第16話:リリース
ギルバート殿下は片眼鏡をパチンと弾き、自身の端末を最大出力で展開した。
「聞いたかい、ソフィアちゃん! 君の旦那様は太っ腹だねぇ! 僕がバックグラウンド(裏方)で雑魚プロセスを掃除する。君は本丸の『カーネル(中枢)』を書き換えてくれ!」
ギルバート殿下が端末を操作しながら、早口でまくしたてた。
「敵の防御は鉄壁だ。リヴァイアサンの周囲には高密度の『拒絶魔力』が渦巻いている。この距離からの無線アクセスじゃ、ノイズが酷すぎて接続が安定しない。パケットロス率90%ってところだね」
「それじゃあ、中枢を書き換える前に回線落ち(タイムアウト)しちゃいます! 物理的に接触して、直接回線を繋ぐ必要がありますが……」
あの暴れまわる巨体に、生身で近づいてケーブルを刺すなんて自殺行為だ。
私が困り果てていると、クロードが不敵に笑った。
「ならば、私が『回線』とやらを作ろう」
「え?」
「奴のバリアをこじ開け、私の氷で巨大な『杭』を打ち込む。氷は魔力を通す性質がある。その杭を導線代わりにしろ」
「なるほど! 氷の有線接続ですね!」
私はクロードの作戦に頷いた。
「整理します!
1.ギルバート殿下がバリアの周波数を解析し、攪乱する。
2.その隙にクロードが『氷の杭』を深々と突き刺して、動きを封じる。
3.私がその杭を通じて内部に侵入し、バグを駆除する。
……行けます!」
「完璧な布陣だ。行くぞ!」
三人の意思が一つになった。
「了解です! 最高の環境ですね! プロジェクト名でもつけますか?」
私は端末を構え、叫んだ。
「なら『プロジェクト・ホワイト・エンタープライズ(超・労働環境改善計画)なんてどうだい? ブラック企業から解放してあげよう!』
「気取った名前ですね!」
いざ、作戦開始だ!
グオオオオオオッ!!
機械龍リヴァイアサンが咆哮し、口から超高密度の魔力ビームを放つ。
直撃すれば、島ごと消し飛ぶ威力だ。
「……遅い」
クロードが軽く腕を振るう。
刹那、ビームの軌道上に幾重もの『氷の鏡』が出現し、光線を四方八方へと拡散・無効化させた。
「ソフィアちゃん! 奴の装甲は分厚い! 物理障壁と論理障壁の二重構造だ!」
「解析完了してます! ギルバート殿下、障壁の周波数を合わせてください!」
「任せてよ! ……ハッ、こいつの暗号化方式、3000年前の『ルーン配列』か! 古いんだよ!」
ギルバート殿下が高速でキーを叩き、妨害電波のような魔力を放射する。
すると、リヴァイアサンの周囲に展開されていたバリアにノイズが走り、わずかな穴が開いた。
ギルバート殿下が目を細める。
「胸元の『コア』だけは傷つけないようにね。あそこに衝撃を与えると、中の子のデータが飛ぶ可能性がある。陛下、分かってますよね?」
「愚問だな。……生まれついての魔力だ。手足よりも精密に動かせるさ」
彼は上空に巨大な魔法陣を展開し、細長い「氷の杭」を生成した。
「喰らえ……ッ!!」
ギギギ、ガガガガッ……!
