第6話:デート
「さあ、ソフィア。仕事は終わりだ。着替えておいで」
昼下がりの研究室。
クロードがいきなり入ってきて、そう告げた。
今日の彼は、いつもの重厚な皇帝の衣装ではなく、仕立ての良いダークネイビーのジャケットに身を包んでいる。ラフな格好だが、隠しきれない気品が溢れ出ていた。
「えっと、どこかへ視察ですか?」
「違う。……デートだ」
「でーと」
私は鸚鵡返しをしてしまった。
生まれてこの方、その単語にはあまり縁がなかった気がする。
聖女として塔に幽閉されていた私にとって、外出とは「結界の修繕」か「慰問(という名の集金)」しかなかったからだ。
「最近、働き詰めだろう? 今日は息抜きに、城下町へ連れ出そうと思ってね」
「陛下がお忍びで? 大丈夫なんですか?」
「護衛は影に潜ませているし、認識阻害の魔道具も持っている。……それに、君に見せたいものがあるんだ」
クロードは悪戯っぽく片目をウィンクさせた。
馬車に揺られること15分。
「……陛下、その眼鏡は?」
「ん? ああ、これか。『認識阻害』の魔道具だ。これをかけていると、周囲からは『ただの顔立ちの整った青年』程度にしか認識されなくなる」
「へぇ……」
私は眼鏡のフレームに目を凝らした。
(なるほど。視覚情報そのものを歪めるんじゃなくて、見た人の脳内で『重要人物フラグ』を強制的にへし折る術式が組まれているわね。これなら、たとえ皇帝と知っている人が見ても『いや、まさかな』とスルーしてしまうはずだわ)
「すごい技術です。これなら、暴れん坊な将軍様がお忍びで城下に混ざってもバレませんね」
「将軍? よく分からんが、行くぞ」
私たちは、帝都のメインストリートである「水晶大通り」の入り口に降り立った。
「わぁ……っ!」
降りた瞬間、私は感嘆の声を漏らしていた。
そこは、光と色彩の洪水だった。
幅の広い石畳の道は、塵一つないほど磨き上げられ、太陽の光を反射してキラキラと輝いている。
通りの両脇には、煉瓦造りの洒落た建物がずらりと並び、ショーウィンドウには色とりどりの商品が飾られていた。
何より驚いたのは、その「清潔さ」と「活気」だ。
王国の街は、常に泥と汚水の臭いが漂い、人々は俯いて歩いていた。
けれど、ここは違う。
すれ違う人々は皆、笑顔で会話を弾ませ、清潔な服を着ている。空気には、焼き菓子や香辛料の食欲をそそる香りが満ちていた。
「すごい……。下水道の整備率100%ですね、これ」
「感想がそこか?」
クロードが苦笑するが、私は職業病でキョロキョロしてしまう。
「だって、見てくださいあの街灯。魔石式ですけど、昼間は出力が1%以下に抑えられています。人が近づいた時だけ光量が増す『人感センサー式』ですよね? この規模で導入するなんて、どれだけコストがかかってるんですか……!」
「よく気づいたな。あれは我が国の自慢の省エネシステムだ。……デート中に配線の心配をする女性は、世界中探しても君くらいだろうな」
クロードは呆れつつも、どこか嬉しそうに私の手を取った。
「さあ、配線を見るのは後にして、こっちへ。美味いものがあるんだ」
連れて行かれたのは、香ばしい煙を上げている屋台だった。
大鍋で煮込まれている肉料理や、焼きたてのパンが並んでいる。
「おじさん、いつもの串焼きを二本」
「へいよ! ……おや、旦那。今日は別嬪さん連れかい?」
屋台の店主は、クロードを皇帝だとは気づかず、気安く話しかけてくる。
クロードも「ああ、自慢の連れだ」とサラリと答えて、私に熱々の串焼きを手渡してくれた。
「陛下……もしかして、こういうお店によく来るんですか?」
