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双望の継承者 〔 ゼンの冒険 第一部 〕  作者: 三叉霧流
第四章 王都までの道のり
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領地開発の日々と吟遊詩人

ちょっと状況がついて行けないほど変わってきた。

ヴァルゲンさんがオークザラムに戻ってからまず警備兵が十人規模で村に来た。彼らは紡績機の小屋を守ると言うのだ。来ても直ぐさま住めるような場所がないのでとりあえずリーンフェルトの屋敷の庭に幕舎を張ってそこで寝起きをしてもらっている。夜は交代制で一人立ち、昼は数人で守っている。

正直まだ産業が本格的に動き出していないのに警備兵とは実に大盤振る舞いだとは思うが、ヴァルゲンさんはその価値があると思ったのだろう。少し気後れと兵達にこんなただの小屋を守ってもらう申し訳なさを感じてしまうが。


それだけではなかった。警備兵がいる生活にも慣れたなと思っていると、今度は1000人規模の建築組合の人が来て、トック川の大工事に着手する。

目的は水車のために護岸工事と堰、水門の設置だ。護岸工事は土手の改良から始まる。土嚢と石を積み上げて水位の上昇が起きても決壊しないように護岸工事をして、そのあとで堰を作る。堰はダム建設と同じように行い、川床に大きな木を何本も積み重ねて囲いを作り、土と石で固めて川をせき止める。大した川ではないので水位が腰ぐらいまで上昇ぐらいだが、その分水力は上がる。堰を作っているのと同時に川幅の両左右には柱を立てて、木製の水門を川両端に二門設置する。水門は川岸の柱と設置した柱が上部で木の軸で太い鉄の鎖に巻き付かせて上げ下げできるようになっている。川の両端に二門の水門が出来ればそこに水車小屋を建設する。水車小屋は川の氾濫を考えて、しっかりとした基礎工事と耐久性と重量のある石で作られた頑丈な小屋というよりも建築物に近い。民家よりも大きくて中は何台も紡績機や縮絨装置、粗糸製作装置が収納できるようになっている。計画ではその一門の水門につき二台の水車を設置する。

欲を言えば上射式水車をお願いしたいところだが、それには更に工事が必要になってくるので見送られた。

水車には大きく分けて『上射式水車』と『下射式水車』がある。上射式は水車よりも高い位置から水車の上部に水をかけて水車を回す仕組みで、水力と水の重みによって下射式よりも力が強い。職人から聞けば、その力は二倍以上の違いがあって、それを設置すればさらに台数を稼働できるが、実績がないのにあまり欲張っても説得力はないので我慢することにした。


建設ラッシュは加速して驚くぐらい順調だが、村は大変なことになった。

いきなり1000人規模で人口が増えたのだ。食料やら日常雑貨やら、お酒やらが全く足りない。丁度冬麦の収穫を終えて麦作りで最も過酷な脱穀の時期なので領民達も職人達のことを考えられるような時期ではなかった。俺は村をかけずり回って、日々上がってくる領民や職人達の要求に応えることが精一杯だった。

ヴァルゲンさんのオークザラムから送られてくる食料やその商人達の手配、不足品の確認や商品の購入。食料はヴァルゲンさん持ちだが、それは最低限の物でしかなく、職人達が求めるものに答えるには市を開くしかない。

市を開くためには打ち合わせやら規則の伝達、市を管理するための人員や警備兵を手配しないといけない。

想像を絶する忙しさだった。

毎日がお祭りみたいなものだ。市は毎週行われて、俄にバブルの様相を呈する。市が開かれ、商人達の物がよく売れれば税収入が増える。領民達は収穫したての小麦をパンにしたり、仕事が終わった後の夜に家の前で小さな屋台をすれば小遣い稼ぎ以上の収入が増えた。トックハイ村だけではなくナートス村やエポック村の領民達も自分の子供達を出稼ぎにして、トックハイ村で日雇労働や売店をして稼ぎを得られる。

ここにリーンフェルト領は空前絶後の好景気となった。

俺はにやつく顔を押さえるのが止められなかった。まあ、日々のあれこれで顔が引きつっていたのかも知れないが。


とりあえず落ち着くまでは開発を一旦ストップすることになった。

日中は村の雑用をして、夜に図面を引く生活。空いた時間で試作品をコツコツと作ると言ったようなことだ。

紡績機は完成し、それをどのように水車に連結させるかといったことだけなので起動自体はあまり難しくはない。

だが、起動させて水車が回り出して製糸が終わった後に、また粗糸を紡錘に結ぶためそれを止めることが必要となってくる。ブレーキが必要となる。


水車が回っているときに紡績機を止めると、余計な負担がかかって紡績機の耐久性が落ちてしまう。木製の紡績機は壊れやすい。

そこが悩み所だ。

それならいっそ水車を止めるために水門を閉じることも考えたが、水門は上げるだけでも男手二人は必要となり、それが重労働だ。水門を止めず、紡績機も止めないとなると水車を止めることを考えねばならない。

