7.王妃セシリア 2
「まぁともかく、よ」
ふぅ、とひとつ息を吐くとセシリアがぱちりと両手を胸の前で合わせた。
「やっとレオに春が来そうなの。フレッドの立太子、無事に済ますわよ!」
「そうですね、そこ済まないとライオネル殿下言い訳して前に進めないですしね」
うんうん、とヴァージルも大きく頷くとセシリアがまた困ったように微笑んで首を傾げた。
「そうね……。あの子、いまだに引きずってるのよ」
「王妃殿下のことをですか?」
「本人に言わないでちょうだい、そんな昔の話。違うわよ、元従者と元婚約者よ」
「あー………ライオネル殿下、何も悪くないのになぁ」
「そうよ、あの子はあの時だって何も悪くなかった。今の悪評だってかなりの数があの子のものじゃない。あの子の夢を潰した私たちが言えることじゃないけど……」
ぐっと眉間にしわを寄せ口角を下げたセシリアに、ヴァージルもまた眉を下げた。
「違いますよ。あれは私たち大人の責任です。王妃殿下たちはまだ子供だったんですから」
「子供じゃなかったわ、ちゃんと成人してたし結婚もしてたもの」
「それでもね、まだまだこれからだったんですよ、あなた方は。守れなかった我々の責任です」
確かに陛下もセシリアもライオネルも周囲も皆成人していた。成人はしていたがまだこれから、大人として様々なことを学び伸びていく時期だったのだ。まだまだ重荷を背負うべき時では無かった。ヴァージル達が守るべき大切な若木だった。
「宰相だって今よりは若かったじゃない」
「まぁそうですね、力不足のおっさんでしたね」
「そうは言ってないわよ」
ヴァージルがおどけたように肩を上げてふるりと震えて見せるとセシリアが苦笑した。
「いえ、私にもっと力があればとあの時ほど思ったことは無いですよ。あれが私の宰相道のスタートですからね」
「え、そうだったの?私てっきり宰相は元々宰相を目指してたんだと思ってたわよ」
「いやいや、こんな因果な立場なんてまっぴらごめんでしたよ。逃げ回りましたからね。ただ、あの人が……尊敬してたからこそあの人の最後の仕事が許せなかったんです。だから、全部書き換えてやろうと思いまして」
大噓だ。全部書き換えてやることなどできやしないことはヴァージルにも分かっている。ヴァージルは宰相などやっているが、それなりに地位が高いだけの凡人だ。ヴァージルにできるのは精々、あの人が遺した影響を少しでもましにして未来につなげる…その程度だ。
「前宰相ね」
「ええ、あのイタチおやじです」
「たぬき親父と女狐は聞いたことがあるけどイタチおやじは初めて聞いたわよ」
「ええ、あの人専用の称号ですね」
「良いんだか悪いんだか。でも何となく分かる辺りが凄いわね」
当時宰相を務めていたのは、面倒くさがりのヴァージルに「よし、王宮で官吏やろう!」とまんまと思わせた人だった。思うところはあれど今でもヴァージルの尊敬する人のひとりであることに変わりはない。
「はは、そうでしょうそうでしょう!私は後世に何て評されるんでしょうねぇ」
「胃痛宰相じゃないの?」
「そのもの過ぎて更に痛い!」
今も決して痛くないわけでは無い。ちょっと痛いな、くらいなら通常状態なので気にしていないだけなのだ。医務官には「痛くないのが普通なんです!」と怒らてしまうが仕方が無い。
胃を押さえて前のめりになったヴァージルにセシリアは声を上げて笑った。
「ふふふ、冗談よ。早く元気になってちょうだい」
「そうは言ってもですね、僕、あと三年でもう六十なんですよ」
「知ってるわよ?」
愛らしく首を傾げたセシリアは言外に「だから何?」と間違いなく言っている。
胃を押さえるのを止めて起き上がるとヴァージルは大量に積まれている枕にぼふりと寄りかかりはぁ、とため息を吐いた。
「あのですね、貴族家の当主が引退するのも六十です。ご存知ですよね?」
「知ってるわよ。でも宰相は当主じゃないわ。当主は陛下だもの」
にこりと笑ったセシリアにヴァージルはわざとらしく両手で頭を抱えてふるふると振った。
「あー、そうですね。家令は引退年齢決まってませんね!」
「そうよ。好きなだけ働けばいいのよ」
「今日を限りで骸骨を乞わせてください!」
「あらやだ、素敵ね東の古典!教養ばっちりね!」
骸骨を乞う、とはつまり退官を願い出ることだ。
粉骨砕身、それこそ身を削って仕えてきたんだからいい加減、骨だけでも返せ!…というのは少々意訳のし過ぎだがヴァージルとしてはそんな気持ちだ。事実、元々細かったヴァージルの体重は宰相になってからゆうに十キロは更に減っている。
