尊敬する祖父
10/6 修正いたしました
2016/04/17改稿しました。
サブタイトルを検討中です。
禅視点です
大切な人が満足して逝ったとき、残された者は喜べば良いのだろうか?
満足して逝ったのだから喜ぶのが普通だ。そう言われたとしたら俺は普通ではない。残された唯一の肉親である祖父が満足して亡くなった後、俺は電源が付きっぱなしの機械のように時間が止まっていた。画面は暗く、カリカリと時たま光が明滅し、電力を消費するだけの非生産的な機械。
俺にとって祖父リオ・ラインフォルトはただの祖父ではなく人生の師匠だった。小学校を入学しない内からあらゆる技術と知識を学び、戦国時代の武家のような厳しい修行を強要されていた。
それに対して俺は何の疑問も反抗もなかった。それが当たり前だと思っていたからだ。
人里離れ時代から取り残されたような武家屋敷で野山に分け入り、獲物を狩り野菜を育て、生活に必要な道具を作る。同年代達がする遊びを知ったのは彼が亡くなったずっと後だ。それまでは必要最低限の物以外は祖父と俺が作るか野山からとってくる。
初めて自分で獲物を捌いたのは俺が五歳の頃。祖父の側で命を奪う行為はずっと見ていたが、いざ自分がするとなると怖かった。罠で傷ついた身体を必死に藻掻きながら俺を睨み付ける獲物の目は今でも忘れることはできない。
俺は二日間、その命を奪うことができなかった。俺が躊躇っていると獲物達は出血で息が細くなり絶命する。苦しみながら血の滴りとともに命が消える瞬間、悲しく光る獲物の目が俺を責めるようだった。
祖父はいつまでも動こうとしない俺をただ見つめるだけだ。巌のような巨大な身体に、白髪交じりのブロンドを後ろに流し、聞くのを躊躇わせる頬の大きな傷跡、瞳は見つめられるだけで心の底まで見透かされそうなほど鋭く碧い。外国人なのに日本の武士といった雰囲気で腕を組み俺の後ろからじっと見つめられると、巨大な岩がのしかかっている気分になる。
ただ見つめられるだけなら俺はきっと祖父を尊敬しなかっただろう。俺が獲物を殺せない間、彼は粥一杯どころか食事を一切与えなかった。彼は俺に生きるということがどういうことなのかを教えてくれたのだ。
祖父は言った。
「禅、生きるとは常に何かを奪うことだ。植物に動物、魂がないものも。ただ、それに慣れるな。感謝し、奪ったものを何に使うかをよく考えろ」
生き物を殺す恐怖と空腹の中、俺は彼の言葉でこの世の法則を理解した。いや、厳密にはあの時は分からなかったが、身体は理解したのだろう。俺は彼に恨み言を言いつつ、初めて涙を流して生きるために獲物の命を奪った。
あの時の涙は祖父への恨みもあるが、それ以上にもし自分が逆の立場なら俺は決して相手を許さないだろうと思ったからだ。言葉を言わぬ獲物だろうと命を奪う存在には牙を向ける。とどめを刺す瞬間に、獲物が牙を向けて泣き叫び、俺はそう感じだ。
それでもあの時食べた肉の味は今でも思い出すほど美味しかった。
人間とはこうも単純な生き物だと思い知らされた気分だった。あれだけ恐怖し、怖がっていても調理した後の香ばしい匂いと滴る油で光る肉になれば、そのことを忘れて無我夢中で胃袋に収める。
次の日から本格的な武術の稽古になった。
祖父は真剣で俺と模擬戦を行った。刀の持ち方だけ教えられて自分に斬りかかるように言われる。型も知らず俺はただ無闇に刀を振り回すだけだ。彼は勝負の最後には必ず俺の身体を斬る。傷跡が残らないような浅い傷だが二十試合以上すればもはや身体のあちこちから血を流し、痛みにもだえていた。
本当に殺されるかと思った。
