ひな祭りアドミレイション
ひな祭りシーズンがやってきた。節分もバレンタインも過ぎ、二月も終盤にさしかかった頃、ここ蝶上町の商店街では、ひな祭りの歌が流れ始めていた。
俺、久々津弘人は、そんな商店街を一人の少女……もとい幼女と共に歩いていた。右手には買い物袋、左手には幼女の右手。まるで俺がその子の兄であるかのような状態だが、血は繋がっていない。
買い物袋の中には、今日の藤堂家の夕食の材料が入っている。トランプで遊んで、負けた奴に罰ゲームを与えるのは良いけど、だからってその権限をフル活用して自分の家の夕食の材料を買いに行かせるのはどうかと思う。
まあ、女装させられるよりは遥かにマシだが。
そんなことを考えながら歩いていると、手を繋いでいる幼女――シロがピタリと足を止めた。ショーウィンドウを凝視しているらしく、シロの足はまるで地面に縫い付けられたかのように、俺が手を引いても動こうとしなかった。
「どうかしたのか?」
真っ白なセミロングの髪と、真っ白なワンピースというこれでもかという程真っ白な出で立ちのシロは、俺が話しかけても反応せず、ジッとショーウィンドウを眺め続けていた。
シロの視線の先、ショーウィンドウの方へ視線を移すと、そこにはひな人形が飾られていた。美しく精巧なひな人形達がひな壇に飾られている様は、ひな祭りと縁のない男の俺にとっても、美しく感じることが出来た。
「……欲しいのか?」
そう問うと、シロはほんの少しだけ肩をびくつかせ、素早くこちらへ振り向いた。
「……何が?」
「何って、ひな人形だよ」
「弘人、欲しいの?」
「いや、俺がじゃねえよ」
「ひな祭りうれしい?」
「俺は別にうれしくねえよ」
「弘人女の子説?」
「こじつけることすら難しそうな新説はやめろ!」
「弘人男の娘?」
「その話はこないだ詩安とやったわ!」
「シンクロニシティ」
「いや、たまたまだと思う」
「敗北を知りたい」
「それは最強死刑囚だろー!」
次回から白格闘技と黒格闘技の全面戦争が始まります。
※始まりません。
結局あの後は、アホな会話を続けつつ超会本部へと戻った。超会本部ってのは蝶上町第三集会所のことで、元々は町民達が様々な集会を行ったりするための場所だが、現在は超会という妙な団体の本部になってしまっている。
俺の住む町、蝶上町は少し……というかかなりおかしい。この町では、普通では起こりえない現象――超常現象がどういうわけか頻繁に起こるのだ。幽霊は勿論、未確認生物に未確認飛行物体、流石に未確認生命体とやらは出そうにないものの、普通ならあり得ない出来事がポンポン起こってしまうのがこの町、蝶上町だった。
そしてその超常現象達を調査、解決するために結成されたのが、ボスこと藤堂鞘子さん率いる超常現象解決委員会、通称――――超会。
俺もシロも、その超会のメンバーである。シロに関しては、いつの間にか超会本部に出入りするようになっていただけで、正式にメンバーになっているわけではないみたいだが、アイツは俺達の仲間で、超会のメンバーだと俺は思うし、皆もそう思ってるハズだ。
「シロがひな人形を?」
キョトンとした表情で問うてくる詩安に、俺はああ、と短く答えた。
「ひな人形かぁ……懐かしいなぁ……。小さい頃は毎年飾ってたよねー」
感慨深そうな表情でそう言った理安に、詩安も同じような表情を浮かべてそうね、と答えた。
放課後、超会本部へ向かっている途中に偶然河瀬姉妹に出会った俺は、この間の商店街でのシロのことを話していた。
「やっぱりひな祭りって、女の子にとって大事なのか?」
「うーん。昔はそうだったけど、今はどうかしら……」
口元に右人差し指を当て、詩安は少し考え込むような仕草を見せた。