現状は代案として、水車の車輪ごとを上げることを考えている。水車の車輪の上げ下げができれば更に製糸の精度があがる。水門で大まかな調節、水車で細かい調節ができれば、かなり製糸できる糸の種類が増えることになる。

水車の上げ下げは、水車の軸を上げることを注目した。簡単に言えば、水車の主軸を水門の上げ下げと同じように木の軸に巻き取って、てこの原理で上げ、木の軸をさせている柱に棒のような物を通して固定すれば可能となる。水車を上げるためには水車全体を囲むような余計な構造を必要とするがそれは諦めるしかない。

比較的巻き上げやすい水車の大きさと紡績機を稼働させる馬力、その構造を考えつつ図に書き起こす。


俺の疲労は結構溜まっていた。

領地の運営をしていたトルエスさんは父上を説得するためにエーロック砦に行ってしまって彼の不在の三週間ぐらいは大忙しだし。一週間ほどトルエスさんは父上の説得にかかったがそのお陰でなんとか事後承諾で事を丸く収めることが出来た。帰ってきたときトルエスさんは疲れた顔をしていたがしょうがないだろう。

こちらも遅くまで会計記録をつけたり、不在の間の争いごとの仲裁などでヘトヘトだったし。


半年間は本当にあっという間だった。

冬になれば工事は一旦ストップする。川の水の冷たさと寝泊まりが布を張っただけの幕舎で疲れた身体を休めることは出来ない。

ヨシュア月、つまり11月には職人達は引き上げて、村は昔のように落ち着く。

俺も目まぐるしく過ぎていた日々がやっと穏やかな生活に戻って安堵できるように思えたが、そうはいかない。工事がストップしている間にもすることが山のようにある。まずは紡績関係の試作品製作。そして、経済特区における取り決めをトルエスさんと相談する。

アーコラスは羽の艶がなくなるほど疲弊させながら手紙のやり取りをしてヴァルゲンさんと相談しているが、禅の世界が羨ましい。電話一本で三時間もあれば済むようなことが一ヶ月ぐらいかかる。往復に三日かかるのだ。そして、アーコラスを休ませる時間を一日とするとやり取りだけでも大変になってくる。


他にもマリアーヌ公爵夫人にお願いして、縮絨装置の技師を招く手配もしないといけない。マリアーヌ公爵夫人は俺の頼み事を何でもしてくれる。というかここまでしてくれるのは逆に怖い。王都まで行く間に花の都市クリューベに寄ってマリアーヌ公爵夫人に挨拶することが決まってしまった。

これだけお願い事をしているのに素通りはできない。

どんな人なのかちょっと怖い気もするが、投資家様の一人だ。無碍にはできない。


日々手紙のやり取りと水車の試作を行っていた使徒モセス月、つまり2月にある人が村を訪ねてきた。

それは水車の試作を屋敷で行った後でトルエスさんとの相談をして、ちょうど帰ろうかと思った夕方。外に出て凍えるような寒さに身を震わせて、イススの黒い毛皮を抱きしめるように深く羽織り、村の人達が早足に過ぎ去っていくのを不思議に思った。今日は特に祭事などの人が集まる事はなかったはずと思い、喧嘩が始まったのかと少し気鬱になりながらもそちらの方角に足を向けた。

この時期に村の人がすることと言えば、農具や家の修理、陶器作り、織物といったことだ。水汲みやお喋りで家の前に薪をして、井戸端会議をしているのはよく見かけるが、早足で何人もの人を動かすことはない。

村の人達の背中を追いかけながらその場所に向かうと、そこはエールハウスだった。エールハウスには人がたくさんいて、入れない人達が外から中の音楽を聴いている。

がやがやと人の囁きが聞こえてくるエールハウスの室内からは陽気な曲が流れて、それに囃しのように人が手で拍をとる。


ああ、なんだコンサートでもしているのか。俺はちょっと安心して、気軽にエールハウスへと向かう。

村の人達は俺の姿を見ると嬉しそうに手で招いて、俺を中に入れる。窮屈な思いをしてその中に入るとエールハウスのテーブルをステージにした吟遊詩人がリューベルンをかき鳴らしながら歌を歌っていた。伴奏は彼の後ろで村の中でも随一の伴奏者達が楽器を鳴らしている。

