7.君を見ているときだけ
俺が任務に復帰して4日が経った。
今日も今日とて彼女の警護だ。ただ付け回していた頃と違い、名目があるとなかなかやりがいもある。
ショッピングモールに一人で来ていた二ノ瀬香乃葉さんは、文房具屋で楽しそうに便箋や封筒を選ぶ。家族や友人達にロサンゼルスから手紙を書くと約束して、今日はその準備だ。気が早い。
意外と古風な君は、メールやLINEは余り好きじゃない。PCもiPodの同期くらいにしか使わない。ブログでもやってくれたらもっと君の事がわかるのに。そんな風に思ったりもしたが、俺以外の人間に君の事をあまり知られたくない気もした。我ながら勝手だ。
君は可愛らしい便箋と封筒を大量に買った後、全然視力なんか悪くないのに眼鏡屋に入り、いくつかのフレームを試した。鏡を覗き込んで「ふむ」みたいな顔をする。細いアンダーフレームの赤が似合うと思った。
フードコートのたい焼き屋の前を3往復した後、君は一つだけ買って両手で大事そうに食べる。俺も同じものを買って食べた。クリームとかより餡子が好きなんだよね。アメリカに行ったら困るんじゃないかな。
君を見ているときだけ、俺は生きていると感じる。
こんな彼女の性格や嗜好が、組織の都合で作られたものとはまだ信じられない。これ以外の彼女を想像することなんてできなかった。
エレベーターに乗った彼女が一階のボタンを押すのを手の位置で確認し、俺は階段で駆け下りる。三階、二階、エレベーターが通過していくのを表示灯で確認しながら一階にたどり着いて彼女を待つ。
異変に気付くのが遅かった。油断していた。
フロアの表示灯は、彼女が乗ったエレベーターが二階で停まっている事を示す。俺は急いで階段を駆け上った。
おかしい。確かにさっき、二階のホールではエレベーターは通過して一階に向かったはずだった。この目で確認した。
鮫島さんに向けて警報を鳴らす。
俺のミスだ。彼女が四階から乗った時、他に飲食店の従業員とおぼしきコック姿の男が乗り込んだ。今考えれば従業員が客用エレベーターを使うのはおかしい。なぜあの時気付かなかったのか。
きっと奴はエレベーターボックス内の操作板を開けるキーを手に入れていたのだ。警備員もグルなのだろう。
奴がエレベーターでわざわざあんなトリックを使い、見張りを騙す理由は他に無い。彼女の誘拐だ。
心臓が高鳴る。どうか無事でいてくれ。
二階のホールには空っぽのエレベーターボックスが開いたまま停まっていた。買い物を楽しむ人々が何事も無く行き交っていた。
俺は迷わずエレベーターホールの裏手に回り、従業員用エレベーターをボタンで呼び戻す。乗り込んで地下二階のボタンを押した。そこに停まっていたからだ。
スマホで鮫島さんに連絡。地下二階です。
急げ。下降スピードが、耐えられない程遅く感じた。
ドアが開くと同時に飛び出す。ここで狙撃されればむしろ好都合。敵が居場所を自分で教えてくれるようなものだ。
しかし予感したような銃撃は無く、出荷用トラックや積み荷が置かれた雑然としたフロアが広がっていた。
ドライバーの一人が俺をいぶかしげな視線で見るが、俺は堂々とした歩みで辺りを見渡しながらある物を捜す。
さっきのコック姿の男を探すのは無意味だ。
他の組織とやらが、このショッピングモールのテナントの従業員に変装して彼女を誘拐したと考えてもいいが、このビルのエレベーターのキーを持つ警備員も一味だとするならば。
このショッピングモール全体が、他の組織とやらの息がかかっていると仮定した方が筋が通る。従業員全員が、彼女を連れ去るチャンスを狙っていたのだ。
とすると、俺を見たドライバーも当然敵だ。
視界の隅に何かの動く気配を感じた。
台車に乗せた段ボール箱をトラックに積み込もうとする作業着姿の男。俺が探していたのは、あれくらいの大きさの箱だ。
俺が銃を抜くより速く、肩、脇腹を打ち抜かれる。さっきのドライバーか、他の連中か。
俺は構わず、正確に、作業着姿の男を狙撃する。頭部、胸に着弾。
駆け寄る俺に四方からの銃弾。そんなものはいくらくらってもいい。衝撃の度に身体が揺れるが委細構わず直進する。
膝を射抜かれて、加速のついていた俺の身体が前方に吹っ飛んだ。ズザーッと倒れ込むと同時に急所を正確に狙える射程圏内へ、5人程の気配が集まって来る。
射程圏内。それは奴らにとってもそうだろうが、俺の、でもあった。
まず、箱が詰まれようとしていたトラックの運転席の人影に向かって二発叩き込んだ。人影が前のめりに崩れる。
銃創を入れ替える間は無い。立ち上がりながら、右手の銃で残弾を使い切る。二人倒れた。
俺の頭が前後左右に揺さぶられた。何発くらっているのか。クラブでノリノリになっている客のように見えたのではないか。
身体を回転させながら左手に新しい銃を構え、撃って来た方向へ上下に散らしながら二発ずつ。うめき声と、崩れ落ちる人体の音。
最後の力で段ボール箱をトラックの荷台に積み込み、俺もそのまま中へ入った。観音開きの扉は片方だけ閉じ、外の様子を伺う。何人の敵がいるのか。おそらく十人以上。しかし、これで終わりのはずだ。
銃声はやんだ。俺はもう確信していた。この箱の中に、彼女がいる。
おそらく眠らされて、丸まった格好の彼女が、この中に。
俺がこの箱に近づくと同時に銃撃は止まった。それが彼女がこの中にいて、無事でいる事の証拠だ。俺の意識は鮫島さん達が来るまで持ちそうもなかった。




