第9話:披露宴
世界樹の一件以来、私の生活は一変した。
研究室に引きこもって魔導回路をいじるだけの生活は終わりを告げ、代わりに始まったのが――。
『次期皇后・お披露目プロジェクト』
という名の、地獄の(いや、天国のような?)美容合宿だった。
「さあソフィア様! 今日はお肌の水分量を調整する『水精霊のパック』ですよ!」
「次は髪のキューティクルを修復する『微弱魔力トリートメント』です!」
「爪の先まで磨き上げますからね!」
帝国の誇る精鋭メイドと美容魔導師たちが、私の部屋に雪崩れ込んでくる。
彼女たちの目は本気だ。
あの「世界樹を直した奇跡の聖女」を、見た目も完璧に仕上げるというミッションに燃えているのだ。
しかし魔法とは随分と奥深いもので、美容方面はこんなにも発展しているのかと感心させられてしまったが──しかし私の専門とする魔法とはやはり違う、個人的には、こんなにとキラキラとした点描で描写されるような魔法より、機械的に動く魔法のほうが好きだったりする。
「うぅ……研究室に戻りたい……魔導炉の振動音が恋しい……」
「ダメです! 明日は各国の大使も招いた大夜会なんですよ! 帝国の威信がかかっているんです!」
私はドナドナされる子牛のように、エステ台へと連行されていった。
数時間後。
全身を磨き上げられた私は、クロードの待つ衣装部屋へと通された。
そこには、目が眩むような光景が広がっていた。
部屋中に並べられた、色とりどりのドレス、宝石、靴。
すべてが帝国の最高級品だ。
「やあ、ソフィア。……待ちくたびれたよ」
ソファでくつろいでいたクロードが、私を見て立ち上がる。
彼は私の顔を覗き込むと、満足げに頷いた。
「うん、いい肌艶だ。素材の良さが引き立っている」
「素材って……私は魔導素材じゃないんですよ」
「ははは。さて、今夜のドレスだが……私が選んでおいた」
クロードが指を鳴らすと、侍女たちが一着のドレスを運んできた。
それを見た瞬間、私は息を呑んだ。
「これは……」
それは、「夜空」そのものだった。
深いミッドナイトブルーの生地。
そこには無数の極小のダイヤモンドと魔石が散りばめられ、動くたびに星空のようにキラキラと瞬く。
先日、彼がくれた髪飾りと同じ色だ。
「王国の聖女服は、白一色だったのだろう? 『清貧』だとか言って」
「ええ、まあ。汚れが目立って大変でしたけど」
「だから、真逆にした。……これは『女帝の青』だ。誰よりも高貴で、誰よりも輝く、君のための色だ」
クロードの瞳には、昏い独占欲と、深い愛情が渦巻いている。
「着てみてくれるか?」
カーテンの向こうで着替えを済ませ、髪を結い上げた私は、おずおずと姿を現した。
背中が大きく開いたデザイン。
コルセットで締められたウエストから、ふわりと広がるスカート。
鏡に映っているのは、いつもの地味な私ではなく、物語に出てくるお姫様そのものだった。
正直、自分でも「誰?」と思ってしまうほどの変貌ぶりだ。
「ど、どうですか……? 似合ってますか?」
恐る恐る尋ねると、クロードからの返事がない。
顔を上げると、彼は口を半開きにして、石像のように固まっていた。
「……クロード様?」
「……ああ、すまない。言葉を失うというのは、こういうことか」
クロードが夢遊病のように近づいてくる。
その手つきは、壊れ物を扱うように慎重だった。
「美しい。……美しすぎる」
「そ、そうですか? ちょっと派手すぎないかなって」
「いいや、足りないくらいだ。……ああ、くそ。これを他の男に見せるのが惜しくなってきた。パーティーなど中止にして、このまま寝室に閉じ込めてしまいたい」
「へっ!? だ、ダメですよ! 招待状出しちゃったんですから!」
私が慌てると、クロードは「冗談だ(半分は本気だが)」と笑い、私の腰に手を回した。
「冗談だよ。君の素晴らしさを、世界中に自慢したい気持ちもあるからな。……さあ、行こうか。私の愛しい妻よ」
「はい。……あなたの隣に立っても恥ずかしくないよう、胸を張ります」
私はクロードの腕に手を添えた。
その頃。
帝国の帝都・正門前。
豪雨の中を進んできた一台のボロボロの馬車が、衛兵たちに槍を突きつけられていた。
「止まれ! 何者だ! この先は帝都だぞ、薄汚い馬車が通っていい場所ではない!」
衛兵の怒号に、馬車の窓が乱暴に開く。
顔を出したのは、泥汚れと疲労で顔を歪ませたエリック王子だった。
「無礼者ぉぉぉッ!!」
エリックの金切り声が響く。
「私は王国の第一王子、エリックだ! 隣国の王族に向かって槍を向けるとは何事か! 国際問題にするぞ!」
「は……? 王族……?」
衛兵たちは顔を見合わせた。
目の前の男は、どう見ても浮浪者にしか見えない。
だが、彼が懐から取り出して見せつけたのは、紛れもなく王家の紋章が入った身分証と、外交用の通行手形だった。
「ほ、本物か……?」
「おい、どうする? こんな汚い連中を入れたら、今日の夜会の警備に関わるぞ」
「だが、外交特権がある以上、ここで追い返せば本当に戦争の火種になりかねん……。それに、今日は各国の大使も来ている。騒ぎを起こされる方が厄介だ」
衛兵長らしき男が、忌々しげに舌打ちをして合図を送った。
「……通せ。ただし! 城門から一歩でも怪しい動きをしたら即刻拘束するからな!」
重々しい音を立てて、城門が開く。
馬車の中で、リリィが不安そうに身を縮めていた。
「エリック様……本当に大丈夫なのですか? なんだか、場違いな気が……」
「黙っていろリリィ! ここまで来て怖気づいたか!」
「で、でも……私、もう疲れました。ソフィアお姉様がいないと何もできないのは事実ですし、もう謝って……」
「謝るだと!? 悪いのは逃げ出したあいつだ!」
エリックは聞く耳を持たない。
リリィは悲しげに俯いた。
彼女は薄々気づいていたのだ。自分には聖女の力などなく、ただの「灯り係」でしかないことに。そして、ソフィアという偉大な存在の代わりなど務まらないことに。
(帰りたい……。美味しいご飯を食べて、暖かいお風呂に入りたいだけなのに……)
リリィの小さな願いも虚しく、狂気に囚われた王子の馬車は、煌びやかな光に包まれた城へと進んでいく。
光り輝くソフィアと、泥まみれの王子。
そして、自分の無力さに気づき始めたリリィ。
三者の運命が交差する「決戦の夜」が、今、始まろうとしていた。




