第20話:結婚前夜
結婚式の前夜。
王宮の庭園では、国内外の要人を招いた盛大な「前夜祭」が開かれていた。
「わぁ……! 見てくださいクロード様! リリィ、すごく綺麗……」
私が指差した先では、庭園の中央に設置されたステージで、リリィが優雅に舞っていた。
純白のドレスを纏った彼女がしなやかに指先を振るうたび、七色の光の粒子が淡雪のように舞い散り、夜空を幻想的なオーロラで彩っていく。
「うむ。……以前のような落ち着きのない光り方とは違うな。洗練されている」
「ええ。ギルバート殿下の演出と、彼女の繊細な魔力制御が完璧に噛み合っています。意外とこの2人、気が合うのかもしれませんね」
会場は、まるで「光の神殿」のような厳かな美しさに包まれていた。
参列者たちも、グラスを片手にその光景に見惚れ、感嘆の溜息を漏らしている。
そんな幸せな喧騒の中。
一人の男が、ふらりと会場に現れた。
彼はステージを見上げ、呆然と立ち尽くしていた。
「……あれは、リリィか?」
痩せこけた頬。目の下の深いクマ。
元婚約者、エリック・ルミナスだ。
彼は、眩い光の中で舞う少女を睨みつけた。
「俺が追放した『ただ光るだけの女』が……なぜ、あんなに称賛されている?」
王宮では邪魔者扱いだったリリィが、ここではまるで女神のように崇められている。
その光景は、今の落ちぶれたエリックにとって、あまりにも残酷な皮肉だった。
「クソッ……。帝国に来た途端、どいつもこいつも……!」
エリックはギリッと奥歯を噛み締め、視線をステージから外した。
そして、その憎悪の矛先を、すぐ近くにいた私――「全ての元凶」へと向けた。
「……久しぶりだな、ソフィア」
その声を聞いた瞬間、周囲の空気が少しだけ淀んだ気がした。
痩せこけた頬。目の下の深いクマ。
かつての煌びやかな王子服は着ているものの、どこか薄汚れた雰囲気の男。
元婚約者、エリック・ルミナスだ。
「あら、エリック殿下。遠路はるばるようこそ」
「……ああ。招待状をくれたこと、感謝するよ」
彼は引きつった笑みを浮かべ、私の顔をじっと見つめた。
「見違えたな、ソフィア。……以前より、美しくなった」
「ええ、おかげさまで、環境の良い職場に移籍しましたので」
私が事務的に返すと、彼は一歩、距離を詰めてきた。
「なぁ、ソフィア。単刀直入に言おう。……戻ってこないか?」
「はい?」
「我が国は今、少しばかり……システムトラブルを抱えている。お前の力が必要なんだ。今なら、また『婚約者』の座に戻してやってもいい」
エリックは小声で、縋るように囁いた。
その目には、愛などない。あるのは「焦り」と「執着」だけだ。
私は溜息をつき、冷たく答えた。
「まだそんなことを言っているんですか? この会が何を祝しているのかお分かりでないようですね。当然、お断りします」
「……そう言うと思ったよ」
エリックの表情から、媚びた色が消えた。
代わりに浮かんだのは、ドス黒い狂気だ。
彼は懐から、厳重に鎖で巻かれた「黒い小箱」を取り出した。
「なら、これを見ても同じことが言えるか?」
「それは……」
私は作業用モノクルを起動し、その箱を解析した。
『警告。内部に高密度の悪性術式を検知。セキュリティホールより、汚染魔力が漏出中』
「……古代の禁忌兵器、でしょうか?」
「そうだ。これは王家に伝わる『パンドラ・ボックス』。ひとたび開ければ、この帝都など一瞬で死の霧に包まれる」
エリックは箱を掲げ、勝ち誇ったように言った。
「ソフィア。この箱を開けられたくなければ、今すぐ俺と一緒に来い。……さもなくば、お前の愛する帝国を道連れにしてやる」
周囲のざわめきが消える。
明らかな脅迫。テロ予告だ。
しかし、私は恐怖するどころか、呆れてしまった。
「……エリック殿下。貴方、その箱の『仕様』を理解していますか?」
「な、なに?」
「ここを見てください。封印の術式が劣化して、メモリリーク(魔力漏れ)を起こしています。そのままだと、箱を開ける前に持ち主の手が腐り落ちますよ?」
「ひっ!?」
私の指摘に、エリックは慌てて箱を持ち直した。
「う、うるさい! ハッタリを言うな! これは最強の兵器なんだ! 俺の命令一つで……」
ガシッ。
エリックの肩に、氷のように冷たく、岩のように重い手が置かれた。
「……おい。誰の許可を得て、私の妻を口説いている?」
クロードだ。
彼は私の腰を抱き寄せ、エリックを絶対零度の瞳で見下ろした。
「ヒッ……こ、皇帝……!」
「聞こえていたぞ。『帝国を道連れにする』だったか? ……面白い冗談だ」
パキィン……。
どこかで、乾いた音が響いた。
見れば、近くのテーブルに置かれたグラスの中身が一瞬で凍りついていた。
それだけではない。クロードの足元から、鋭い霜が生き物のように這い広がり、エリックのつま先ギリギリで静止したのだ。
音もなく、ただ温度だけが急激に奪われていく。
それは暴力的な威圧よりも遥かに恐ろしい、「死」を予感させる静寂だった。
「貴様の国が抱える負債総額は調査済みだ。
そんなに金が欲しいなら、くれてやるぞ? 貴様の国ごと買い取って、私の庭にしてやってもいい」
クロードが続ける。
「そして、今更当たり前すぎて口にするのも馬鹿らしいが、理解できていないお前にもわかるように宣言してやる。ソフィアは渡さん。彼女は私の心臓だ。指一本でも触れてみろ……その箱ごと『凍結処分』して、永久に地下牢に幽閉してやる」
圧倒的な格の違い。
王者の風格を前に、エリックはガタガタと震え上がり、後ずさった。
「く、くそっ……! 覚えていろ……! 後悔させてやる……!」
エリックは捨て台詞を吐き、逃げるようにその場を去っていった。
その背中は小さく、あまりにも惨めだった。
「……やれやれ。お目汚しだったな、ソフィア」
クロードが氷の覇気を解き、いつもの優しい顔に戻る。
「大丈夫ですか? あの箱、かなり危険なノイズが出ていましたけど」
「問題ない。……だが、奴のあの目は、理性のある人間の目ではなかった」
クロードは遠ざかるエリックの背中を睨み、静かに告げた。
「ギルバートとリリィ、それからアドミンに伝えろ。明日の結婚式は、『最高レベルの警戒態勢』で行う、と」
「了解です。……どうやら、ただの結婚式では終わらなそうですね」
「……ただの結婚式?」
クロードは、トラブルがなくともすでに異常な結婚式ではないか、と言いたげな様子。
私はドレスの裾を握りしめた。
明日はいよいよ本番。