だが、彼の歌声とリューベルンは特筆していた。村随一の伴奏者が緊張の面持ちで彼に付き従い、自分の腕を呪いながらもこの場所で演奏できる喜びに浸っている複雑な表情をしている。


歌っていた一曲が終わり、お捻りが飛んでいるとその歌い手は俺に気がついて声を上げる。

「おや!そこにいますのは小さき英雄!ゼン卿ではないですかねぃ?」

ジャランとリューベルンを盛大にかき鳴らして、嬉しそうな表情でこちらをその吟遊詩人は見下ろした。


ルーン王国のルーン人らしい金髪と碧眼。うなじまである少し長い髪を垂らして吟遊詩人らしい自由気ままを絵に描いたような笑顔がよく似合う人懐っこい顔。普通にしていれば整っていて少し目つきが悪そうだが、その笑みで彼の目つきの悪さは全く感じられない。普段から表情を支配する人の顔だ。演技とでも言うのか。彼の商売上は仕方がないようにも思える。

彼の服は旅の吟遊詩人にしては驚くほど仕立てが良い。黒い分厚い羊毛地の長いジャケットに襟にはさりげなく金糸で花の模様があしらわれ、前開きのジャケットを金の飾りがついた留め具で止めている全体的にコートという感じのジャケットは膝丈程まであり、足は長い革長靴、それも黒い毛皮が靴の縁からでている。リューベルンを持っていなかったらオークザラムの上流市民と間違えそうだ。


彼が俺に声をかけたことでエールハウスの人達は一斉に俺を見て、歓迎の言葉を口々にして何故か乾杯の音頭を取る。

俺は渡されたスパイスと蜂蜜を水で割った飲み物を一口飲んだ。スパイスがカッと胃を熱くして、蜂蜜の甘さが冷えた身体に心地よい。

そのまま吟遊詩人は皆の残念がる声を嬉しそうに返して、リューベルンを抱えながら俺の元へとやってくる。演奏は村の伴奏者達がゆっくりとした曲を流し始めて、エールハウスは少し落ち着いた。


人並みをかき分けて彼が俺の元まで来ると真面目な顔で優雅な礼をして顔を上げる。

「ゼン卿、私はオリエル・ギュスターフ。旅の吟遊詩人をしております。しばらくこの地にて商売の許可をいただきたい」

「もちろん。皆も冬の鬱憤が溜まっているからオリエルさんの素晴らしい音楽で春を感じさせて欲しい」

俺は気楽にそう答えて彼に笑いかける。

その顔を見て彼は真面目そうな顔を崩して、朗らかに笑う。

「それは聞いて安心だねぃ。おっと、この口調もできれば許していただきたい。困ったもので気を抜くと直ぐでてしまうんです」

タハハと困ったような顔で笑ってオリエルさんが言った。

口調自体は差して気にならないが、ギュスターフという姓があることが気になる。姓があるということは貴族という可能性があるからだ。

俺は疑問を彼に尋ねた。

「オリエルさんは貴族なんですか?」

「それ、いつも勘違いされるんですが、俺は凋落でして二代前に剥奪してるんですよねぃ。まあこの姓があるから何処行っても悪くは扱われないんで重宝してるんですねぇ」

「そのまま姓を持っていてもいいんですか?」

「特に罪にはならなかったと思いますねぃ。捨てるのもそのままなのも自由、実に気持ちがいいってもんだ、自由ってのは」

嬉しそうにオリエルさんは頷いた。

エンリエッタもエスカータルの姓を持っていても罪にならないことに俺は安心する。

胸をなで下ろして、彼の答えに満足して彼に仕事をお願いしてから立ち去ろうと声をかける。

「そうですか。近々俺の屋敷でも唄って貰えませんか?母上達が退屈でミイラになってしまいそうなんですよ」

「そいつはいけないねぃ。もちろん是非我が調べで愛の養分を吸っていただかないと。それにゼン卿には個人的に感謝をしたいと思っていたんですよねぃ」

俺は返事をもらったらその場を去る心づもりでいたが、その言葉に好奇心が刺激されて聞き返す。

「感謝なんて・・・俺何かしましたっけ?」

「直接ではないんですがねぃ。ゼン卿宛てのアフロ―ディア一座の手紙を二度も運ぶってぇこれは吟遊詩人にとっては栄誉と商機ですねぇぃ」


俺への手紙が何だろう?


