3.人を好きになるより素晴らしい事が
秘密組織のアジト。
俺が今いるのはそんな場所であるらしい。
美人眼鏡はキリカと名乗った。
彼女の言う「組織」への協力を承諾した俺は、やっと拘束を解かれて衣服を与えられた。
この女の話をすべて信じたわけじゃない。いや、まだ、ほとんどがこの女の妄想であると思っている。
ただ、二ノ瀬香乃葉さんがわけの分からない連中に狙われ、それを俺が守らなければいけない、その話だけは真偽はともかく心に引っかかっていた。だからとりあえず従う振りをしておく。
キリカさんの説明によると、瀕死だった俺は組織による改造手術で新たな身体を手に入れ、一命を取り留めた、……らしい。ロボコップか。いや、仮面ライダーの方が近い。
「あなたの身体にはナノマシンが埋め込まれています」
埋め込まれています。じゃねえよ。何言ってんだかわからねえんだよ、妄想眼鏡。
黙っている俺の表情を機敏に察したイライラ眼鏡が説明を続ける。
「……微生物程の大きさの、自己増殖する機械です。
運動に関する身体能力は変わりませんが、あなたの身体は以前とは別物です。
あなたが任務中に負傷した場合、その傷は」
そこまで言ったキリカさんは手元の鞄から銃を取り出した。
「へ、ちょっっ……!」
慌てふためく俺に銃口が向けられ、直後、銃声と共に俺の肩に激痛が走った。
叫びながら床をのたうち回る。痛え!!撃ちやがった!なんなんだよ、助けたり、突然殺そうとしたり。
「落ち着きなさい、緑川君。肩を見て」
ふざけるな、ドS眼鏡。みっともなく叫び続けたが、撃たれた肩に妙な違和感があった。微かに、シュワシュワと音がした。
見ると傷口から弾丸が押し出されようとしていた。出血は止まっている。まるで、勝手に傷口が治っているようだった。
「治っているのよ。あなたが負傷しても、傷は一日もあれば元通りになります。だから怪我を気にせずガンガン戦ってね。
ああ、解ったと思うけど、治るというだけで普通に痛いですから」
半信半疑だったドSクソ眼鏡の話を少しずつ俺は信じていった。
どうやら学校では、俺は交通事故で重体になり入院してるって事になっているらしい。面会謝絶で。組織の工作によるものだそうだ。
俺の親は片方は刑務所、もう一方はどっかに消えた。
生活費は残り少なくなっていた。家賃も滞納している。
親しい友人はいない。
だからあの生活に未練は無かった。
二ノ瀬香乃葉さんの事以外は。
だから俺はここにいようと思う。ここにいれば彼女を守る事ができるから。
あれから俺はトレーニングと称する訓練を課せられていた。
銃の扱い。車、バイク、重機の操縦。格闘術。その他。それぞれに専門の教官が付き、基礎から俺に叩き込んだ。
俺は驚異的なスピードでそれらを習得していった。自分でも驚いたのだが、キリカさんは当然だというように微笑んだ。
「緑川武史君、あなたは二ノ瀬香乃葉様の為ならば、自分の能力や物理さえ超えた力を発揮できるのです」
俺がこの生活をして一週間程した頃、共に食事を摂りながらキリカさんは話した。
「あなたは香乃葉様のご自宅に潜入して盗聴器を設置したり、まったく気付かれずに約三年間彼女を尾行し続けました。
我が組織の訓練された構成員ならばそれも可能でしょう。
しかし、あなたは一介の高校生でありながら、それらをやってのけました。
あまつさえ10日前のあの時、あなたは所謂ママチャリでグレアム・オブリーのタック・ポジションをとり、推定時速120kmを記録しました。ロードレースのスプリントでも70kmやそこらでしょう。あなたの自転車であの速度は物理上あり得ません」
やや興奮しているらしく、眼鏡が少し曇った。あんたもロードレースファンか。
「香乃葉様を想うあなたの心が、あなたをヒーローに変えるのです!」
キリカさんは眼鏡の奥の目を潤ませてそう言った。
自分で意識してはいなかったが、そういう事なのだろう。
俺は勉強も運動もできないし、何をするにも鈍臭い。
しかし二ノ瀬香乃葉さんを想えば何でも可能だった。
「でも、でもさ」
いつもの澄ました感じではなく、親しげにキリカさんが言う。これが素なのかもしれない。
「緑川君も男の子だし、香乃葉様とエッチしたいとか思わなかったわけ?
いえ、あなたも我が組織の監視下にありましたから、変な行動に出たら殺してましたよ?
ねえ、エッチな事とか想像してたんでしょう?
あ、あなたの自宅のPCは調べさせて貰いましたが、香乃葉様に関する不適当な画像等は発見できませんでした」
なぜか残念そうなエロ眼鏡。しかし、そんな物まで調べたのかよ。
「俺は彼女をそんな目で見ていません」
ごく当然だというように俺は言った。それは彼女を汚す事だ。決して許されない。
「ん、本当かな~?
緑川君は彼女に告白して付き合おうって気も無く、遠くから彼女を見て、後を付け回して、盗聴して。犯罪ですけどね。
それだけで良かったの? この先もそれでいいんですか? まあ、彼女と直接接触する事は許しませんけど。
私にはとても信じられないな~。だって、恋の先にあるのはエッチよ? 恋愛=エッチかもしれない。好きな子を手に入れようともしないなんて、そんな人生意味あるの?」
すっかり素に戻ったエロエロ眼鏡が俺に絡む。
「それに君は他に趣味ないよね? 香乃葉様をストーキングする以外に。虚しくならなかった? もっと豊かな人生を歩む気は無かったの?」
意地の悪いニヤニヤ顔のドS眼鏡に、俺は心に浮かんだ素朴で素直な質問をしてみた。
「人を好きになるより素晴らしい事が、この世界にあるんですか?
好きな人の幸せを願うより豊かな人生がありますか?」
それに俺はストーカーではない。
「!!……え、いや、真顔でそんな事言う? 本当に、そんな事……思ってるの……?。
なによ! まるで私がエッチしたいだけのビッチみたいじゃない!」
初めて会った頃のクールさはみじんも無い、顔を赤くしたビッチ眼鏡は柄にも無く取り乱していた。ははは、少しだけ可愛い。けど、俺、そんなに変な事言ったか?