河瀬詩安。河瀬姉妹の姉で、長い黒髪と釣り目が特徴的な少女だ。少し前はその艶やかな黒髪はとある事件で荒れまくっていたのだが、それは一時的なもので、今はすっかり元の艶と美しさを取り戻している。
「今は全然気にしてないよねー。お母さんは一昨年くらいまでは毎年飾るかどうか訊いてきたけど、毎回めんどくさーいって断っちゃったし」
そう言って笑った理安に釣られて、詩安も笑みをこぼす。
河瀬理安。こちらは河瀬姉妹の妹で、茶髪のツインテールと姉とは対照的なたれ目が特徴の少女だ。大人しめの姉とは対照的に、笑顔の絶えない天真爛漫な理安は、超会ではムードメーカー的なポジションにいる。
そう、お察しの通り二人共超会のメンバーだ。
「シロもあのくらいの年なら、ひな祭りしたいって思ってもおかしくないと思うよ」
「だよな……」
シロはその素性の一切が不明である。親や兄弟がいるのかどうかもわからないし、どこから来て、どこへ帰って行くのかもわからないのだ。超常現象の調査で、夜間に外出しても誰にも咎められていないようだし……。このことについては、気にはなってもあまり触れないようにしている。もしかするとデリケートな問題なのかも知れないし、シロにはそういうことを気にせず、ただ超会にいる時間を楽しんでいて欲しい。
「なあ、俺達でシロのためにひな祭り、やってやれないかな?」
俺のその提案に、詩安も理安も一様に表情を明るくした。
「良いねそれ! 理安は大賛成!」
キャッキャとはしゃぐ理安の隣では、詩安もニコリと笑みを浮かべている。
「久々津君にしては上出来ね」
「俺にしてはって何だよ……」
呆れた口調でそういう俺に、詩安は小さく笑みをこぼした。
「でも、ひな人形はどうするの?」
「どうするって……河瀬家からお借りして――」
「うちのひな人形、親戚にあげちゃったわよ?」
詩安の言葉に、俺はえ、と短く声を上げて呆けた表情を浮かべた。
「あ、そういえばそうだったねー。ボスに借りたらー?」
「ボスかぁ……」
持ってなさそうだな、勘だけど。
「ひな人形? そんなのとっくの昔に誰かにあげたわ」
案の定、ボスの返答はこうだった。
超会本部へ辿り着き、シロがまだ本部へ来ていないことを確認すると、俺はシロのことを話し、ボスへひな人形を借してもらえるかどうか訊いてみたのだが……俺の嫌な予感は的中しており、やはりボスはひな人形など持っていなかった。
藤堂鞘子――通称ボスは、その名の通り超会のボスであり、超会を創設した張本人である。高身長と真っ赤なシャギーボブの髪型が特徴の女性で、年齢についてはコメントを控えさせていただく。
「そうですよね。キャラじゃないですもんね」
「そうね。私は毎年ぼんぼりより爆弾にあかりをつけるタイプの女の子だったから」
「怖ぇよ! 毎年ひな壇爆破かよ!」
「私はただ静かに暮らしたいだけなのよ」
「S市住まいの殺人鬼!? 切った爪の長さでも測ってんのか!?」
「今週は八十九センチ、絶好調だわ」
「一週間でギネス級!? トラクローより長いわ!」
「絶好調な上にひな祭りだし、今年はあかりつけようかしら……」
「爆弾にか!?」
「ひな人形に」
「直火焼き!?」
ていうか持ってんなら貸して下さいって。
超会本部から帰る途中、俺は商店街に寄り(寄るとは言っても家とは反対方向なのだが)、例のひな人形が飾られているショーウィンドウの場所まで来ていた。
「高ぇ……」
値段は、高校生の財布でどうにかなる値段じゃなかった。流石にこの値段は親にもボスにも頼めないし、バイトなんかしてたらひな祭りが過ぎてしまう。俺がシロに買ってやれるのは、せいぜいひなあられくらいのものだった。
「くそ……」
自分の無力さに、俺は歯噛みするしかなかった。何か、何かしてやりたい。そんな気持ちばかりが膨らむだけで、結局俺は何もしてやれない。所詮は高校生のガキ、そんな俺が誰かにしてあげられることなんて、高が知れている。
