8.恋なんかじゃなくて
後日、またも緊急治療を受けた俺は意識を取り戻した後、彼女の無事を知った。
彼女は買い物中に貧血で倒れ病院に運ばれたという事になっていた。もちろん組織の工作だ。2時間程で帰宅し、迎えに来た両親に対しては恥ずかしそうで、また不思議そうにしていたという。
「お前さんはよお、俺やうちの若え奴らを、何もできねえ役立たずだと思ってんのか?」
凄みの効いた鮫島さんの言葉に身を縮める。
そんな事はない。彼らがいるから、後先を考えずに戦う事ができる。
「毎回毎回、お前さんが勝手に一人で敵を殺しまくって、俺等は後片付けだ。俺等だって人くらい、いつでも殺せるんだぜ?」
彼が、彼なりに俺を気遣ってくれているのはわかる。非常に申し訳なく思う。しかし。
「……鮫島さん達は、撃たれたら、死ぬでしょう?」
俺は、死なない。今のところは。死にそうになるだけだ。
鮫島さんは舌打ちで返事をした。
「この先、他の組織の襲撃がこれまでよりも厳しいものになると予想できます。
我々の組織と変わらない技術力を持ったどこかの組織も、《怪人》を使って来る可能性があります」
キリカさん、クソ妄想眼鏡、とうとう自分で俺を怪人扱いし始めた。
ショッピングモールでの二ノ瀬香乃葉さん誘拐未遂の後、俺はまた説教を受けている。自分の勝手な判断で行動しすぎると。このままだと俺はすぐに殺され、彼女を守る者がいなくなる、と妄想エロ眼鏡は懇々と俺に説く。
「《怪人》から香乃葉様を守る事が出来るのはあなただけ。ですから、あなたを失う事は我々にとって大きな損失となります」
馬鹿じゃねえか?俺は思う。
結局俺にしたってこの妄想じみた《組織》にいいように使われてるだけだ。俺が、組織の為に自分の身を案じた戦い方をするべきだ、と言いたいのだろう。そんな事まで指図されたくはない。
俺は、その都度命を懸けて二ノ瀬香乃葉さんを守る。
俺が黙っている事で、俺の意志は伝わっている。
イライラ眼鏡がこれまで見たことの無い、哀れみのまじった顔をした。
「緑川君。組織は確かにあなたの、香乃葉様への想いを利用しています。あなたは彼女の為なら何だって出来るから。
今から言うのは組織とは関係なく、私の独り言と思って下さい」
曇った眼鏡を取り丁寧にハンカチで拭いてから、彼女は俺の肩を両手で握った。
「前にも言ったけど、あなたそれでいいの? それで、あなたの人生を生きてると言えるわけ? なんで、あなたの存在もろくに知らない女の子の為に、命がけで戦えるの? そうしろって言ってるのは私たちよ? そうなんだけど、普通自分の命は優先するでしょ?
最初からわかってたけど、あなた、おかしいわよ?」
キリカさんはいつになく感情的で、おれの肩を揺さぶりながらそんな事をまくしたてた。
「あなたが彼女を好きだって事は知ってる。でも、異常よ。ストーキングの時点でそうなんだけど。
あなたの場合、《呪縛》みたいなものだわ。恋なんかじゃなくて。
この世界に他にも女の子はたくさんいて、あなたを好きになってくれる子もきっといる。あなた自身の人生について、もう少しだけ考えてみて」
そう言うと俺から手を離し、キリカさんはいつもの取り繕ったようなクールな顔に戻った。
「3日間、香乃葉様に対する警護及びストーキングを禁止します。破った場合、二度と任務には就かせません。鮫島にも話は通してあります。緊急時には呼び出しますから、彼女の行動範囲の2km以内には居る事を許可します。以上」
自分でも意外な事に、俺は素直にそれを受け入れた。
脳にダメージが残ってるせいもあるかもしれない。
少し自分の為に時間を使ってみようかなんて思った。キリカさんの言葉に、少しは影響を受けてるみたいだった。
さて。なにをすればいいのだろう。
この三年間というもの、彼女を観察し、尾行し、盗聴する以外の事をほとんどしていない。はて俺は、それ以前なにをして生きて来たのか。
そこまでで記憶を遡るのはやめた。ずっと死ぬ事を考えていたからだ。クソみたいな両親。クソみたいな自分。クソそのものの世界。そんなものは思い出したくない。
組織からけっこう金は受け取っている。小遣いには多すぎるくらいだ。なにに使えば良いのだろう。盗聴機のいいやつか、高精度の望遠レンズか。いや、彼女の事は三日間だけ忘れよう。
友達は今まで一人もいない。趣味も無い。なぜかツールドフランスを観るのは好きだが今はシーズンじゃない。普通の高校生ってのは何をして遊ぶんだ?
彼女は今頃図書館で本を選んでいるだろう。それからソファに座って雑誌を少し読む。彼女の好きな恋愛小説を俺も読んでみたけど、なんだかよくわからなかったな。なぜ登場人物達は皆、好きな相手を想うだけで満足しないのか。コミュニケーションや肉体関係を望むのが、そんなに当たり前で自然な事なのだろうか。
昼間に街をぶらぶら歩きながら、やっぱり彼女の事は頭から離れない。
「ねえ、そこのキミ」
俺か?誰かに後ろから肩を叩かれた。振り向くと、高校の制服姿らしき女の子が笑っていた。
「キミのこと、知ってるし。タケシ、でしょ?」
その女子高生はギャルっぽい出で立ちだった。ぽい、というのは、流行に疎い俺から見ても、ちょっとズレたファッションに見えたからだ。顔は化粧が濃いけど、けっこう可愛いかな。
パサパサの金髪にデカい花。この寒いのに超ミニスカート。ルーズソックス。それから、全体的にゴテゴテしていた。今時のギャルはもう少しこざっぱりしている気がする。興味は無いが。
しかし、このギャルにまったく見覚えは無い。クラスにもこんなのはいなかった。なぜ俺の名を知っていて、そして呼ぶのか。
キョトンとする俺を見て、
「こっち」俺の袖を引っ張ってゆく。俺は為すがままだ。
「ここ」建築現場の資材置き場。シートを引き上げて俺を押し込む。ギャルも続く。
なぜ俺がこんなギャルの言いなりになっているのか。それは、二ノ瀬香乃葉さんに関する事以外のすべてにおいて、俺はなんの判断力も持てず、行動力も無いボンクラ野郎だからだ。
「タケシ。ちょっくらルナと戦ってみて」
突然、そう言ったギャルは素早い動きで間合いを縮めた。すり足。低く保った重心をそのまま平行移動させ、隙を作らない。
彼女が弧を描くような軌道で俺の横へ回った。そして次の瞬間には姿を見失っていた。
小さなぬいぐるみが10体位くっついた鞄が、俺の顔面に投げつけられたから。
ギャルは肩から俺の身体にタックルし、ナイフで腹を深々と突き刺した。




