幕間 それぞれの場所での思惑
「なんだこの領地は!」
怒りを露わにした声と共にガシャンと机の上の物が地面を叩く音が響き渡った。
熱い太陽の光が眩しく格子状の窓から入り、温かい風が気持ちよく吹く執務室で一人の男が美しい顔立ちを怒りの形相に歪ませて息を荒げている。その後ろでは彼の補佐をする海軍の少将が目を伏せてその様子を聞いていた。
怒りを振りまくのはルーン王国王太子シャルル・アーノルド・マキシラル。美しい出で立ちに海軍司令官の徽章をそのマントに掲げている。
シャルルは執務室で自らの怒りを露わにしていた。
「何かにしろ金、金、金!これほどまでにフッザラーが腐っていたとは!父上は何故このような金の亡者達を野放しになさる!」
「シャルル殿下・・・。ここはそう言った土地です。高貴さより金を尊ぶような者達が暮らす場所。殿下のような高貴な方には理解できないかも知れませんが、そう言った土地として我慢していただくしか・・・」
その言葉を漏らしたのはセバン・ヴェニール少将。ルーン王国海軍本部があるベルーノ生まれの貴族であり、元は王都の行政官として働いていたがその実務能力と一族が海軍高級将校を勤め上げていた遍歴もあって貿易都市グラシャスの海軍をまとめる代表を務めていた。彼はその実務能力と押し寄せる現実に正面から対処するだけの経験をもった優秀な軍人であるためこの地で根付き、フッザラーの貴族達と拮抗を作り上げている。
セバンは彼の行動に臍をかんだ。
彼はシャルル殿下がグラシャスに着いた当時のことを思い出す。
シャルルは海軍の精鋭艦船100隻と共にグラシャスの港を圧倒的な威厳と尊厳を持って着岸し、海賊の脅威に苦しめられていた領民達に熱狂的に歓迎される。港から海軍の実務を司る軍政庁の建物までを数万以上の領民が旗を振り歓迎する。花吹雪が舞い、海軍楽団が指揮をして勇壮なる調べに彩られたシャルルの美しくも精悍な姿を一目見ようと人々は手を振っていた。
まさに王太子を歓迎するパレードだった。
しかし、歓迎を受けて一安心しているシャルルを襲ったのはフッザラーの貴族達の謀の嵐だった。
フッザラーの貴族達はシャルルを王子ではなく、巨万の富を背負った獲物だとしたのだ。軍の行政に関わる全てのことに賄賂を要求し、それを拒否すれば遅延、欠品、ストライキなどの手で彼の足を引っ張った。早急に体勢を立てて、海賊に対抗したいシャルルは躍起になって、頭ごなしにそれらの貴族と正面から対峙する。強権で他の者と交代を命じるが、その者もまた同じことの繰り返しだった。繰り返し行われるイタチごっこ。
セバンは必死になって殿下の進む先の露払いをしようとあらゆる手を尽くした。賄賂を支払うことに頷かないシャルルのために海軍の財務に裏金を作り上げて、その金を裏で取引に使いお膳立てをした。そのことをシャルルが知れば、自らの立場も危うくなると覚悟しながらもセバンは若く美しい王太子のために汚れ役を買った。
セバンはシャルルを少年時代から知っている。海から愛された彼を自らの主だと心に決めて、付き従うことを選んでいる。
グリゼリフ国王からの勅命を帯びて、シャルルの補佐をするとなったときは光栄とその信頼から忠義の心を燃え上がらせて、シャルルのために尽くすことを覚悟している。
この汚れた世界で一人輝かしく成長し、自らの愛した海に認められた王子。彼の代わりにその泥を被ることに何のためらいもなかった。
シャルルは振り返ってそのセバンを睨み付ける。
「セバン。私は我慢してきた。彼らの俎上を聞き、正義と信念をもってそれに答えた。だが彼らがしたことはなんだ?我らの信念をあざ笑い、袖の下から手を出しただけではないか!それをまだ我慢せよというのか!」
心の底から低い声を上げて、シャルルは美しい青い瞳でセバンを射貫き言う。
セバンは黙ってその言葉を聞くだけだった。
今回のことはシャルルの派遣の根幹を揺るがせる。
作戦の進行を妨げる貴族達をなんとか振り払い長い時間をかけて、海賊達へ対抗する準備をかけてきたが、フッザラー家は領海軍を自衛のためと、協力を拒否したのだ。海賊の行動範囲は広い。その発見も地元の情報や、海賊を撃退してきた経験をもつ領海軍が水先案内人として機能しなければそもそもの作戦が成り立たないのだ。
ノラリクラリと明言を避けてきたフッザラーは、ここに来て協力を惜しんだ。それは海賊討伐という国王から直々に受けた使命を断念せざる負えないことを意味する。
