第4話(1):朝食と手紙
小鳥のさえずりと、カーテンの隙間から差し込む柔らかな陽光。
私は、雲の上で寝ているような浮遊感の中で目を覚ました。
(……あれ? アラームが鳴らない?)
一瞬、背筋が凍りついた。
寝坊だ。遅刻だ。
王都の結界強度は大丈夫か?
朝の浄化システムは稼働しているか?
私は飛び起きようとして――ふかふかの羽毛布団に沈み込んだ。
「……あ」
そうだ。
私はもう、あのブラックな王国にはいないのだった。
見上げれば、高い天井に描かれた美しいフレスコ画。
肌に触れるのは、最高級シルクのシーツ。
ここは隣国、帝国の宮殿にある私室だ。
「……幸せすぎる」
私は二度寝の誘惑を振り切り、大きく伸びをした。
昨日、魔導炉を修理した後、私は宣言通り泥のように眠った。
睡眠時間、実に12時間。
こんなに長く、魔力消費を気にせずに眠ったのは生まれて初めてかもしれない。
「ソフィア様、失礼いたします」
控えめなノックと共に、専属のメイドさんたちが入ってきた。
彼女たちは手際よく私をベッドから助け出し、温かい蒸しタオルで顔を拭き、着替えを手伝ってくれる。
用意されたドレスは、王国の聖女服(ただの白い布)とは比べ物にならない、淡いブルーの美しいシルクドレスだった。
「陛下がお待ちです。朝食の用意が整っております」
通されたのは、テラス席のあるサンルームだった。
ガラス張りの窓からは、帝都の整然とした街並みと、私が修理した魔導炉が放つ淡い青色の光が見える。
「おはよう、ソフィア。よく眠れたか?」
テーブルの向かいで、クロード皇帝が優雅にコーヒーを飲んでいた。
朝の光を浴びた彼は、悔しいけれど絵画のように美しい。
黒髪がサラリと揺れ、赤い瞳が私を捉えて緩く細められる。
「おはようございます、陛下。おかげさまで、人生最高の目覚めでした」
「それは何よりだ。顔色も少し良くなったな」
クロードは満足げに頷くと、私の皿に次々と料理を取り分け始めた。
焼き立てのパン、ふわふわのオムレツ、瑞々しいフルーツ、そして香り高いスープ。
「さあ、食べた食べた。君は細すぎる。我が国の『最高技術顧問』が栄養失調で倒れたら、国の恥だからな」
「ちょ、ちょっと陛下! そんなに食べられません!」
「ならん。これは業務命令だ」
そう言って、彼はナイフで桃を綺麗に剥くと、フォークに刺して私の口元に差し出してきた。
「はい、あーん」
「……自分で食べられます」
「手が汚れるだろう? ほら、口を開けて」
皇帝スマイルによる圧力。
私は……少しだけ逡巡したけれど、結局口を開けた。
逆らうのもカロリーを使うし、何よりこの人は私の雇用主だ。
言うことを聞くのが正しい社畜のあり方だろう。たぶん。
ぱくり。
「……んむ。美味しいです」
口いっぱいに広がる果汁の甘さ。
それ以上に、胸の奥がむず痒い。
王国の王子なんて、私が食事をしている最中でも「おい、水を持ってこい」とこき使ってきたのに。
「あーん」なんて、人生で初めてされたかもしれない。
(これが……高待遇ってことなの……?)
「そうか。なら全部食べようか」
私が呆然としている間に、次々と桃が運ばれてくる。
私は雛鳥のように、ただ口を開けて餌付けされることしかできなかった。
……甘い。
桃も甘いが、この皇帝の扱いが甘すぎる。
ニコニコと私を餌付けするクロード。
平和だ。
私が求めていたのは、この穏やかな時間だったのだ。
しかし――そんな至福の時間は、唐突に破られた。
「陛下、失礼いたします」
重苦しい顔をした老執事が、銀の盆を持って現れた。
盆の上には、一通の封筒。
そこには、見間違えようもない「王国の紋章」が、赤い蝋で封印されていた。
一瞬にして、クロードの纏う空気が凍りついた。
「……チッ。朝から不愉快なものを持ってきたな」
先ほどまでの甘い声が嘘のような、地を這うような低音。
クロードはフォークを置き、冷徹な皇帝の顔に戻った。
「捨てておけ。どうせ『返してくれ』だの『金を出せ』だの、ろくな内容ではない」
「ですが陛下、『緊急・親展』の印が……」
「知ったことか。我々の食事を邪魔する権利など、あの小国の王族にはない」
クロードが指先を動かす。
おそらく、魔法で手紙ごと燃やし尽くすつもりだ。
「ま、待ってください陛下!」
私は慌てて彼の腕を止めた。
「一応、確認させてください」
「なぜだ? 見る価値もないぞ」
「もしかしたら……私の『未払い給与』と『退職金』の振込通知かもしれませんから!」
私は社畜根性を発揮して、執事から手紙を受け取った。
未払いの残業代は、ざっと計算しても金貨5000枚はあるはずだ。
もしそれが支払われるなら、貰っておくに越したことはない。
「……はぁ。君は本当に、妙なところで現実的だな」
クロードが呆れたようにため息をつく。
私はペーパーナイフを手に取り、王家の封蝋を慎重に剥がした。
「では、拝見しますね」
封筒から出てきたのは、分厚い羊皮紙が一枚。
私はそれを広げ、目を通した。
そして――。
最初の一行を読んだ瞬間、私の表情は「無」になった。
(……はい?)
そこには、謝罪でも、給与明細でもなく。
私の理解を超える、斜め上の文章が綴られていた。