俺が彼の手加減した攻撃をなんとか防げるようになるまで八年以上かかったと思う。俺が屋敷にいる間は傷が身体から消える事はない。
それから十年が経ち、武術だけではなく俺は様々な事を学んだ。小学校には入学せずに屋敷に専門の家庭教師を招いて俺は彼らから色々なこと勉強する。
基礎学力はもちろんのこと、七カ国語、経営、農業、建築や工作、武術、軍事、家事。
海外にも行きサバイバル術の演習や少年兵訓練キャンプで一年を過ごしたこともある。
紛争と暴力。それがどのような影響を人に与え―――どのような洗脳を行うのか。祖父はそれを学べと言った。
重くて騒音が耳に痛いカラシニコフを肩に下げて砂塵とがれきの山を走り回った。走りながらキャンプのすぐ側で爆撃機が轟音を鳴らして空を飛ぶ生々しい光景は忘れることができない。
キャンプでは暴力が全てを支配していた。外部との接触を断たれ、外の世界の情報が一切入ってこない閉じた世界では暴力という怪物が実に過ごしやすい環境だ。訓練官の命令は神の言葉と等しく、少しでも守られないと鞭が飛んでくる。
鞭打ちは見せしめの拷問。牛革で作られた鞭は五十回も打てば外傷性ショックで死ぬことさえある。数回打たれれば打たれた場所の皮がはじけ飛び血が滲む。ぱっくりと広範囲で皮膚が無くなって、その後一週間は動けず痛みで一ヶ月以上苦しめられる。鞭打ちを受けた者は傷が痛んでも誰からも同情はされずに次の日から訓練が始まる。
拷問の生け贄にされるのは、基礎体力の伴わない『役立たず』だ。訓練官だけではなく仲間にも暴行される。閉じた世界では常に生け贄が選ばれ、怪物は巨大化する。
俺は恵まれていた。訓練キャンプに入る前に集団行動というものを教えられ、小さい頃より基礎体力訓練をつけてきた俺はその場所でどのように生き残るかはすでに知っていた。目立たず能力を隠し平均点をとり続ける。それでも片言しか話せず目や肌の色が違う俺は生け贄にされそうになったが、集団の上下関係と上の者に気に入られるコツを学んでいたので回避することができた。
あそこでの俺は傍観者だった。俺と共に卒業した者達がその後どうなったかは知らない。死んだ者もいればどこかで保護された者もいるだろう。俺はあの場所にいた人間を観察し、あの怪物を学ぶためだけに行ったようなものだ。それを傍観者と呼ばず何と呼ぶのだろう。
俺は学んだ。幾ら言葉を尽くそうとも暴力は人を狂わせて、怪物にしてしまうと。
非人道的。そんな言葉で終わらせることはできない。人は暴力の前では人を捨てる。生け贄の対象になった者がそれを逃れるために自分の友達を生け贄に捧げたところを見た。少年兵のリーダーが妬みで引きづり下ろされ生け贄に捧げられたところも見た。
生きるとは常に何かを奪うことだ、と言った祖父の言葉の裏側を見た気がする。生きるためには生き物の命が必要だから日々の食事に感謝しよう。そんな生やさしいもので世界は回ってはいない。世界は、悲鳴と血が飛び散り、何かを押し潰して回っているのだ。そういう所で精神を安定させるには自分を機械だと思えばいい。人間関係を読み取り出る杭にはならず、集団で声を静かに日々を淡々とこなす。意見や誰かの悪口を言えば即座に目をつけられる。それが最も合理的なやり方だ。
俺はますます祖父を尊敬して帰国した。
こんな過酷な世界で生きるために祖父は俺に大事な言葉とその術を教えてくれているのだ。尊敬しないわけがない。
その後、今度は祖父の知り合いの会社で働けと言われて都心へと一年間暮らすことになる。その会社は日本でも有数の大会社でその社長が俺を秘書にすると言う。十四歳の子供を秘書にする人だ。普通の人ではなかったが、豪胆な気持ちの良い性格で俺は彼を気に入り、彼も俺の事を孫のように扱ってくれる。