たとえ海軍だけで打って出たとしても周囲の海を知り尽くした海賊の餌食となる可能性がある。
グラシャスのルーン王国の海軍は元々警備としての機能だけで有り、海賊から来ない限りは戦闘を行っていない。こちらから打って出るには領海軍が必要だった。
執務室に戻る前に行ったフッザラーとの会議ではセバンも同席していた。彼はシャルルが息を荒らげそうになるのを必死で抑えさせて、休憩という名目で会議を止めることしか出来なかった。これ以上フッザラーとシャルルを同じ空間に入れていれば何が起こるかセバンにも分からない。ただ、セバンは自らこの地で根付いたにもかかわらずこのような事態になったことを恥じるしかなかった。
セバンは忸怩たる思いでシャルルに進言する。
「・・・トローレスの軍に共同作戦として話を持って行くのではどうでしょう?」
「それでは我が国が領軍も扱えぬ恥さらしになってしまう!陛下が、父上が築き上げたこの国に泥を塗るようなことを私が出来るとでもいうのか!」
「申し訳ございません・・・。ですが、海賊を討伐するためにはその経験を持つ者が必要です・・・」
セバンはシャルルに頭を下げて謝りながらも進言を止めない。
それがシャルルにとって価値があると思うが故に。
シャルルはそのセバンを見ながら自らの怒りを恥じる。シャルルもまた人としては人格者であり、素直に謝られれば自らを内省するだけの器は持っている。
ため息を一度つき、シャルルは少しの沈黙で呼吸を整える。
「すまん。私のために言ってくれているのであろう。私も考えを改めねばならぬ」
セバンはその言葉に胸をなで下ろす。
これで殿下も少しは現実に目を向けてくれるとの期待感で。
シャルルは思い詰めたようにセバンを見た。
「あのような亡者共を当てにするのが間違いだ。我らだけで討伐に出る。私だけでも兵達を守れるだけの力があると示しフッザラーに知らしめる。己が無力さを」
「殿下!」
セバンは慌ててシャルルを見上げる。
そこには使命感に溢れた王子がいた。その美しい相貌を光に照らされてはいるが、不吉な影が纏わり付く。
セバンはその危うさに声を僅かに震わせる。
「いけません!確かに我らは精強なるルーン王国の海兵。ですが、相手はトローレスの海軍の攻撃を数百年間も耐えきる海賊。我らだけでは対処するのは危険です!」
「分かっておる。だが、セバン。お前は私の力を知らない。もう成人したばかりの子供ではないのだ。その力を見れば納得するだろう」
シャルルは言葉が終わるとセバンを置き、執務室の出口に向かう。
肩で風を切り、王子としての威厳を靡かせて歩を進める。
「さあ、行くぞ、セバン。叩きつけてやるのだ我らの力を。金の亡者と無法なる海賊に」
過ぎゆくシャルルを見ながらセバンはその不吉な影を心の内から振り払う。
王子に従う。それがどのような渦中であろうとも自らの使命として。
セバンはシャルルの海軍の紋章を追いかけて、その後に続いた。
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貿易都市グラシャスでシャルルとセバンが話していた頃、遠く熱い太陽が同じようにその島々を照らしていた。
キルバン諸島の最も大きな島であるマヌス島。
熱帯雨林特有の大きな葉の木々や鮮やかな色の花々と実った数々の果実が極彩色にその島を彩っている。鳥だけでもその種は数百にもおよび、生命は魔物と合わせると数千以上にも上る生き物の楽園。その島の砂浜にある桟橋にある一団が大きな帆船を着けて、島に辿りついた。
「リア!元気にしてたかい!?」
その一団を迎える者達は民族も人種もその服装ですら様々。言えるのはよく日に焼けた肌と腰に下げた武器の数々、野卑な顔立ち。
その出迎えの集団の中でも一際目立つ女性がリア・アフロ―ディアに嬉しそうに声をかけた。
その女性はこの地の女王。レイ・キルバン。
35の海賊団をとりまとめる海賊女王であり、彼らの母。レイは豊かな紫色の髪に美しい海鳥の羽根飾りがついた海賊帽をかぶり、黒いマントに白い麻のシャツと革のベスト。あらゆる男をその妖艶さで虜にする美しい女性だった。
「ええ。たくさんいいことがあったわ。それを言いたくてウズウズしているのよ、レイ」
リアはそのレイと気さくに声を交わす。まるで姉妹のように美しい女性達が言葉を交わすのにその場にいる誰もが涎を流しそうなほど茫然とした顔で見ていた。
