3/消失
「じゃあ、先に行くよ」
操佳はそう言うと扉の先、暗闇に一歩足を踏み入れた。
空調がはいっているのか中はひんやりと冷たい。床は無駄に硬く反発力が大きい。
「【こんにちは】」
奥で子供のような無邪気な声が響いた。
瞬間、操佳は殺気を感じた。鋭い殺気。突き刺さる圧力。相手の姿は見えずとも確かに感じる存在。闇の奥に誰かがいる――――。
「誰――?」と声を発そうとしたその時、
「六百六十六人目――――!」
声と同時に操佳は周囲の僅かな気温の上昇を感じ取った。扉が突然閉まる。瞬時に状況を把握。操佳は間髪をいれずに真横へ跳んだ。
「ばーん! あはは!」
次の瞬間、爆音とともに扉周辺が爆風に包まれた。パラパラと粉塵が舞う。温度が一気に上昇する。
「避けるよね普通」
また声が聞こえた。
その声にかぶさるようにがらがらと金属の音が聞こえた。爆発を躱した操佳は、しかし至って冷静であった。すぐに上を見上げる。
黒闇のなかで鈍く光る巨大な刃。落下する大きな刎殺道具。
「そんなもので」
操佳は上に手を伸ばした。
「私を殺せるとでも?」
重量をもって襲いくる処刑道具。操佳は勢い良く降ってくるそれを片手で受け止めた。
刃は操佳の手を食い込むことはあれ、切り裂くことはなかった。
ぱっと明かりが灯る。
テニスコートほどの広さの部屋。柱はなく壁に囲まれている。照明は天井にはなく、すべて壁に埋め込まれていた。操佳から見て正面、突き当りには扉があった。入ってきた扉と異なり、ゴツゴツとした岩のような扉。人の背丈の二倍ほどもあるその扉の前には何かが山のように積み重なっている。そしてその上に座る人影があった。
それは幼い少年だった。歳としては十歳いくかいかないかというところであろうか。青みがかった銀髪は乱雑に切りそろえられ鋭い刃物のような印象を与える。少年はただ目を閉じたまま、操佳を直視する。
操佳はそんな少年と手元のギロチン包丁とをそれぞれ一瞥すると、
「これ、返すわ。私には必要ない」
操佳はギロチンを彼に向かって投げた。鎖のついたギロチンはその刃を振り回しながら飛ぶ。
少年は微動だにせず、ただ目を見開いた。赤く小さな瞳が顕になる。
ギロチンの動きが止まる。何らかの力が働き、宙に浮いたまま静かだ。落ちることもなく、その場にとどまっている。
「返却ありがとう。僕にはこれしかないからね。ただ投げ返すのはどうかと思うな。これでも僕はひ弱な子供。君みたいにギロチンを素手で受け止められるような人じゃないよ」
無邪気な声が部屋中に反響する。裏表のないまさに子供の声。ただ操佳はそうは思わない。赤く小さな瞳。尖った耳。彼は明らかに【AH】だった。【AH】に子供も大人もない。そんなの見た目上の問題で、中身は人間の何倍もの知力を持つ【人工生命体】。
操佳は彼に微笑みかける。
「そんな鈍らな刃の何が大切なのか理解に苦しむわ。それにあなた人の名を騙るわけではないでしょう。所詮【AH】。無闇に人の名を騙らないでほしいものね」
「あはは。そうだね。僕は【AH】だ」
操佳は彼に一瞥を与えると彼の座っている山に視線を移した。
「それはあなたのコレクションか何かかしら?」
そこには様々な色があった。
白があった。黒があった。赤があった。
死屍累々。それは人間の死体の山であった。
骨の白であった。焼き焦げた肉の黒であった。血肉の赤であった。
積み上げられた死体の上に一人少年が座っている。心底楽し気な表情で。
「コレクション? うーん、違うね。あえて言うなら、椅子? 少なくともコレクションではないね」
彼は死体の一つから首をもぎ取るとぽんぽんと手の中で跳ねさせた。
「こんなのコレクションするのは流石に気狂いだね」
「ふーん。そう」
操佳は興味なさげに歩を進めた。
一歩、一歩と前に進みながら、操佳は彼に尋ねた。
「あなたはこの扉の番人といったところかしら?」
「そうだね。あくまで自称だけど、僕はこの第十一の門の番人。もとい処刑人だよ」
自称だけどね、と苦笑いをしながら彼は付け加える。彼は生首を後ろへ放り投げると、腕を前へ伸ばし、グッと引いた。
空中に静止していたギロチン包丁が少年の手元へと移動する。そして彼はそれの中央付近についていた鎖を端っこに付け替えた。
「そう……。彼らは君がやったの?」
「そうさ。みんなザコばっかだ。只の人間。避けることもせず、従うままに死んでいく。爆風で三百四十人死んだ。ギロチンで三百十四人死んだ」
「へぇ。じゃあ残りの十二人は?」
操佳は死屍の山の真下へと立った。
「――僕が殺した」
