4.人にはそれぞれ役割がある
二月の上旬。高校三年生である二ノ瀬香乃葉さんは3月の卒業式まで、数日の登校日を除いて学校へ行く事は無い。
ロサンゼルスの大学に入学するのは9月。四月には渡米し、入学までは現地の語学学校に通う。この情報は「組織」に教わるまでもなく、俺は知っていた。どうやって。盗聴で。
今の俺の任務は渡米するまでの二ヶ月間、彼女を見守り、危険から守る事だ。
組織のキリカさんの話では、二ノ瀬香乃葉さんの渡米を阻止しようとする動きが他の組織に見られる。阻止というのは誘拐であり、殺害であるかもしれない。
もう夜も遅い。彼女の家の近所を巡回していた俺は、時計を見てそろそろ引き上げるかと最後に彼女の部屋を見上げた。
「組織のアジト」で構成員としての基礎訓練を終えた俺が、任務に就いて一週間。「他の組織」とやらは現れていない。
この一週間の俺のスケジュールはこうだ。
イヤホンで彼女の家に仕掛けた盗聴器の拾う音を聞きながら、彼女の家付近を歩く。もちろん最大限に存在は消しながら。これが朝の5時。
今は学校がないので彼女の行動はその日によって違う。受験の無い彼女は自由に遊びに行き、図書館に通い、英語の勉強をする。
規則正しく毎日繰り返されるのは飼い犬「サッチモ」の散歩で、これは朝8時と夕方6時。
それから、部活を引退してから始めたジョギングが夜の9時から一時間。
彼女が自宅から出て帰るまでの間、俺はずっと後を付けて一挙手一投足を見守る。彼女が図書館に行けば俺も入るし、書店、カフェ、電車等もそうだ。友達とカラオケに行ったなら、俺は隣の部屋を取る。
尾行の極意は気配を消す事。妙な変装や、最低どれくらいの距離をとり決して相手を何秒以上見ない、といった心得は不要だ。
俺はここに居ない、ただ意識だけがあって、彼女を見守っているのだ、そう自分に言い聞かせると、誰にも気付かれなくなる。もちろん目立ったアクションをしなければだが。
キリカさんに、なぜプロ並みの尾行が出来るのかと聞かれた際にそう答えると、
「……普通は、そんな事できないのよ」
との事だったが。
これが最近の二ノ瀬香乃葉さんの生活で、日課のジョギングが終われば自然に俺の一日のスケジュールもほぼ終了する。
後は彼女が寝るまでイヤホンで彼女の部屋の物音に聞き耳を立てるだけ。これは引き上げてからもできる。
任務といっても、俺が高校三年間続けて来た事となんら変わらないのだが。
近所に組織のワンボックスカーが用意されている。そこで仮眠をとる間は他の構成員に巡回を任せる。丁度交代の構成員が現れた所だった。目線だけで合図を送る。異常無し。
無音のイヤホンに耳を澄ませながら車へ向かっていると、彼女の、苦しいような、切ないような声が聞こえてきた。それが艶かしい声に変わり、俺は慌てて受信機のスイッチを切った。
ときどき、たまに、こんな声が寝る前の彼女の部屋から聴こえて来る。そんな時俺は盗聴をやめる。どんな事をしているのかは大体想像つくからだ。
盗聴までしておいて、今更プライバシーとか言い出すつもりはないし、ましてそんな事をする彼女に幻滅するわけじゃない。
ただ、俺がひたすら切なくなってしまうから。
彼女は誰を想っているのだろう。何を想うのだろう。
そう考えると泣きたくなる。だから聴かない。
「おう、お疲れ」
ワンボックスカーの後部座席に座ると運転席から鮫島さんがコンビニ弁当を渡してくれる。
「お疲れさまです」
「しかし、お前さんの尾行と監視は完璧だって、他の連中も舌巻いてるぜ。さすがストーカーだってな」
「……ストーカーじゃないですよ」
がはは、と豪快に笑う鮫島さんは、アジトで俺に銃の扱い等を教えてくれた教官だ。今はこうして二ノ瀬香乃葉さんの警護チームのメンバーとして共に任務に当たっている。
「お前さんを組織に入れるって聞いた時は俺は反対したんだがな。女の子を付け回すような奴なんてろくなもんじゃねえってよ。今もそう思ってるぜ」
再び豪快な笑い声。
鮫島さんは警護チームのリーダーで、主に車に待機して本部との連絡や構成員への指示を出すのが仕事だ。その為暇なのか、よくこうして話しかけて来る。
「だけどな、お前さんは何か違う。変態野郎で犯罪者なんだが、妙な清々しさがある。キリカの奴も気持ち悪がってたぜ」
「……なぜ、褒めてるトーンでけなすんですか?」
「いや、褒めてるんだぜ?」
彼は前方を見つめたまま話し続ける。
「俺は時々思うんだ。
誰でも人生の主人公だなんて言葉聞いた事あるか? 自分の人生ではそうかもしれねえが、この世界が映画だったら、ほとんど全員脇役だ。
人にはそれぞれ役割がある。俺は渋い脇役でいい。お前さんに銃の扱いなんかを教えて、組織の若え奴らの面倒を見てやる。それが俺の役割だ。
香乃葉様は世界の主人公になる。
そして、お前さんは彼女を助けるヒーローだ。それはお前さんにしかできない」
なぜ、鮫島さんはそんな事を言ってくれるのだろう。
そして、彼もキリカさんのように、組織を信じきっている。二ノ瀬香乃葉さんが世界の支配者になるなんて事を、本気で信じている。
「鮫島さんは、本当に『組織』のリーダーが世界の黒幕で、彼女がその跡を継ぐなんて話を信じているんですか?」
思わず聞いてしまった。俺にはまだ信じられないからだ。
「信じるもなにもよ」
彼は運転席からこちらへ身体を乗り出して言った。
「実際にその通りなんだからよ、俺は俺の役割を渋くこなすだけだ」
再び前方を向く。
「お前さんにもそのうち解る日がくるぜ。
この世界がどんなもんなのか。
俺等の組織がなにをしようとしているか」
巨乳エロ眼鏡が何を言ってもうさん臭いだけだが、鮫島さんが言うと真実味があった。
俺は少なくともこの人の事は信じてもいいのかもしれない。
「さっきの、世界が映画だったらって話ですけど。
俺はヒーローなんかじゃなくて、悪の組織の改造人間ですよ」
がははは、とひと際大きい笑い声が響いた。おいおっさん、騒がないでくれ、任務を忘れたのか、と焦る。俺達が通報されるぜ。
「知ってるか、緑川武史。
悪の組織なんてものがあったとして、そいつ等は自分等を悪の組織だとは思ってねえよ。自分達こそが正義と信じているに決まってる。
世界はそんなもんだ。俺達は、もちろん正義だぜ?」
そう言って彼はまた笑う。
俺が悪の組織と言ったのは、単に映画や特撮物からの連想に過ぎなかった。
俺には正義や悪はどちらでもよい事だ。
二ノ瀬香乃葉さんの為ならば。




