42.緊急招集 5
頭痛を堪えるようにこめかみを揉みながらセシリアがため息を吐いた。
「はぁ…、それでどうしてティンバーレイクが大丈夫なのよ」
「言っとくけどな、あいつも本気で剣術大会が見たいからだけで来るわけじゃねえぞ」
「じゃあ何よ」
「ベルトがモニカのために啖呵切っただろ。ベルトの言葉を本物にするためにあっちの国を代表して来るんだよ」
「ベルトルト王子のために?」
「おう」
元々ベルトルト第三王子の留学は無かったはずだった。その交渉の場で、婚約者となったティンバーレイク公爵令嬢モニカが隣国に嫁ぐのが一年程度早くとも遅くとも変わらないと言った狸たちにベルトルトが言ったのだ。
『変わらないわけないだろう!たったの一年、けれど一年だ!我が国に嫁いでしまえばいつ帰れるか分からない。いつ帰れなくなるかも分からない。そんな中での一年がご家族にとってもモニカ嬢にとってもどれほどに貴重か………。あなたがたはご自身のご息女が同じ立場にあっても『変わらない』などと同じ言葉を吐くおつもりか!』
国同士の交渉の場において感情的に声を荒げることは決して賢いことではない。だが、ベルトルトのモニカを思う真摯な叫びは確実に事なかれ主義の狸どもの心を動かした。
誰もが単に我が国で遊んでいきたいだけだろうと第三王子を軽く見ていたが、言葉を尽くす彼の熱意にひとり、またひとりと陥落していく様は実に見ごたえのあるものだった。
とんだ優良物件が来たものだと、ヴァージルも思わず内心笑ってしまったほどだ。愛娘を必死に守ろうとしてくれるその姿勢に、終始澄ました顔をしていたティンバーレイク公爵マシューの内心はいかほどであっただろう。
王侯貴族としては全くもって正しいと言えないが情勢的にはぎりぎり許容範囲だ。まだまだ過ぎるほどに青いが、モニカの国を越えての政略結婚の相手がベルトルトで良かったと、ヴァージルも心から思っている。
「国境まで行ったら往復だけで急いでも一ヶ月半は掛かるだろ。ベルトがこっちに残るって決めた意味が減るんだよ。モニカのために隣国の王太子がわざわざ足を運んでそれを国が受け入れたとなれば、ティンバーレイク公爵が釣り合いを取るためにこっちに譲歩するのはあり得るだろ。若いってのが問題なだけでオリヴィア自身の評価は高いわけだしな」
「まぁ、そうだけど……でもお兄様よ?」
「おう。お前のお兄様、義理の息子が随分と可愛いみたいだぞ」
「そうなの?想像つかないのだけど……」
確かにあのマシューが誰かを特別に目をかけるところなど想像つかないが、ヴァージルにも何となく分かる気がした。
ベルトルトとモニカの仲は大変に良好だという。ベルトルトならモニカのライオネルへの思いをきっと断ち切ってくれるだろう。そんな義理の息子、ヴァージルなら溺愛する。愛娘を攫われるという意味では心底、腹は立つだろうが。
「あとはまぁ……うちのじいさんは、いい加減そろそろ引退だろうしな。どうせオリヴィアの育成にも時間かかるだろ?放っておいても宰相より先に黙るだろうからそうなったら押し切れば良いんじゃねえの。その頃にはオリヴィアも出来上がってんだろ?」
そうだろ?とばかりにライオネルがヴァージルに首を傾げた。オリヴィアは必ず宰相に相応しくなるしヴァージルは必ずオリヴィアを育て切る。そう、信じてくれているのが良く分かりヴァージルは思わずにやりと笑ってしまった。
「ええ。何せこちらにはアナベルもいますしね。見事な女傑に育ちますよ」
「ねえ、宰相。それは肯定しても良いのかしら…?」
「ふふふ、殴り方の伝授からでしょうか」
にっこりと笑ったアナベルは最高に綺麗で格好良い。物理だけではなくあらゆる力を使った効果的な殴り方も完璧に伝授してくれるはずだ。
「そう……夫人がそう言うなら、そうね。きっと大丈夫ね」
「ただでさえ気が強いんだがなぁ、あいつ……」
セシリアとライオネルが何とも言えない顔で顔を見合わせた。
ちなみに、ライオネルはこれまで一度もアナベルに殴られたことが無い。つまりはそういうことなのだ。
「そうね。とにかく、モニカについては正式に手紙が届き次第ティンバーレイクと話が必要ね。準備の方はいったん全て止めるわ。レオ、根回ししておいて」
「おう、任せとけ」
「宰相、オリヴィアの方はどれくらいかかるかしら?」
「建国記念祭までには」
「そう、じゃあ剣術大会あたりまでに根回しはあらかた終えてちょうだい。縁談はどうするの?」
「今日にはローレンスがオリヴィア様へ宛てて見合いの打診をしているはずですね。薔薇が見苦しくなる前には設定するそうですよ」
「あら、早いのね」
「やればできる子ですからねぇ」
気が付けば手元に新しい茶が置かれている。いつの間にかハリエットとベンジャミンが動いていたらしい。
湯気の上がるそれをひと口飲むと、ほぅ、とセシリアが息を吐いた。
「さあ、動くわよ」
にんまりと、セシリアが笑った。
「そうだな……動き出した、な」
少し切なそうにライオネルも笑う。
ふたりのメイウェザーはそれぞれの主の元へ戻ると、ひとりはにっこりと笑って、もうひとりはいたわるように微笑んでそれぞれの主に頷いた。
そこからは大まかな日程の確認や動きのすり合わせ等をして、昼前には各々仕事へと戻って行った。セシリアは今からウィルフレッドに話をしに行くらしい。
騎士団に用があるというライオネルに着いて部屋を出ようとするベンジャミンを、ヴァージルは思わず引き留めた。
「ベンジャミン君。あのね、オリヴィア様はね」
振り向いたベンジャミンは口元に人差し指を当てて微笑んだ。
「オリヴィア殿下が未来へと歩みを進められたことをお祝い申し上げます」
そう言って綺麗に一礼すると、ベンジャミンはヴァージルの返事を待たずに部屋を出て行った。
「ベンジャミン君、気付いてたんだね……」
アナベルとふたりきりになった部屋で、ヴァージルはぽつりと呟いた。
ヴァージルは…いや、恐らく誰もがオリヴィアはベンジャミンを駒として欲しがっていると思っていた。当人であるベンジャミン以外は。
「ええ、そのようですね」
ぼんやりと扉を眺めていたヴァージルの手をアナベルがそっと握った。
「難しいよねぇ……」
昔も、今も。人の気持ちは本当に難しい。
叶わなかったいくつもの思いを飲みこんで、幸運にも叶えることのできたヴァージルは愛しい妻を引き寄せてぎゅっと抱きしめた。




