第十七話
薄暗い部屋にも慣れ、僅かだが動いた感情が表情として窺えたような気がする。
今まで動きを見せることなど殆どなかったが、久方ぶりに見るその変化は彼も一応人間なのだと感じる。
「尚人とは仲良くやっているようだな。」
自分で聞いておいてなんだが、やはりこの人と繋がる人であったのかと落胆する。
しかも、そんな親しげに名前を呼ぶほどの…。
いっそここは嘘でも無関係と言ってほしかった。
「…おかげさまで。」
細かいことは言ってやらない。
完全なる八つ当たりだが、当たるところは目の前の男しかいないのだ。
「は…。お前もまだまだ子供だな。自分のお気に入りが他の物だったのがそんなに気に食わんか。」
見透かしたように、父親面をするこの男は何を言っているのか。
「勝手に独占欲が強いかのように言われるのは気分が悪いですね。」
僕の返しが意外だったのか、一瞬、男は目を見開いた。
それが何故だか嬉しくて、胸がすいた。
「多少の我が儘くらいは聞いてやってもいいが、尚人も坂本も私の物だという事を忘れるなよ。勿論、お前も私のものだ。」
さながら蛇に睨まれた蛙の矜持である。
居竦む僕を気に留めるでもなく男は話し続ける。
「紗依といったか、あれは緋真に似ているな。お前が執着するのも分からんではない。」
遠い目をしながらそう言う男にはさっきまでの険呑な雰囲気はなく、どこか物寂しさすら漂わせていた。
見た目だけでなく、男は心も歳をとったのだろうか。
かつてない男の流れ出る感情は僕を混乱させるのに十分だった。
男の変化が老化によるものだとすれば、老いとはなんと平等で暴力的なのか。
「貴方と好みが一緒だということは分かりましたから、紗依のことは放っておいてください。彼女は僕のです。」
これだけは言っておかなくては。
今回、図らずともここに来た意味すら見失ってしまう。
坂本にも辛い思いをさせたというのに…。
「夕食は菱木に用意させてある。食べていくといい。」
突然の話題転化に思考がついていけないが、男の話したいことが終わったということだろう。
どこまでも自分勝手な…。
「では、お言葉に甘えて。済んだら勝手に帰ります。」
緊張していたはずの僕は頭が追い付かなかったお陰なのか、若干投げ遣りともいえる返答をしていた。
それを男は咎めるでもなく面白そうに眺めているだけ。
一体読めないにもほどがある。
あたかも新しい遊びを見つけた少年のごとくニヤつくのは止めて欲しい。
いい歳をした男が、もとい親爺がニヤニヤしても気色が悪いだけでいい事なんてひとっつもないのだから。
その上、悪いことに、ニヤついた男が手に入れた新しい玩具は間違いなく僕だ。
迷惑極まりない。
これだから無駄に権力と金のある奴は性質が悪い。
暇なのか。
「慶吾。」
ああ、この人は全く…。
突き放したかと思えば寄ってきて、気まぐれに掻き回すのは性分なのか。
零すように名前なんて呼ばないでくれと言えたら、どんなにマシか。
態とだろうと乱される自分に腹が立つ。
男が言うように僕はまだ子供のままだ。
認めてしまえばなんてことはない。
子供な僕は男の言葉に応えてなどやらない。
聞こえないふりをして僕は男の部屋を後にした。
こりゃー、まだまだ続いてしまうな。