少年はギロチン包丁を丁度鎖鎌のように構える。少年の小さな体に不釣り合いな大きな刃はさっきまでと異なり鋭利な輝きを放っている。
少年にとって重要なのは自ら殺したのか、それとも間接的に殺したのかどうかであった。直接手を加える必要のない相手には絶対に手を加えない。一つのポリシーであり、楽しみ方だった。
「あなた名前は?」
操佳は彼を睨みつつ問うた。
「名前? 僕の名前はクティノス・バラ……」
「あぁ、いいわ。やっぱりもういい。必要ない」
クティノスの科白を操佳は遮る。
「よく考えたら、今から消す相手の名前なんて覚えていても記憶領域の無駄遣いね」
自分から訊いておきながら、しかし興味の無さそうな操佳の言葉にクティノスは立ち上がる。刃を構え操佳を見下ろす。
「……消す? 消される? ――ちがう、僕は生きる。ここに在る。消されるのは君の方だよ。名前は死後まで覚えていってもらう。君の身体に刻み込んでやる。精神的にも! 物理的にも!」
激昂……というよりは癇癪に近いものを操佳は感じ取った。【AH】は欠落している感情もあるとはいえ、基本的感情は人間と変わりない。
そして【AH】の成長には個体差がある。
クティノスのよう子供の姿で成長が止まるものもあれば、異常に成長の早いのもいる。
クティノスの知能は確かに人間の数倍の【AH】のものであろう。しかし中身は子供にすぎない。
単純な理由で、単純な方法で行動を起こす。
「殺す――――」
クティノスは前へと跳躍した。思いっきり死屍の山を蹴り遠くまで跳ぶ。そうして一瞬で操佳の後ろをとった。
「殺す、殺す、殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す!」
ギロチン包丁を前方に構え一直線に操佳の首を狙う。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺――――――」
操佳が首だけで振り返った。
「誰を殺すって?」
クティノスは確かに操佳の眼の色が変わったことを感じ取った。
突き刺さるような視線。
しかしクティノスは怯まない。
彼はそのまま刃を振りかぶり――――
欠落した感情にも個体差がある。
クティノスに欠落した感情は【恐怖心】であった。
爆発の音が聞こえてから少し時間が経った。中で何が起きているのかは分からないが、刀熾はとにかく扉を開けようと試みていた。
ダメ元で何度も扉の中心の円をくるくる回す。しかし何回しようが結局それは意味がなかった。
「畜生……。中で何が……」
操佳の異常さはここに来るまでに思い知らされている。たかが爆発で死ぬとは思えなかったが、それでも刀熾は彼女のことが心配だった。
美里も一輝も扉を開けようと刀熾を手伝っていたが扉を開けるにはやはりこの鍵を解かなければいかない。
五分くらい過ぎただろうか。
どうやっても開かなかった扉が突然開いた。鍵が開いたのではない。
「ごめん、ごめん。内から開けるのに手間取っちゃった」
操佳が頭を掻きながら扉から顔をのぞかせた。どうやら操佳が内側から開けたらしい。
「なんか爆発したみたいだったけど大丈夫だったか?」
刀熾は操佳を見たが、特に変わった様子はなかった。
「うん、大丈夫。どうでもいいような単純な罠だったから。侵入者撃退といったものね。心配してくれてありがとう、刀熾」
そう言うと操佳は刀熾たちに扉の中に早く入るように促した。
刀熾たちはそれに応じ、中へと足を踏み入れる。
カツ、と硬い床を踏みつける音。
入るとそこはなかなか広い部屋であった。
面白いことに照明が天井にではなく、壁一面についている。床はピカピカ輝いていて、どうやら大理石のようだった。壁の一面の照明と相まって眩しい。
しかしそれ以外に特徴はない。何もない、殺風景な部屋だ。
「この部屋は何のための部屋なんだろう」
美里は中央付近まで行き、天井を見上げていた。天井には照明がない代わりに外壁と同じように大量の文字が刻まれていた。
「ロビーかなんかじゃねぇの? 入り口入ってすぐだし」
そんなことを言いながら一輝は部屋の真ん中を突っ切りどんどん先へと進んでいく。そうしてまっさきに扉の前へ立った。
「そうね、この部屋に深い意味は多分ないでしょう。さぁ、ここで留まっていてもしょうがないから先に行きましょう」
操佳は一歩足を踏み出したと同時になぜか【転移】をした。一瞬にして一輝の横へと立ち、彼に微笑みかける。一輝は突然現れた操佳に苦笑いを返し、静かに扉の前をあけた。
「さぁ、行きましょうか」