2.嫌われてるのかもって
目の前の光景が信じられなかった。
二ノ瀬香乃葉さんが少し首を傾げて俺を見上げていた。
常に君を見ていた。遠くから。後ろから。君に見えない所から。尾行して。望遠レンズで。
だけどこんな君を見るのは初めてだ。手の届く距離で、真っすぐ俺を見つめている。困ったような顔で。
「やっぱり、そうだ」
独り言みたいに呟いて俺の横に並んだ。
「ちょっと、お話していい? 歩きながら」
君は遠慮がちに言って俺の方を向いた。俺がうなずくと君は安心したみたいに表情を緩めて歩き出した。
なにが起こっているのかまったくわからない。君が俺に気付くわけが無い。俺の事なんて知らないだろう?ましてわざわざ引き返して話しかけるなんて。どうなっているんだ?
「に、二ノ瀬、さん」
初めて名前を呼んだ。君が何か言うより先に、聞いておきたかった。
「はい」
君は生真面目に返事をしてこっちを向く。束ねた髪がくるっと反対側へまわった。
「俺のこと知ってたの?」
君は目を丸くして口をぽかんと開けた。
「えっ、なに? どういう質問? だって、三年間同じクラスだよ? お話したことはなかったけど、どんな人なのかなって思ってた」
愕然とした。俺が同じクラスにいたのを知ってたなんて。どんな人かだって?こんなだよ。原因不明の恥ずかしさがこみ上げて来た。逃げたい。なんでこんな状況になってるんだ。
「なに今の? 冗談なの?」
君の眉が曇る。そうだ、君は人にからかわれたりするのが嫌いで、友達にちょっと冗談を言われても真に受けちゃって機嫌が悪くなる。
「ちがう、ごめん、本当に知らないと思ってた」
「へ、いや、……そうなんだ。知ってたよ? 一年の時から」
なんだろう、嬉しいのかどうかもわからない。じゃあ、ずっと見てたって事もばれてるのか?それを言う為に話しかけて来たんじゃないか?
周回コースを外れて公園の出口に向かう遊歩道が見えて来た。救いの手が現れた気分だ。ノルマを終えた君はこの道から通りに出て帰路につく。通りまで一緒に行き、そこで別れよう。俺の家こっちだからって言って。
自然に遊歩道へ向かうと君はちょっと怪訝そうにして「こっち」と周回コースを指で示す。
もう一周するつもりか。何が目的だ?俺から何かを聞き出そうとしているのかもしれない。
「時間、平気?」君が尋ねる。
「大丈夫」
君がなにを言い出すのか気が気でなかった。ぐっと顔を向けて君が口を開く。
「緑川君、交通事故にあったって聞いたんだけど」
その話だったのか。君がさらわれそうになっているのを俺がチャリで車に突っ込んだ、あの事か。学校には別の場所で事故に遭ったと説明してあるはずだ。
「怪我は大丈夫なの? 交通事故にあって重体だって先生にホームルームで知らされたの。卒業式も出られませんって。
私クラス委員でしょ? お見舞いに行きますって言ったんだけど、学校も君の入院先を知らなくて。
一応、これでも、心配してました」
最後の一言で俺の頭はおかしくなりそうだった。
びっくりした俺の顔を見て君までびっくりしていた。
「ありがとう」
「え、えと、なにが?」
「二ノ瀬さん、が心配してくれてるなんて思わなかった」
これ以上君に心配なんてさせたくない。
「怪我は治ったんだ。ナノマシンってやつで」
「な……ナノ?マシン?」
「うん。そういうのがあって、死にそうだったけど治った」
君は、そうなんだ、とあまり納得していなさそうだった。
「今日はウォーキング? リハビリ的な?」
「いや、もう完璧に治ってるから、ジョギング。半年くらい前に始めたんだ」
「へ……?」
まずい。彼女が始めたから俺も後を付ける為に走ってるなんて言えないよな。
「じゃ、じゃあ、卒業式は出られるよね?」
「ん、どうなのかな、駄目って言われそうだ」
「お医者さんに?」
「いや、医者じゃなくて、えーと、何にかな……?」
秘密組織の謎の女に。
「……君、なにか事情があって、本当のこと言えないとか?」
まったくその通り。そして俺の表情にそれが出ていたのだろう、君はおかしそうに笑った。
「やだ、緑川君、ウソ下手すぎ。わかりました。もう追求しません。でも、よかった、今日君と話ができて」
え?そんなのこっちのセリフだ。さっきまでいろんな事がバレたのかと思って焦ったけど、取り越し苦労だったみたいだし、今こうしているのが信じられない。
まだ公園の出口まで半分以上残っていた。まだ話していられる。
「私緑川君に避けられてるのかなって思ってた。ずっと」
君はそんなことを言って俺を見た。俺はどんな顔をしただろう。まったく逆だ。付け回していたのに。
「ごめんなさい。変な誤解しちゃってて。だってね、君はクラスで一人だけ、私がお話できなかった人なんだよ。
ずっとクラス委員とか押し付けられてたから、なんだかんだでみんなに用事があるでしょ?
でも、君だけなぜか話すきっかけがなかった。まあ、偶然かなって気にしてなかったの。
だけど、もしかして君は私を避けてるんじゃないかって思ったら、なおさら話せなくなっちゃった。嫌われてるのかもって」
俺は必死で首を振る。違う。確かに俺がなるべく君と関わらないようにしていた。でもそれは嫌いだからじゃない。好きすぎて、君と話したら俺がどうにかなってしまうと思ったから。
俺の口からつい本音がこぼれる。
「俺も二ノ瀬さんと話がしたかった」
君と話がしたかった。そうなんだ。ずっと、そうだった。