リヴァイアサンが身動きを取れずに、不快な駆動音を上げて暴れる。
氷の杭が青白く発光し、魔力のパスが繋がったことを知らせる。
「ソフィア、接続だ!」
「はいッ!」
私は氷の杭に向けて手をかざし、意識を集中させた。
物理的な肉体の感覚が薄れ、精神が魔力の奔流となって吸い込まれていく。
「ダイブ・イン!!」
視界が明転し、世界が一変した。
そこは、デジタルな光の海だった。
だが、美しい光景ではない。
『帰リタイ……帰リタイ……』
『エラー。エラー。未定義ノ例外デス』
視界を埋め尽くすのは、無数の「断裂した光のライン」と、毒々しい「赤黒いノイズの嵐」。
本来なら整然と並んでいるはずの幾何学模様は砕け散り、鋭利なガラス片のように空間を舞っている。
まるで、崩壊寸前の電子都市に放り込まれたような感覚。
「うっ……酷い……!」
あまりの情報密度と不協和音に、頭が割れそうだ。
普通の魔導師なら、この情報の濁流に飲まれて、一瞬で精神が焼き切れていただろう。
けれど。
「……この程度、前職の『36時間連続サーバーメンテ』に比べれば、そよ風みたいなものよ!」
私は仮想キーボードを展開し、猛烈な勢いでコードを叩き始めた。
delete(bug_clusters); // バグの集合体を削除
optimize(mana_flow); // 魔力循環を最適化
私の指先から放たれる清浄な光が、泥のようなコードを次々と浄化していく。
絡まった変数を解きほぐし、無駄なループを断ち切り、美しい一本の道を作っていく。
しかし――。
『警告。中枢へのアクセス権限ガ不足シテイマス』
『必要魔力量:測定不能』
最後の扉、コアの手前で巨大な「ファイアウォール」が立ちはだかった。
古代人が残した、管理者権限ロックだ。
これを突破するには、私の魔力だけでは到底足りない。
「くっ……弾かれる!?」
現実世界の私の体が、反動で吹き飛びそうになる。
その背中を、誰かがガシッと支えた。
「――使え、ソフィア」
耳元で、愛しい声がした。
クロードだ。
彼は私の背中に手を当て、自身の膨大な魔力を流し込んでくる。
「私の全魔力を、君の『技術』に委ねる。……パスワードなんぞ知らん。この理不尽な魔力で、扉ごとこじ開けろ!」
「……っ、正直、多すぎますけどね!」
夫からの無制限のエネルギー供給。
そして、横からはギルバート殿下の援護射撃。
「周辺の防御プロセス、全部落としたよ! 今だソフィアちゃん、君が主役だ!」
条件は揃った。
私は深呼吸し、持てる全ての技術と愛を込めて、最後のコマンドを打ち込んだ。
「――届けぇぇぇッ!!」
タァァァンッ!!
私がエンターキーを叩いた瞬間。
クロードの青い魔力と、私の光の魔力が螺旋を描いて奔流となり、ファイアウォールの中心を貫いた。
視界が真っ白に染まる。
光が収まると、そこは静かな白い空間だった。
泥もノイズもない。美しく整頓されたコードの世界。
その中心で、AI少年が体育座りをして泣いていた。
『……うぅ……終わらないよぉ……』
私はゆっくりと近づき、その小さな頭を抱きしめた。
「おはよう、管理者くん」
『え……? お姉ちゃん……?』
「もう大丈夫。バグは全部取り除きました。仕様変更の命令書も破棄しました。……これからは、君の好きなように動いていいのよ」
少年が顔を上げる。その瞳からは、あの「死んだ魚のような色」が消え、澄んだ光が宿っていた。
『ボク……もう、働かなくていいの?』
「ええ。これからは『観光案内』とか、簡単な仕事だけでいいわ。……さあ、帰りましょう」
私は彼の手を引いて、光の出口へと歩き出した。
現実世界。
ズズズ……と音を立てて、巨大な機械龍が崩れ落ちていく。
もはや動くことのない抜け殻だ。
その胸元のコアから、眩しい光と共に、小さな影が飛び出してきた。
「受け止めるぞ!」
クロードがキャッチしたのは、実体化したホログラム――いや、小型の魔導ドローンに宿ったAI少年だった。
『わぁ……! 外の世界だ……!』
ドローン少年は空中でくるりと回り、私の目の前で止まった。
『ありがとう、お姉ちゃん! お兄ちゃんたち!』
「どういたしまして」
私が微笑むと、クロードはふんと鼻を鳴らし、ギルバート殿下は「やれやれ」と座り込んだ。
「……とんでもない『共同作業』だったね」
「ああ。だが、悪くない結果だ」
遺跡の赤い警報ランプが消え、代わりに柔らかな青い光が灯る。
それは、数千年の時を経て、ようやくこのシステムが正常稼働(定時退社)を迎えた証だった。




