2.世界はあなたの思うよりずっと
うつろな気分が続いていた。
俺になにが起きたのだろう。気を失っていたのか?
意を決して二ノ瀬香乃葉さんに会いに行って……、怪しい車がいて、突っ込んだ?
意識が戻ってから多分一時間くらい経っただろうと思う。それからこうして、自分の置かれた状況について考えている。
そしてわかった客観的な事実。
俺はベッドに固定されている。全裸で。両手、両足、胴体をそれぞれベルトでキツく締め付けられていた。
ここから見えるのは天井ではなく、壁。ベッドは縦向きにされているらしい。
場所はどこなんだろう。病院じゃないな。殺風景で窓も無い、陰気な部屋だ。
「ストーカー君、あなた自分が何日寝ていたか、知ってる?」
なんだ?女の声がする。
よく目を凝らすと薄暗い部屋の壁際に女の姿が見えた。
ショートカットの金髪、眼鏡、巨乳。胸元の開いた白いシャツにタイトなスカート。全体的に、なにかエロい。
ところでストーカーとは誰だろう?
「ストーカー君、緑川武史君? まだ寝てるわけ?」
俺の名前だ。ストーカー呼ばわりされる覚えは無いが。この女は誰だ?医者には見えない。エロすぎるし。歳は20代前半くらいかな。
「あなたはね、二ノ瀬香乃葉さんをストーキングしている際に車に突っ込んで、あと少しで死ぬところだったのよ」
この女は何を、どこまで知っているんだ?
俺はあの時、直感的に彼女の身の危険を悟って、視界が歪む程の速さでママチャリを走らせた。論理的な思考抜きに、ただそうしたんだ。結局、あの車は何を企んでいたのか。俺の想像通りだったなら、その後どうしたのか。彼女は無事なのか。あと、俺はストーキングをしていない。
とりあえず、この目の前にいるエロい女が今の状況を知る手段のすべてだ。単刀直入に質問をした。
「彼女は、二ノ瀬香乃葉さんは無事ですか? お姉さん、誰ですか? 俺はどうなったんですか? それからストーカー行為の覚えはありませんよ?」
エロい女は「ふ」と鼻を鳴らした。そして口には出さずに「やれやれ」と表情で表現した。むかつくエロ眼鏡女だ。
「質問にお答えしますね。
1、彼女は無事です。あなたのおかげでね。
2、私はあなたに関する権限をすべて与えられた者です。今後あなたは私の管理下へ置かれます。
3、君は生まれ変わったの。これまでの生活にはもう戻れない。これも後で話すわね。
4、あなたは完全なストーカー」
1以外のすべての答えに納得がいかなかったが、最も重要な事がわかったので良しとする。やはり、あの車は彼女を連れ去ろうとしていたのか?
「目覚めたばかりで申し訳ないのですが、あなたの状況を説明して差し上げます」
言葉遣いこそ丁寧だが、むしろそれが俺を馬鹿にしているように聞こえる。まあ、状況の説明は聞きたい所だが。
「まず知っておいて貰いたいのは、二ノ瀬香乃葉さんに関してですが」
彼女の名前が出ると反射的に血液の循環が速くなる。いかん、忘れるはずだろ?
「彼女は世界の支配者になる素質を秘めています」
……は?