「市井の視察は上に立つものの役目だからな。この眼鏡を使って街に出ることはある。だが、それはあくまでも視察であって、こんな風に日の当たる大通りを笑って歩くのは初めてだ」
クロードはも串焼きを頬張りながら答えた。
意外と熱かったのか、口に含んでほふほふしていた。
「……君のおかげだよ。私の国の街並みが、こんなに賑やかだと知ることができたのは」
「ほら、ソフィアも食べてごらん。帝都名物『火竜の香草焼き』だ」
私は串にかぶりついた。
カリッとした皮目の食感の後に、ジューシーな肉汁が口いっぱいに広がる。
ピリッとしたスパイスがアクセントになっていて、いくらでも食べられそうだ。
「ん~っ! 美味しい!」
「ハハハ、いい顔だ。城のフルコースより、こういう方が好きか?」
「はい! ……あ、いえ、もちろんシェフの料理も美味しいですが、こうやって空の下で歩きながら食べるのって、なんだか『自由』な味がして」
私がそう言うと、クロードの足がふと止まった。
彼は食べかけの串を持ったまま、切なげに私を見下ろした。
「……そうか。王国の聖女は『清貧』を求められると聞いた。こんな風に、街を歩くことすら許されなかったのだろう?」
図星だった。
私は24時間、塔の中に軟禁状態で魔力を搾り取られていた。
「聖女が下々の食事など口にするな」「民衆に姿を見せるな」と言われ、外の世界は窓から眺めるだけのものだった。
「これからは、毎日でも連れ出してやる。美味しいものを食べて、綺麗な服を着て、行きたいところへ行こう。……君が失った青春を、私がすべて取り戻してやる」
クロードの言葉は、ただの口説き文句ではなく、真摯な誓いのように聞こえた。
胸の奥が、熱くなる。
肉汁の熱さのせいじゃない。この人の優しさが、冷え切っていた私の心を溶かしていくのだ。
「……ありがとうございます、クロード様」
私は自然と、彼の名前を呼んでいた。
クロードは嬉しそうに目を細めると、私の空いた手を取った。
「よし。次はあそこの店に行こう。君に似合いそうなものを見つけたんだ」
彼が指差したのは、煌びやかな宝飾店ではなく、魔石を加工したアクセサリーを扱う露店だった。
並んでいるのは、色とりどりの原石を磨いた髪飾りやブローチだ。
「これだ。君の瞳と同じ色をしている」
クロードが手に取ったのは、透き通るようなサファイアブルーの魔石がついた、銀の髪飾りだった。
派手すぎず、でも内部に複雑な魔力回路のような模様が浮かんでいて、とても美しい。
「綺麗……。でも、これ高いんじゃ」
「気にするな。……少し屈んで」
私が背を低くすると、彼は慣れない手つきで、私の髪にそれを挿してくれた。
「うん。やはり似合う。……これを着けていれば、君が私のものだと周りにも伝わるだろう」
「えっ、マーキングですか?」
「悪いか?」
クロードは不敵に笑うと、店主に金貨(お釣りはいらないと言っていた)を渡し、私の手を強く握り直した。
その手は大きく、温かく、そして力強い。
人混みの中で絶対に逸れないように、という意思を感じる「恋人繋ぎ」だ。
行き交う人々が、幸せそうに笑っている。
輝く街並み、美味しい食事、そして隣には、私を世界一大切にしてくれる人がいる。
(……どうしよう。私、今、すごく幸せかもしれない)
王国の塔の中で、死んだように生きていた日々が、遠い過去のように思える。
私は照れ隠しに、彼の指に自分の指を絡ませて、ギュッと握り返した。
「……次は、あっちの公園に行ってみましょうか。大きな木が見えます」
「ああ、世界樹のある広場だな。行こう」
私たちは肩を並べて歩き出した。
その先に待ち受ける「世界樹の異変」と、それがきっかけで起こる大騒動のことなど、まだ知る由もなく。




