第10話:対面
帝都の夜会会場は、光の海だった。
シャンデリアの輝き、グラスが触れ合う軽やかな音、そして着飾った貴族たちの談笑。
その中心に、私はいた。
「……クロード様、緊張します。皆さんが見ています」
「当然だ。今夜の君は、夜空の星々を集めたよりも美しい」
クロードが私の腰を抱き寄せ、耳元で囁く。
私は『女帝の青』のドレスを纏い、背筋を伸ばして立っていた。
髪にはサファイアの髪飾り。肌はエステで磨き上げられ、内側から発光するような艶を帯びている。
周囲からは、感嘆の溜息が漏れていた。
「あの方が、世界樹を蘇らせた聖女様か……」
「なんと美しい。まるで女神のようだ」
「皇帝陛下がお選びになるのも納得だ」
(ふふ、ちょっと気分いいかも)
私は扇子で口元を隠しながら、少しだけ微笑んだ。
かつて「地味だ」「陰気だ」と罵られた私が、今や帝国の華として注目されている。
これは最高の「見返し」だ。……まあ、見返す相手はここにはいないけれど。
そう思っていた、その時だった。
バンッ!!
優雅な音楽を切り裂くように、会場の扉が乱暴に開け放たれた。
「――通せ! 私はルミナス王国の第一王子、の王子だぞ!!」
会場の空気が一瞬で凍りつく。
入り口に現れたのは、この煌びやかな空間には似つかわしくない、泥と悪臭を漂わせた三人組だった。
薄汚れた服、ボサボサの髪、そして何日もお風呂に入っていない特有の体臭。
エリック王子、ガロン宰相補佐、そしてリリィだ。
「な、なんだあの汚れは?」
「臭うぞ……下水の臭いだ」
「衛兵は何をしている!」
貴族たちが眉をひそめて道を開ける。
エリックたちは、その「道が開いた」ことを「敬意」だと勘違いしたのか、泥だらけのブーツで大理石の床を踏みしめ、ズカズカと歩いてきた。
「クロード皇帝! 話がある!」
エリックが叫ぶ。
クロードは不快そうに目を細め、冷たい声で言った。
「……何の用だ、薄汚いネズミども。今日は祝いの席だ。掃除用具入れと間違えたか?」
「ふん、相変わらず減らず口を! 私は今日、貴様に騙されている『ある女性』を救いに来たのだ!」
エリックが胸を張り、キョロキョロと周囲を見渡す。
私を探しているのだ。
だが、彼の視線は私の前を素通りした。
(……え?)
私は瞬きをした。
今、目が合ったはずだ。
なのに、彼は私を認識しなかった。
どうやら私が彼の脳内にある「地味なソフィア」と今の私が、格好のせいで結びつかなかったらしい。
そして、エリックの視線が再び私に戻り――そこで釘付けになった。
「っ……!」
エリックが息を呑む。
怒りに燃えていたその瞳が、見る見るうちに「欲望」と「恍惚」の色に染まっていく。
「な、なんて美しい……」
エリックは本来の目的を一瞬で忘れ、フラフラと私に近づいてきた。
「君は……誰だ? 帝国の姫君か? いや、この世のものとは思えない美しさだ……」
彼の後ろで、リリィが「ひっ」と息を呑んでいるのが見えた。
リリィは気づいたのかもしれない。
同じ女性としての本能が、私の正体が誰なのかを。
けれど、王子は止まらない。
彼は泥だらけの手を伸ばし、私の手を取ろうとした。
「初めまして、麗しの君。私はルミナス王国の第二王子、エリックだ。……どうだろう、私と一緒に私の国へ来ないか?」
会場中が静まり返る。
クロードから殺気が出ているのが分かる。
でも、私はあえてクロードを制し、扇子を閉じて、極上の営業スマイルを浮かべた。
(私が誰だか気づかずに口説くなんて、面白い見世物じゃない)
「あら、ごきげんよう。ルミナス王国の殿下」
私はあえて他人行儀に、優雅にカーテシーをした。
「遠路はるばる、大変な道のりでしたでしょう? お召し物が……随分とユニークなデザインでいらっしゃいますわね」
私の皮肉も、今の彼には届かない。
「ああ、これは……少しトラブルがあってね! だが、君のためなら泥など勲章だ!」
エリックは髪をかき上げた。
「単刀直入に言おう。一目惚れだ。私の正妃にならないか。ちょうど今、前の婚約者を追放して、席が空いているんだ」
私は思わず笑いそうになるのを必死で堪えた。
私はチラリとリリィを見た。
彼女は顔を真っ赤にして、恥ずかしさのあまり消えてなくなりそうに縮こまっている。
「エリック様……やめてください……その方は……」
「黙っていろリリィ! 今、私は運命の出会いをしているんだ!」
エリックはリリィを一喝すると、再び私に熱い視線を送ってきた。
「さあ、返事を聞かせてくれ。この悪逆非道な皇帝の元を離れ、私と共に愛の王国を築こうではないか!」
彼は自信満々に手を差し出した。
自分がどれほど滑稽で、どれほど残酷なことを言っているのか、微塵も気づかずに。
私はゆっくりと、クロードを見上げた。
クロードは肩を震わせて笑いを堪えていたが、私の視線に気づくと、スッと表情を戻し、愉悦に満ちた声でエリックに告げた。
「おい、エリック王子」
「なんだ! 嫉妬か!?」
「いや……。貴様は『ソフィア』を探しに来たのではなかったか?」
その名前が出た瞬間、エリックはハッとした。
「そ、そうだ! 忘れるところだった! ソフィアだ! あいつを返してもらおう!」
「……返せと言われてもな」
クロードは私の腰を抱き寄せ、ニヤリと笑った。
「彼女は、ずっとここにいたいそうだ?」
「は? 何を言って……」
エリックはキョトンとして、クロードと、その腕の中にいる私を交互に見た。
輝く夜空のドレス。
宝石のような肌。
自信に満ちた微笑み。
エリックの脳内で、パズルのピースが音を立てて崩れ落ちていく。
「……え?」
私は扇子を口元に当て、かつて彼に向けたことのない、冷ややかで美しい瞳で見下ろした。
「ごきげんよう、エリック殿下。……随分と簡単な『運命』ですこと。私を追放した時と、同じ口説き文句ですわよ?」