何を言い出すんだ、この巨乳エロ眼鏡は。
「彼女の指導力、カリスマ性が発揮されるのはまだ先の事。
今はまだ、どこにでもいるただの女子高生に過ぎません。
もちろん、本人もご自分の運命、そして我が《組織》の存在をまだ知りません」
眼鏡の女は自分に酔ったみたいな語り口で熱弁を振う。
まずいな。妙な奴と関わり合いになっちまった。
「彼女は近い将来ロスである男に会い、そこで《カルマ》を受け継ぐのです。
ある男というのは今現在、この世界を裏で操る黒幕的人物、とでも言っておきましょう。
彼こそは我が組織『赤鷲社』のリーダーでもあります。
二ノ瀬香乃葉様が組織のリーダーの座に就いたその時、歴史ははそれ以前とその後とに分割されるのです!」
エロ眼鏡は最後のセリフを、バルンバルンと乳を揺らしながらうっとりした目つきで高らかに言い上げた。
なにを言っているのかわからなかった。
俺は何をしているのだろう。
身体を拘束され、窓も無い部屋で妄想エロ眼鏡の話を聞かされている。
俺の思った事はすべて顔に出ていたのだろう。気の毒そうな表情で彼女を見ていたはずだ。誇大妄想。映画や特撮物のテレビ番組の観すぎだ。いい歳をして。
「信じられないって顔ね。でも、すぐにわかる時が来るわ。
あなたは3日前、香乃葉様をストーキング中、なにを思ったのかある車に激突しました。あの車の狙いはそう、香乃葉様の誘拐です。彼女を狙う組織はいくらでもいるのです」
なんだって?彼女を狙う組織?その、なんというか、《組織》ってのが非常に妄想ポイントが高いのだが、彼女を狙う、という点は聞き逃せなかった。やはり俺の直感は正しかったのだ。
「我々も常に香乃葉様を見守っていますが、あの時我々より早くあなたは危険を予知し、彼女を救いました。我々はあの後すぐに彼女を眠らせ、家に届けました。そして車に乗っていた輩とあなたを回収したのです。
あなたは頭部を強打し、頭蓋骨陥没の重傷を負いましたが、我が組織の技術で蘇り、今そうしてそこで包茎のおちんちんを晒しているってわけね」
クソ眼鏡が俺の股間に眼をやり、これ以上無い嘲弄の笑みを浮かべた。
「あなたがこの三年間彼女をストーキングしていたのは我々も把握しています。
常に尾行し、家に複数の盗聴器まで仕掛けて。
なにか危険があればすぐに始末する予定でした。
しかしあなたは彼女に直接の危害を加える事は無く、ただその行為を楽しんでいました。
そして三日前。彼女の危機を察し、躊躇無く行動に移すあなたを見て、我が組織に必要な人材だと判断しました。
あなたには二ノ瀬香乃葉様をお守りする影のボディーガードとなって欲しいのです。
彼女を守って下さい」
俺は聞き流していた。
どう考えてもまともに相手をしたらいけない。
眼鏡妄想巨乳は俺を見下し、腰に手を当てたポーズでずっと反応を待っていた。
二分放置した。
「おい、包茎ストーカー」
エロ眼鏡の顔が俺の目の前に現れる。包茎だがストーカーではない。
眼鏡が曇っているのは、怒りで顔が上気したからかもしれない。
「私の話、理解したのかしら?」
結構キレやすいのか声にさっきまでの余裕が無く、感情が滲み出ている。
俺はそれまでに思った事をそのまま言った。
「そんな話信じられると思いますか?
世界を裏で操る男?
女子高生がその後継者?
彼女を狙う組織?
そして、俺が彼女を守る?」
あれ?言いながら気がついた。
彼女を守る?
それは、俺が最もやりたい事ではないのか?
持て余し続けた彼女への思い。伝える勇気などは無い。二ノ瀬香乃葉さんには俺の存在なんか知らないまま生きていって欲しい。だから、忘れようとした。
忘れられるはずが無いのに。
もし、妄想曇り眼鏡の言う事が本当ならば。
俺は彼女を守る事で、この行き場の無い思いを発散させられるのではないか?
眼鏡巨乳は俺の心を見透かしたかのように薄く笑みを浮かべた。
「あのね、緑川君。
世界はあなたの思うよりずっと複雑で、不明瞭で、陰謀に満ちているのです。
私が言った事はすべて真実。
ならば、あなたの取るべき行動は一つ。
あなたが二ノ瀬香乃葉様を守るのよ。
そして世界を救うの」