レイは嬉しそうにしながらもリアの格好を見て笑う。
「アハハ!しかしなんだいその格好は?」
「どう?いいでしょ?アフロ―ディア海賊団よ」
リアはレイが自分の服を見て笑ったことを嬉しそうにしながら自分の服装をよく見えるようにその場でくるりと回った。
リアは赤い海賊帽にクジャクのような羽根飾りをつけて、レイと同じような格好をしていた。その後ろでレイとリア達の様子を楽しそうに眺めていたアフロ―ディア一座も海賊達の格好を真似ている。フェスティナは海賊の囚人のような縞模様の服に頭にはトレードマークの帽子を被り、キスラは航海士、リーシャは猫耳をつけて船長の愛猫役、カイサは船団の剣士の格好だ。
リアを見た後でその一座の様子を見たレイは更に笑う。
「アハハハ!そいつはいい!なんて綺麗で可愛い海賊団だい。私の物にしたいぐらいだ」
レイの言葉にリアは微笑みながらもちょっと戯けるように肩をすくめる。
「だめよ。アフロ―ディア一座は私の物だし。それに私はもうもらい手が決まっているのよ」
その言葉にレイは目を丸くして驚いた。
「いい人ができたのかい!?そいつはウチの男共とっちゃ一大事だ。でも誰なんだい?その男は」
「その内に聞こえてくるわよ」
「私に隠し事かい?私達の間に隠し事はなしだよ、リア。こうしちゃおれない。早く私の家に案内するよ。公演なんてしなくていいから話をしな!」
レイはリアの腕を取ると、じれったそうに腕を引きながら言った。
リアは困ったような嬉しいような表情をする。
「私達の仕事を取らないで。ちゃんと話をするからまずは公演場所に連れて行って」
レイはリアの言葉を聞いて、眉をつり上げる。
「ああ!じれったい。おい!お前ら、先に行って場所の準備を進めな!夜が来ても終わってなかったら承知しないよ!」
くるりと自分の海賊達に向いて、大声を上げてレイは指示を出した。
その声で茫然としていた海賊達は慌てて、島の奥の方へと走り出す。
その光景をレイは睨み付けながら見送った。
そしてまたリアの方に振り返ると満面の笑顔を向ける。
「さあ、公演場所までは私も行くよ。それまでゆっくりと話を聞かせな!」
「ええ。話はたくさんあるわよ」
リアはその笑みを嬉しそうに受けながら答えた。
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暗い地底湖。
そこには明かりも灯らずに青く光る地底湖に数人の人影があった。
地底湖に浮かぶ者とその台座に伏している者数人の人影。
「――――主よ。いかがいたしましょう?」
「ふむ。着々と進んでおるな。戦乱の火が煙を上げてくすぶり始めておる。さあ、ここからだ。ここからがこの時代を決める」
「では、まずどこから始めましょう?」
「まずはルーン王国。この国に二つの石を投げ入れた。使徒とトローレスという石をな。さすれば、北、南はよい。残るは西と東。西は最後の最後に取っておく。西こそ芽が出る可能性が高い。残る東に介入すればこの国は燃え上がる。余の生け贄と捧げる魂の悲痛なる叫びでこの世界を目覚めさせる。それこそが余の力となる」
「では・・・ハスクブル公爵家の領地に?」
「否、丁度よく燃え上がりそうな火があるではないか。トランザニアという。故にトランザニアにルーン王国への火をつけさせる役を与えよう。余がその炎に油を流し込み贄を焼こう。聞こえるぞ、軍鼓の響きが!剣戟の音が!戦火に燃える民の叫びが!魂を輝かせる戦いの音が!」
「畏まりました。ではそのように準備を致しましょう」
「ああ、それと使徒の選抜をせよ。余から祝福を与える」
「・・・っっっ!!まさか・・・?」
「そうだ。余の力を与える。その者を選べ。栄えある神国民から最も魂の輝きが強いものを12人」
「天使の生誕・・・。なんという栄華!天使を我が手から選べる喜び。身命を賭して主の御霊に沿う者を選び抜きましょう」
「余はまた眠る。目覚めるときまでに用意せよ」
「はっ!畏まりました。主の仰せのままに」
その男の声が響くと、地底湖に浮かんでいた者が沈みその姿を消した。
男達が地底湖から去り、分厚い扉が音を立てて閉じる。
鍾乳石から滴る怪しげな水滴の音以外を残して全ての音は消え去った。
いつもお読みいただきありがとうございます!
これで100話。それもひとえに皆様のおかげです。
その喜びを活動日記にしましたので是非。そちらのほうも宜しくお願い致します。