流れているひな祭りのうたが、小さな女の子の望みさえ叶えてやれない俺のことを嘲笑っているかのように流れ続けていた。
ぼんぼりにあかりどころか、お内裏様もお雛様もいやしない。
「どーしたもんか……」
溜息を吐きつつ、そんなことを呟いた――その時だった。
「お母さーん、あたしねー、おひなさまみたいになりたーい」
「ゆっちゃんならなれるわよ」
「ほんとー?」
何気ない親子の会話が、俺の耳に届いた。
おひな様みたいに……なりたい? 女の子の言葉を心の内で繰り返し、俺はとある案を思いつく。
豪華じゃないけど。
ショーウィンドウの中にあるひな人形みたいじゃないけど。
でも、多分それが、俺――いや、俺達がシロにしてあげられる、精一杯だ。
すぐに携帯を取り出し、理安の携帯へと電話をかける。
「理安、ちょっと頼みたいことがあるんだが……」
三月三日。女の子の健やかな成長を願う、ひな祭りの日。日本の女の子は大抵この日を経験し、何らかの形でひな人形を一度は見ることになる。お内裏様と、おひな様、三人官女に五人囃子など、美しく精巧に作られたひな人形達ひな壇の上に並べられている様は、見ようによっては不気味ではあるものの、それでもどこか美しく見えるものだ。
「まさかホントにあるとはな……」
超会本部の、押入れの中からそんなことをぼやく俺に、理安は引き戸の向こうからすごいでしょー、と答えた。
「去年ね、シックォ@東方は赤く燃えている(ハンドルネーム)さんとオフ会した時に使ったやつなんだよー」
名前については色々ツッコミたいとこがあるが、とりあえずそのシックォ@東方は赤く燃えているさんには感謝しなきゃいけないな……。心の内でそんなことを呟き、俺は押し入れの中で嘆息する。
「配役が気に入らないけど、まあ今回は大目に見てあげるわ」
「悪いな、詩安」
俺の言葉に、詩安は澄ました声でそう答えた。
「それにしてもこれ、中々考えたわね……。やるじゃないの久々津君」
感心した様子でそう言うボスに、俺はありがとうございます、とだけ答え、ボンヤリとシロのことを考えた。
アイツが何者で、どこから来て、どんな事情を持っているのかは知らない。もしかするとこれは、アイツにとっては余計なことなのかも知れない。だけど、俺はアイツに……シロに何かしてやりたい。無表情なまま、滅多に笑わないシロを、ちょっとだけでも良いから笑わせてやりたい。お菓子くらいしか俺達に頼まないアイツに、もっと頼って良いんだって……ちょっとくらい、ワガママ言っても良いんだって、思わせてやりたい。お前のちょっとした望みくらい、叶えてやれるんだって、教えてやりたい。
「ひろっちー出来たよー」
「おう」
理安にそう答えると同時に、俺は押し入れの引き戸を開けた。
いつものように、超会の本部に向かっていた。小さな歩幅で、ゆっくりと歩いて、白い少女は……シロと呼ばれているその少女は、超会の本部へ向かっていた。
今日は三月三日、ひな祭り。そんなことをボンヤリと思い出したが、シロは小さくかぶりを振った。
関係ない。そんな言葉を、心の内で小さく呟いて。
人並みを求めて良いような存在じゃない。そんな風に考えて、シロは脳裏を過るひな人形をかき消した。
ボソボソと。商店街で聞いた歌を何気なく歌ってみる。
歌っているというよりは、歌詞を呟いているだけだった。透き通った彼女の小さな声は、少しずつ歌詞を紡いでいく。
これで良い。
これで満足だ。
ひな祭りは、気分だけで良い。後はひなあられでももらえれば上々だ。
そんなことを考えつつ、呟きながら歩いていると、いつの間にか超会本部に辿り着き、シロはそのドアをゆっくりと開けた。
「――――っ!」