「どういうことですか?」

「アフロ―ディア一座の紋章が入った手紙は旅の吟遊詩人が運ぶんですがねぃ。それをちゃんと送り届けた者はアフロ―ディア一座が作った詩を歌うことが許可されるんですねぃ。そいつは吟遊詩人の栄誉であり、金同然。俺がゼン卿宛に届いた一座の手紙を二度も渡せたので、ほらこの通り。今年の冬は寒い思いをせずに済むって寸法だ」

オリエルさんは自分の服を自慢げに俺に見せた。


なるほど。旅行く吟遊詩人なら国境を越えることもあるだろう。貿易商人組合ではなく、吟遊詩人組合に手紙を渡せといった理由が今ようやくわかった。

リアさん達の歌なら歌えばそれこそ人気が出るだろうし、オリエルさんは歌の名手に間違いはないからさぞ稼げただろう。


「なるほど。何もしてませんけど協力できて良かったです」

「だからゼン卿には感謝してるんですよねぃ。足向けて寝れませんぜ。お屋敷には明日お伺いして、我がリューベルンで春の息吹を吹き入れましょう」

にこやかに笑って、オリエルさんはリューベルンをコツンと叩く。

俺はそれにお願いしますと言って、その場を後にした。


村の皆に挨拶をしてエールハウスから出るとそこにはトルエスさんがいた。

彼はちょっと怪訝そうな顔つきをして俺を見つけると早足になってこちらに近付いてくる。

「ゼン、さっきアイツとなに喋ってたんだ?」

なんだか少し怖い顔をしている。

俺はそれを不思議に思いながらも答える。

「吟遊詩人オリエルさんですか?大したことは話してませんけど・・・明日屋敷で演奏してもらうことぐらいですかね」

「・・・。気にしすぎかも知れないが気をつけろ。旅の吟遊詩人は間諜や暗殺者が身を隠すのに打って付けだからな」

俺はその言葉に少し油断していたかなと内省する。


ここには秘密がある。

ヴァルゲンさんの大規模な工事と俺たちの織物が最近は巷にそろそろ噂として流れてもいい頃合いだ。それを探るために誰かが来ても不思議じゃない。

最近は領地のことで忙しくて、そういった感覚が鈍くなりつつあるようだ。


ちょっと心に喝を入れつつトルエスさんに向き直った。

「忠告ありがとうございます。明日彼が来たときは紡績機は止めましょう。警備兵も見つからないようにしつつ」

「ああ、それがいい。用心に超したことはないからな。ただの吟遊詩人に歌を歌ってもらうだけなら何の問題もない」

「はい、そうですね。あんまり疑いたくはないんですけど・・・それはそうとしてトルエスさんは夕食どうするんですか?ウチで食べていきますか?」

俺は少し悪くなった雰囲気を取り払うために、陽気な声を出しつつ彼を屋敷に誘う。夕食後に意見も聞けたら明日の話し合いをせずに済むし。

トルエスさんはふぅとため息をついて首を横に振った。

「いや、食事なら自分の屋敷でとるよ。ありがとな」

「そうですか」

俺はちょっと残念な気持ちで答えていた。

トルエスさんは極力ウチで夕食を取らないようにしている気がする。よく誘ってはいるもののヴァルゲンさんや父上、仕事のこと以外でウチを訪ねることはない。

何か嫌なことでもあるのかと勘ぐってしまう。来たら来たで楽しんでお酒は飲むんだけど。

まあいいかと思って、俺はトルエスさんに挨拶をして、村から離れる。

その俺の後ろでは陽気な素晴らしい歌声が村の人達の合唱と一緒になって聞こえてくる。


「さあ、春の喜ばしい気配が近付いてくる。

喜びが春を呼び戻し、笑顔と希望が溢れる!

草原には花の蕾みが、空には太陽。

春はもう側まで帰還し、憂鬱な冬が逃げてゆく。

我々の喜びと歌が春を連れてくるんだ。

さあ、華々しく、陽気に行こう!

甘い楽しみの中、愛の神のご褒美を手に入れようと骨を折る者どもよ!

さあ、自慢たっぷり、愉快に行こう!

我々の甘い歌声が春をもたらすのだ!

古の神々のパトスに倣って愛の神の命令に従い、

人妻さえものにしちまおうじゃないか!」


明日我が屋敷で母上の前で歌うのにその選曲はないでしょうと俺は心の中で突っ込みつつ、オリエルさんの茶目っ気に笑ってしまう。

まあ、本当にしたらタダでは済まさないが。


俺はブーケファロスの背に乗りながらそんなことを思った。

オリエルの歌。

カルミナ・ブラーナ

Ecce gratum(そら、ご覧!)を参考。

※この話にある水車や堰、水門等の話は現状情報収集中。集まらなければこの形で進めるつもりです。

しかしオリエルの口調鬱陶しいな…

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