第5話(3)
翌朝。
私は小鳥のさえずりと共に、爽やかに目覚めた。
「んぅ……よく寝たぁ」
大きく伸びをする。
昨夜は外の雨音が少し強かったけれど、私の部屋は静寂そのものだった。
やはり、クロードの用意してくれた結界は最高だ。
ふと、窓辺を見ると、キラキラと輝くものが置かれていた。
ガラス細工のような、精巧な花のオブジェだ。
「あれ、あんなのあったっけ?」
「おはよう、ソフィア」
いつの間にか部屋に入ってきていたクロードが、ニコニコと笑って私に近づいてきた。
「ああ、あれかい? 昨夜、少しだけ『害虫』が迷い込んできたのでね。私が処理して、ついでに余った魔力でアートを作ってみたんだ」
「害虫? この季節に?」
「ああ。黒くて、コソコソ動く、不快な虫だったよ」
クロードは楽しげに目を細めた。
そっか、皇帝陛下ともなると、虫退治すら芸術に変えてしまうのか。
「綺麗ですね。涼しげで」
「そうだろう? ……まあ、君に見せるには美しくない『本体』のほうは、すでに故郷へ送り返しておいたがね」
「?」
よく分からないけれど、クロードが機嫌が良いなら何よりだ。
私は今日も、ふわふわのパンケーキが待つ朝食の席へと向かった。
自分の知らないところで、王国の最強戦力が全滅しているとも知らずに。
その日の午後。
王国の執務室は、異様な緊張感に包まれていた。
「遅い……! まだか! 影狼からの報告はまだなのか!」
エリック王子は、部屋の中を熊のようにウロウロと歩き回っていた。
計画通りなら、今頃はソフィアが「連行」されてきてもいい時間だ。
「ご安心ください、殿下」
宰相補佐官のガロンが、青白い顔ながらも自信ありげに言う。
「影狼は無敗の部隊です。
いかに帝国の警備が厳重といえど、音もなく侵入し、仕事を遂行しているはず。……おや?」
廊下が騒がしい。
衛兵が慌てた様子で飛び込んできた。
「ほ、報告します! 帝国の使い魔が、中庭に『荷物』を落としていきました!」
「荷物だと? ……まさか、ソフィアか!?」
エリックの顔がパァッと輝く。
そうだ、きっと影狼がソフィアを捕らえ、運び込んだのだ。
彼は泥だらけの廊下を走り、中庭へと急いだ。
そこには、巨大な木箱が置かれていた。
周りからは、白い冷気が漂っている。
「おお、ご丁寧に冷凍保存(クール便)で送ってきたか! よし、開けろ!」
エリックの命令で、兵士たちがバールで木箱をこじ開ける。
バリバリッ、という音と共に蓋が外され――。
「さあ、ソフィア! 私の胸に飛び込んで……ヒッ!?」
エリックの笑顔が凍りついた。
いや、その場にいた全員が、悲鳴すら上げられずに腰を抜かした。
箱の中に詰まっていたのは、ソフィアではない。
カチコチに凍りつき、恐怖に歪んだ表情のまま固まった、数人の男たちの「氷像」だった。
「ザ、ザイード……!? 影狼の……全員か……!?」
ガロンがガタガタと震えながら後ずさる。
王国最強の暗殺者たちが、傷一つないまま、まるで「生きた芸術品」のように瞬間凍結されている。
それは、魔法というよりは、神の御業に近い力の差を見せつけるものだった。
そして、一番上の氷像の胸元に、一枚のカードが刺さっていた。
美しいカリグラフィーで、こう書かれている。
『私の大切な「妻(予定)」の安眠を妨げた罪により、害虫を返送する。次は、送り主(お前たち)を氷像にして飾るとしようか。――クロード』
「あ、あぁ……あぁぁぁ……」
エリックはその場にへたり込んだ。
勝てない。
暗殺も、交渉も、武力も、何もかもが通じない。
相手は、人間ではない「怪物」だ。
「おしまいだ……。50億も払えない、ソフィアも取り戻せない……帝国が攻めてくる……殺される……!」
ガロンも頭を抱えてうずくまる中、極限の恐怖に追い詰められたエリックの脳内で、何かが「プツン」と切れた。
「……いや。まだだ」
エリックは虚ろな目で立ち上がった。
「まだ手はある」
「で、殿下?」
「クロードごときに、ソフィアが渡せるものか。あいつは私のことが好きなんだ。そうだ、直接会って話せば分かるはずだ」
王子の瞳に、狂気じみた光が宿る。
彼は恐怖から逃れるために、「自分は愛されている」という妄想に逃げ込んだのだ。
「行くぞ、ガロン。馬車を用意しろ」
「ど、どちらへ!?」
「帝国だ! 私が直接乗り込み、ソフィアを説得する! あの氷皇帝に騙されている彼女を、真実の愛で目覚めさせるのだ!」
それは勇気ではない。
破滅へと向かう、蛾のような特攻だった。
豪雨が降り注ぐ中、泥にまみれた馬車が、帝国へ向かって走り出す。
それが、彼らにとっての最後の旅になるとも知らずに。