「辞めさせる気、さっぱりないでしょう」
「あるわけないでしょう。フレッドの立太子目前なのよ」
「あー…そうですね、少なくとも立太子の儀は私の手で仕切りたいですね」
「そうでしょう?お爺ちゃんとしては孫の雄姿は見たいでしょう?」
「ええもう、本当に。実の孫がいないので切実ですよ」
「あら、そういえばローレンスはいまだに駄目なの?」
「さっぱりですよもう。ニールがこの間結婚したのでそっちに期待ですね」
長子のローレンスは絵と花…特に薔薇をこよなく愛している。ほぼ庭の薔薇と結婚している状態なのでさっぱりと女性の影が無い。影が無いどころか影が近づいて来た時点で権力と財力を最大限行使して退けるくらいはやりかねない。というか、やっていた。
これがただの道楽であれば良かったのだが、薔薇を栽培させれば品評会で毎年金賞を掻っ攫い、絵を描かせれば国外でも高値で取引される始末。止めろとも言いづらくて今に至る。
次男のニールもヴァージルの子と思えないほど出来が良かったのが幸いだった。間違いなく愛する妻の血が良いのだろう。
「そうね、子が生まれないと公爵も譲れないんじゃないの?」
「そうなんですよ!この体で二足の草鞋とかもう!!」
「よく言うわね、できた奥様がいるくせに」
「ええもう!アナベルは僕の天使、僕の誇り、僕の全てですよ!!」
妻のアナベルは容姿のみならず知性も品性も抜群だ。どこに出しても恥ずかしくないかどこにも出したくないし誰にも見せたくない。アナベルが減る。
「あなたの奥様好きには頭が下がるわよ」
「陛下には負けるかもしれないんですけどね」
「あの人のは好きというよりほぼ執着よ」
「あ、否定できない、痛い」
またもヴァージルが胃を押さえるとセシリアは困ったように眉を下げた。
「ともかく宰相、今は侍医が良いと言うまで休んでちょうだい。剣術大会は微妙でも立太子の儀には間に合うはずよ」
「そうですね、剣術大会はライオネル殿下がいればなんとでもなりますから」
「そうね、ウィルが国王になってからは全部レオの采配だものね毎回」
「知られてないですけどねぇ……」
「国王主催が聞いて笑えるわよね。国王、興味ないんだもの」
「あの方が興味があるのは妃殿下とライオネル殿下のお二方だけですからね」
セシリアがふっと、とても優しい笑みになった。
「一応オリヴィアも範囲みたいよ。それに今回動いたのは間違いなくフレッドのためね。ティーナのためにもきっと動くわ」
「あ、それは良かった。成長が見えますね」
「そうでしょう?育ってるのよ」
嬉しそうに笑うセシリアにヴァージルは苦笑した。
国王ウィルフレッドは人として欠けている。その欠けた部分をずっとセシリアとライオネルで埋めてきたのだが、もう埋めることができるのはふたりだけでは無いということだ。
時間は止まることなく流れていく。時間こそが全てを解決する鍵になることもある。
「さて、そろそろウィルが何かやらかしそうだから行くわね」
「行ってください止めてください」
後ろに控える侍女にすっと手を上げたセシリアに、ヴァージルは何度も力強く頷いた。頼むからこれ以上胃痛の種を増やさないで欲しい。しばらくは。
「分かってるわよ、ちゃんと寝ててね」
「ええ、大人しくしてますよ。僕のアナベルがもうすぐ来ますし」
「ふふ、そうね。王宮に滞在していただく間はできる限りもてなすから安心してね。図書館の使用許可札はあとで届けさせるから」
「わー、助かります。僕が忙しいって許可取らないからものすごく恨まれてるんで」
「奥様を誰にも見せたくなかっただけなのにね」
にんまりと、悪い顔になったセシリアにヴァージルもにんまりと、同じように笑ってみせた。
「僕もたいがい執着してますからね」
「ふふ、愛ゆえだと思ってるわよ」
「妃殿下がですか?妻がですか?」
「さあね、どちらかしら」
「いいんです。僕はアナベルを愛していてアナベルも僕を愛してますから」
ヴァージルが両手を重ねて頬に添え、うっとりと思い出すように笑うとセシリアの笑顔が引きつった。
「はいはい、じゃ、行くわね」
「はい、お見舞いありがとうございました」
「ええ、また来るわ。ちゃんと休むのよ?」
ヴァージルがあっははーと笑いながら手を振ると、セシリアも呆れた顔で手を振り部屋を出て行った。