開けた瞬間、紡いでいた歌詞が数瞬止まってしまう程、驚きの光景がそこには広がっていた。
いつも中心に置いてある長机は撤去されており、代わりに木で出来た、ボロボロと言っても問題ないような、そんな三段分のひな壇が設置されていた。
一番下には何も置かれておらず、ニ段目には三人官女が。そして最上段には――――お内裏様だけがニコリと微笑んだまま鎮座していた。
あかりのつけられたぼんぼり。飾られた茶道具や花。笑顔でこちらを見ている見知った顔の三人官女。赤髪官女と、黒髪ロングの官女と、茶髪でツインテールの官女。髪型のバラバラな官女には、少しだけ違和感を覚える。そして最上段右側に鎮座する、これまた見知った顔のお内裏様。
どれも拙いけれど。
飾りも足りないし、五人囃子もいないけど。
それでも、シロの目には、商店街のショーウィンドウで見たあのひな人形と、何故か重なって見えた。
「……せーの!」
不意に、お内裏様がそんな声を上げた。すると、三人の官女はニコリと笑って、真っ直ぐにシロの方へ視線を向けた。
「これ……」
お内裏様達が歌い始めたのは、つい先程までシロが歌っていた「ひな祭りの歌」だった。
歌が、想いが、ジンワリと暖かくシロの中へと浸透していく。ゆっくりと、優しく、なでるような歌声。
合唱が終わる頃には、いつの間にかシロの目から、温かいしずくがこぼれ落ちていた。
「え、あ……お、おい……」
かなり困惑しつつ、俺は慣れないお内裏様スタイルのままひな壇を降りると、慌ててシロの方へと駆け寄った。いつも表情を変えないシロが、突如涙を流し始めたことに、俺だけじゃなく、詩安や理安、ボスでさえも困惑を隠せない。
理安とシックォ@東方は赤く燃えているさん(他多数)の用意した三人官女とお内裏様のコスプレ、学校から借りてきた合唱用のひな壇、少ない小遣いで買い集めた、安物の飾り……。それらを見渡して、情けなく肩を落とす。
やっぱこんなんじゃ、駄目だよな……。
「え、えっと……なんか、ごめんな。こんなんで……やっぱ、駄目か?」
身を屈め、シロと視線を合わせてそう問うた俺に対して、シロは涙を拭いながら首を左右に振った。
「……違う」
そう、呟くように小さく言って、シロは顔を上げた。
その顔は、俺達が今まで一度も見たことのないような笑顔で彩られていて――
「ありがとう」
満面の笑みとは、言えないけど。理安みたいに、天真爛漫な笑顔じゃないけど。
その笑顔は、シロにとっては一番の笑顔だって、そう思えた。
「……そっか」
そう言って頬を綻ばせた俺に、シロは笑顔のままコクリと頷いた。
「よーしじゃあ! シロも着替えよっかー!」
いつの間にかひな壇を降りた理安が、どこからか取り出した小さな「おひな様」の服に、シロは視線を向けると、口を開けて唖然とした表情を見せた。
まさかそんなものまで用意してくれているなんて。と、そう言いたげな顔だと、俺には見えた。
「今日は貴女が主役(おひな様)よ、シロ」
そう言ってニコリと微笑むボス。
「カメラ用意してるから、シロが着替えたら取りましょ」
そんなことを言って、クスリと笑みをこぼす詩安。
「弘人……皆……」
俺達の顔を順番に見ていき、シロは先程と同じような笑顔を見せて――――
「ありがとう」
もう一度、そう言った。
その後は、おひな様スタイルに着替えたシロ(余談だが、サイズのこともあってシロの分だけは新しく注文したもので、俺達全員が割り勘してなんとか買うことが出来た)と一緒に写真を撮り、いつもみたいに馬鹿みたいな会話をして、はしゃいで、ひなあられを食べて……服装以外はほとんどいつもと同じ。だけどその日は、俺達の、勿論シロの、忘れられない日になったと思う。
その時に撮った笑顔のシロは……俺達にとって、かけがえのない一枚になった。