俺は与えられた場所でベストを尽くしたと思う。法的にはただの子供の俺が会社の一部門を任され、歳が三周り上の人達から感情のない薄気味悪い子供、社長の隠し子と陰口を叩かれ、色々な邪魔もされたが結果は出した。
しかし、俺が働いている間に祖父が倒れ、俺はすぐさま病院へ駆けつける。
末期ガンだった。
余命一ヶ月と宣告されても祖父は退院し、屋敷に戻って俺に稽古をつける。今まで以上に激しい稽古だった。まるで消えゆく命すべてを注ぎ込むように早朝から夜遅くまで。睡眠時間は三時間もなかった。だが、それも長くは続かない。余命宣告から一ヶ月半も長く武術の稽古が続き、彼は完全に寝たきりになった。それから今度は病床から彼の知識や経験を俺に語って聞かせる。時間の感覚がなくなるほどずっと話して、あるときぷっつりと彼は黙り込んだ。
話すことが無くなったのだ。語ることがなくなり黙っている祖父の側を俺は離れなかった。
彼が息をしているのを、彼の命を確かめるように、一秒でも長く祖父を見ているために。
ある晩。
「禅、教えることは全て伝えた。誇るがいい。よくやった」
そう言って布団の中かから差し出した手が俺の頭を撫でる。それは泣きそうになるぐらい細かった。
「ありがとうございます」
自分の口から出た言葉はどうしても固くなる。こんな時まで俺は彼を祖父ではなく師匠として接していたのだ。
「禅には悪いことをしたと思っておる。学校にも行かせず、鍛錬の日々。だが、私にはこれしかできん。許せ」
いつもの厳しい眼差しに憂いの色が滲んだ。
このような祖父を俺はしらない。常に正道、巌のごとき圧倒的な存在感、尊敬する祖父が初めて見せた弱さだった。
俺はそんな祖父を見つめながら姿勢を正し、頭を下げる。
「いえ、感謝しております。これまでの日々は辛い時もありましたが、私の誇りです」
「ならばよかった。安心だ。これからも心鉄を鍛え、己が道を歩め。いや、歩んでほしい」
そう言って彼はほほ笑んで、続ける。
「もう寝なさい。今日は私も早めに休む」
「はい、おやすみなさい」
俺の頭を撫でていた彼の手を、俺は惜しみながら布団に入れ答えた。
「ああ、お休み、禅」
俺は大きくなった彼の部屋を出た。
次の日、禅・ラインフォルトの祖父リオ・ラインフォルトは亡くなった。
俺は、淡々と彼の葬式を上げて、遺産整理をし、屋敷を売り払い故郷を後にする。
俺は一切の涙を流さなかった。
彼は満足したのだ。満足して、禅・ラインフォルトである俺を誇ればいい、と最後に言ったのだ。ならば、これは悲しむことではない。
だが、と俺は思った。
大切な人が満足して逝ったとき、残された俺は喜べば良いのだろうか?
俺にはわからなかった。悲しむべき事ではない。ならば喜ぶべきなのに俺は喜ぶことができない。俺の中にあるのはただぽっかりと空いた穴だった。
祖父という偉大な師を失い、俺は深い霧の中を小舟でこぎ出す遭難者だ。生きる術を教えられ、飢えと脱水を免れたものの、大地を見つけることができず永遠に迷っている。
それは恐怖だった。石を積み上げて供養塔を作ろうとしたら鬼に壊される永遠に繰り返される無駄な努力『賽の河原の石積み』。時間という石を積み上げ完成もしない塔を作り続ける子供が俺だ。
早い話が、俺は生きる目的を失った。
その後、俺は秘書見習いをした会社の社長を後見人とし、高校に入学するために都会に道場付きの一軒家を購入し独り暮らしを始めた。