第4話(3):未払い残業代の請求書
「……ふぅ。危ないところでした」
私の説得(という名の物理的なしがみつき)により、クロードの怒りはなんとか鎮火した。
部屋に充満していた殺人的な冷気が引き、凍りついたテーブルの氷がパキパキと音を立てて溶けていく。
伝説の戦略級魔法『ニブルヘイム』の発動は、寸前で回避されたようだ。
「……ソフィア。本当にいいのか? あんなナメた手紙を寄越す国など、更地にした方が早いが」
「ダメです。更地にしたら、お金を回収できませんから」
私はキッパリと言い放ち、新しい羊皮紙を広げた。
そして、サラサラと愛用の万年筆を走らせる。
「見ていてください、陛下。魔法より恐ろしい『現実』というものをお見せします」
私はかつての社畜時代に培った、高速事務処理スキルを発動させた。
脳内で計算式を組み上げ、過去5年間の労働データを参照する。
「えーと、まずは『未払い残業代』ですね」
カリカリカリッ! とペンの走る音が響く。
基本勤務時間: 24時間(睡眠中も魔力供給のため)
休日: なし(365日稼働)
深夜割増・休日割増: 適用
危険手当: 汚水処理および魔物結界維持のため適用
「これを5年分……単純計算で、金貨8億枚ですね」
「ほう」
クロードが面白そうに覗き込んでくる。
「次に『技術提供料』です。私は現在、帝国で『最高技術顧問』の待遇を受けています。つまり、私の時給は王国の相場の500倍です」
「うむ。私の妻になるのだから、それくらいは当然だ」
「ですので、再雇用にかかるコンサルティング費用は、帝国の相場で請求します。……プラス、金貨20億枚」
桁がおかしいことになっているが、私は止まらない。
エリック王子は「タダで働け」と言った。
その対価がいかに非常識かを、数字でわからせる必要がある。
「最後に、今回の『不当解雇』および『名誉毀損(呪い呼ばわり)』に対する慰謝料。さらに、緊急対応のための特急料金を上乗せして……」
私は最後の数字を書き入れ、ドンッ! と力強くアンダーラインを引いた。
「完成です。締めて、金貨50億枚(国家予算3年分*になります」
私はその羊皮紙をクロードに見せた。
そこには、王国が逆立ちしても払えない天文学的な数字が並んでいた。
「……くっ、ふはははは!」
クロードが腹を抱えて笑い出した。
「素晴らしい! 最高だソフィア! 魔法で都市を凍らせるよりも、よほど残酷で美しい攻撃だ!」
「お褒めいただき光栄です。……で、これを送ろうと思うのですが」
私は封筒を手に取った。
しかし、クロードがそれを制した。
「待て。ただ送るだけでは、あの愚かな王子は『紙切れ』だと思って破り捨てるだろう」
「あー……たしかに。あの人の頭の悪さは伝説級ですからね」
「だから、私が『箔』をつけてやろう」
クロードは指を鳴らし、執事に何かを持ってこさせた。
それは、黄金に輝く『皇帝の印章』だった。
「へ、陛下? それを押すと……」
「うむ。これは私の名における『公式文書』となる」
クロードは楽しげに、私の作った請求書に『承認』の印をドンッ!と押した。
「これで、この請求書はソフィア個人からの手紙ではない。『帝国皇帝クロード・ヴァン・ユグドラシルから、王国への正式な賠償請求』へと昇格した」
「……えっと、つまり?」
「無視すれば、帝国に対する宣戦布告とみなす。……ということだ」
私はゴクリと唾を飲み込んだ。
ただの嫌がらせのつもりが、ガチの国際問題(外交カード)に進化してしまった。
金貨50億枚を払うか、帝国と戦争して滅びるか。
究極の二択だ。
「さあ、送ってやろう。帝国の『最速竜便』を使え。今日の夕方には届く」
「悪趣味ですねぇ……」
クロードは凶悪な笑みを浮かべ、私は苦笑した。
「エリック王子、お土産に『帝国のスイーツ』をご所望でしたよね?」
私は窓の外、荒れ狂う嵐の向こうにある故郷を見つめた。
「たっぷり味わってください。甘くなくて、胃に穴が開くほど重たい『現実』というお土産を」
その日の夕方。
王国の執務室で、エリック王子は優雅に紅茶を飲んでいた。
「ふん、そろそろソフィアから返事が来る頃か。泣いて喜んで戻ってくるだろうな」
「そうですわね、エリック様。ついでに帝国の美味しいクッキーも楽しみですわ」
リリィと二人で笑い合っていると、窓ガラスを突き破らんばかりの勢いで、帝国の使い魔が飛び込んできた。
「おっ、来たか! どれどれ……」
エリックは封筒を受け取った。
そこには、以前よりも遥かに高圧的な魔力が込められた、帝国の紋章が輝いている。
「……ん? なんだこの重厚な封筒は……」
彼が震える手で封を開け、中身を取り出した瞬間。
部屋の空気が凍りついた。
【請求書】
ご請求金額:金貨 5,000,000,000 枚
(支払い期限:即日)
「……は?」
エリックの目が点になる。
そして、その下にある、真っ赤な皇帝の印章と、添えられたメッセージが目に飛び込んできた。
『払えぬ場合は、我が国への侮辱とみなし、相応の対応(焦土化)をする。 ――皇帝クロード』
「ヒィッ!?」
エリックは悲鳴を上げ、手紙を取り落とした。
紙が床に落ちる音が、彼には断頭台の刃が落ちる音のように聞こえた。
「な、なんだこれはぁぁぁぁぁぁッ!!」
王宮に、王子の絶望の叫びが響き渡る。
しかし、それを解決してくれる「便利な聖女」は、もうどこにもいなかった。




