8.俺はずっと君のことを
これからどうすれば良いのか。他の組織の連中に俺達は包囲されている。
鮫島さんとルナは車で近くに待機し、構成員も街中に配置されているが、このままデートを続けるのは危険だ。君が狙われているのを隠し、自然に振る舞うにも限界があるだろう。
並んで歩く君はずっと恥ずかしそうに顔を伏せている。俺がいきなり手を握って、そのまま離さないからだ。
「二ノ瀬さん」
「はい」
下を向いたまま答える。頬が少し赤い。
「映画が始まるまでどっか入ろうか」
君はコクっと小さくうなずく。
君は昨晩ネットで今公開中の映画を調べ、どれにしようかとメールで相談してくれた。そんなやり取りもたまらなく幸せだった。
だけど映画を観るのも絶望的だ。今日に限って狙われているし、俺がストーカーだと告げなければ。
いつか平和を守る男と待ち合わせた、古い喫茶店に向かう。あそこなら客もほとんどいないし、怪しい奴が来ればすぐにわかるだろう。
複数のテナントが入った雑居ビルの地下一階。細い階段を下り、重いドアを開けるとチリン、とベルが鳴る。やる気のなさそうなマスターがちらりと視線をよこした。案の定、他には誰もいない。
ここで君に謝ろう。君をストーキングしていた事を話そう。
席に着き注文をした後、君は無言で、俺も言葉が出て来ない。こんな君は珍しい。君はいつだって周囲に気を遣い、場を和ませようと自分からなにか話しかけるから。
いつかルナに言われた。俺は二ノ瀬さんの気持ちを考えていない。
今言う必要があるのか。君の気持ちはどうなるんだろう。
だけど、これ以上君に隠していたくない。
注文した物がテーブルに届くと君は、
「さっきはビックリした。緑川君、どうしたのかなって……」
静かにそう言って、言葉の続きを探す。目線は手元のホットココアに向けられている。
「急すぎるっていうか、少し……怖かった。
あのね、嫌だったわけじゃなくて、でも、ああいうのは、もっと……」
君は俺を傷つけないよう、丁寧に言葉を選ぶ。目は伏せたままで、声は途切れそうだ。
せっかく楽しみにしていてくれたのに、俺はデートを台無しにしようとしていた。
「俺は、君に話さなければならない事があるんだ」
君はやっと顔を上げた。いつもより、さらに可愛かった。それが辛かった。君を見るのも、もうこれで最後になってしまう。
「二ノ瀬さん。……高校で同じクラスになってから、俺はずっと君のことを」
ストーキングしてたんだ。そう言おうとした。
俺はテーブル越しに体を伸ばし、向かいに座る君を抱えて床に押し倒した。
テーブルが倒れ、ティーカップや水の入ったグラスが割れて飛び散る。
低い銃声。ボスッ、とソファに穴が開き、焦げた匂いが鼻を突いた。
店のマスターが銃を構えたまま、こちらへ近づいて来るのをテーブルの下から確認する。俺は前腕に仕込んだ小型の拳銃を掌へ移す。
さっき俺が話しかけた時、他に誰もいない店内で重鉄を起こす音がBGMのジャズに紛れて微かに聞こえた。なぜあのタイミングで発砲したのか。
マスターの足取りは距離を詰める為のものだ。正確に的を捕らえ、反撃にも耐える備えがある。
ならば奴の目標は俺だけだ。そして、正体も見当がついた。
俺は二ノ瀬さんを押し倒した格好のまま、マスターの足に一発打ち込む。崩れ落ちてきた上半身の、頭部目がけて撃った。直撃、そしてうめき声。
俺は低い体勢でマスターに直進し、銃を持った手を捻り上げて馬乗りになる。
マスターの目がぐるんと、俺に焦点を合わせようと動く。俺は奴の口内へ銃口を突き込み、そのまま撃った。今度こそ動かなくなった死体から離れ、君のもとへ向かう。
「な……なにが、起きてるの? それ、ほんものの……銃?
あの人は……しんだの……?」
君は床に伏せたまま恐怖に体をすくめて、すがるような目で俺を見上げた。
「まだ、伏せてて」
地下にあるこの店でどれだけ暴れても騒ぎにはならない。
俺の服に仕込まれたマイクが、この状況を組織の車に伝えている。
だんだんすべてが繋がってきた。
次が本番だ。どっちから先に来るのか。同時か。それともあいつか。
「二ノ瀬さん」
床に顔を近づけて声をかけると、怯える表情の君と目が合った。
近い。20㎝もない距離に君の顔がある。
今のうちに言ってしまおう。
大好きな君に、嫌われてしまうけど。
それは、何よりも辛いことだけど。
「聞いて欲しいんだ。俺は、高校での三年間、ずっと」
俺を見つめる君の目がだんだん見開かれてゆく。
「君の事が好きだった」
言ってしまった。
こっちを。
本当に言いたかった方を。言ってはいけない方を。
君は泣き出しそうな顔をして、唇をぎゅっと結んだ。
もうそろそろ来るはずだ。
立ち上がろうとした俺の腕を、君が握った。
「……君はずるいよ。1人だけ全部わかってるみたいに、自分の言いたい事だけ言って」
その通り、と言いたいけど、俺はまだ全然解っていないんだ。
《世界》の事を。
それに、言いたい事はまだある。
俺が君にしていたすべて。
君にまつわる陰謀、秘密組織。
あの夏の日に、君が落とした競泳水着。
今日の君は、俺が今まで見てきた中で一番きれいだってこと。
「後で全部説明する。だから、それまで待っていて欲しい」
「……はい」
君は俺の目を真っすぐ見つめて言った。
俺は立ち上がり、店の出入り口へ向かう。
階段を下りる足音は四人。たぶん予想通りのメンツだろう。
ドアの前で隠れもせずに立ち、彼らを待った。チリンとベルが鳴り、俺のよく知った顔が現れる。
「お前さんよお、誰がこんな事しろって言ったよ」
転がった死体を見て鮫島さんが言った。




