも嫌う。力こそがこの海賊団での生き残る唯一の方法だからだ。
海賊達の誰もが歯を軋ませて、武器を持つ手に力をいれて怒号を上げる。
その強い雨と怒号の中でたった一人だけ、獰猛に笑みを浮かべて笑った者がいた。
「ハハハ!面白い!その傲慢さ、その無知さ、何よりも私を恐れない剛胆さ!クハハハ、ただのぼんくら王子様と思っていたらなかなか気骨があるじゃないか。私の息子にしたいぐらいさ」
レイ・キルバンは長く黒い海賊のマントを肩に掛け、風に靡かせながら哄笑を上げた。その声で他の海賊達は目を見開き驚く。
レイが『息子にしたい』というのは海賊団の一員になるということだ。それも直々な言葉ならアシュロンに乗船を許可される可能性もある。敵が海賊団に入ることがないわけではないが、敵の密偵の可能性もあって下っ端で上に上がるためにはそれなりの努力が必要である。それら船の掟を守るはずのレイが軽々しくそう言った言葉を発するということは考えられない。海賊達は息を飲む。
彼女は本当にそう思っていると気づいているからだ。
「姉御。そりゃ掟に背くことになりますよ」
レイの側にいた女海賊が他の者たちの総意を感じて声を上げる。
その言葉にレイは笑みを消さずに目を鋭く光らせた。
「私が掟だ。トローレスのぼんくらやフッザラーの奴らが裏からこそこそとこちらに内通してお膳立てた戦いで、ああいう男がいたんだ。この海もまだまだ捨てたもんじゃないね。お前ら!」
レイは女海賊と話し、そして鋭く他の海賊達に声を上げ、問いかける。
「お前ら!この海で堂々と私に挑戦状を叩きつけた馬鹿がいる!我らレイ・キルバン海賊団!その挑戦状に全員でかかっていく腰抜けかい!?」
レイの言葉をかき消すような怒号がアシュロンの甲板に響き渡る。口々に違った言葉を怒号するためにそれらはただの騒音でしかなかった。
だが、その意志は否と叫んでいる。
戦意を滾らせたぎらついた目とツバを飛ばしながら囃し立てる声。彼らは一同にその挑戦状に迎え撃つと言っていた。
レイはその声を獣の笑みを浮かべて心地よく聞き、それらを吹き飛ばす大声を上げる。
「ならば決まりだ!行くよお前ら!私の力を見せつけてやる!一騎打ちを始めようじゃないか!」
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海賊団の戦列から一隻、巨大戦列艦アシュロンが向きを変えて、シャルルの旗艦へと船首を向け進み出る。
息を飲むような緊張感の中で互いの旗艦が距離を縮めた。
海賊達や海軍達は息を巻き戦意を昂ぶらせるが、その服の下では雨ではない濡れを感じていた。ギリギリと弓弦が引き絞られて、敵に向た矢に力が蓄えられる緊張感。この緊張感を解き放てるなら即座に飛びかかりたいとも思ってしまいそうだった。彼らは次第に大きくなっていく互いの船を見つめながら、手が力んでいる。
シャルルの旗艦では海兵達が敵艦とシャルルの美しい姿を交互に見る。
彼らの瞳にはそのシャルルが神々しく映っていた。歴戦の兵士でも生唾を飲み込むような緊張感でもシャルルは平然と敵艦だけを見て、冷静に距離を測っている。波頭が一際大きく飛び上がって、シャルルの美しい金髪を濡らすが、シャルルは微塵も動かない。
その姿に軍神と彼らは僅かに呟き合った。そのときに初めて彼らは心の底からシャルルを司令官と認めたのだ。
シャルルは敵艦を見ていた目線を操舵と帆の操作者に向けて鋭く声を上げる。
「船を止めろ!」
その声で海兵達は帆を操作して船を止める。
その動きを見ていたのか敵艦もまた船を止め、船首を向け合った両旗艦はにらみ合った。
しばしの沈黙。ゴクリと海軍達はツバを飲み込む。
シャルルは敵艦に向き直り手を上げる。
「さあ、我が国の威信を見せるときがきた。角笛を鳴らせ」
シャルルがそう短く宣言すると、
アフ―――!アフ―――!
戦闘開始を告げる角笛が雨と波の音をかき消して辺りに鳴り響く。その音は相手の艦船からも緩やかに響いた。
その瞬間、祝福持ち達は顔を青ざめさせ、普通の者達は本能的な恐怖から後ずさる。
目の前にいるシャルルの膨大な魔力が周囲に渦巻き、うなりを上げていたからだ。
その余りの魔力量に彼らは恐怖を浮かべた。
魔力とは神と霊魂を繋ぐ媒体物であり世界のシステムの一つ。神と繋がり世界に生きる生命の鼓動。世界に宿る神から流れ出でるこの世の理。
魔力は上から下へ流れ、逆に霊魂から神へと繋がる生命還流と秩序連鎖を司る。
神の力を手に入れるためにはこの逆の生命還流の順序を辿る。神に近付いた霊魂、魂を有すれば魔力を使い世界の理を書き換えることが可能となる。魂の圧力を高め、神性を上げることにより、ただ神からの力を授かり生き続ける生命はこのとき神と等しき奇跡を振るう。
魂が脈動する。シャルルの器より漏れ出た魔力が空間を揺らめかせて、見えないはずの魔力が蜃気楼のように燃えがる。
魔力がシャルルという器の血流を駆け巡り、霊魂の宿る脳髄へと至る。
魔力は脳の指向性を獲得して、シャルルの身体より放出され、海の上で魔力の混沌から形ある秩序へと連鎖、収束していく。
聞こえざる魔力の唸りを知覚しながらシャルルは言葉を紡ぐ。今だ世界の逆側に存在するモノの境界を打ち壊し、この世界へと導くため。
「永久の空と海の狭間、集え集え、大いなる海よ、大いなる空の内にて、その波頭を我が前に、充填五球、『海原の蒼球」
世界の理が彼の魂の輝きによって改変される。
異様な光景、海が轟音を上げて空へと吸い込まれていく。
激しい波と渦潮を巻き上げて、海水の竜巻が空の一点にかき集められた海水の球体、それが五球。膨大な海水の水玉が悠然とシャルルの船の先に浮かび上がった。
だが、シャルルは誰も到達出来ないような神の奇跡を生み出したのにも関わらず、一切の油断をしていなかった。
なぜなら、シャルルの眼前には敵旗艦アシュロンが五柱の巨大な水の柱を従えていたからだ。
「小手調べと言うことか、レイ・キルバン。ならば太陽を覆う不貞の海賊。その実力、しかと見せてもらおう」
シャルルは雨に打たれながら、その美しくも凜々しい顔に戦いの笑みを浮かべてそう言った。
その言葉と共に、シャルルの海原の蒼球が轟然と高速の速さで二弾打ち出され、その気流の乱れによって船体が大きく傾く。
二弾の海原の蒼球に反応したレイの水の柱二柱が同じく轟音で鞭ようにうねりながら伸び海原の蒼球と激突。
圧縮され、高速で打ち出された鞭と球が海域の真ん中で爆散した。
無数の海水の塊が海に落ちて、巨大な水柱を立てる。
その光景を船に乗ったあらゆる者達が固唾を飲んで見守っていた。
彼らは理解している。
それは間に入ることが即、死に繋がるような神の戦いの再現だと。
人の身である自らが決して入ってはいけない神域、それの頂きに近付いた人であらざる者達の死闘だと。
ドラグリア大陸ポンナーレス海キルバン諸島沖、大陸の上位者二名による決戦の火蓋が切って落とされた。




