36.ドラモンド公爵令息ローレンス 2
これが議会や宰相室でなら髪色と相まって(腹)黒宰相と揶揄されるくらいどんな美辞麗句も悪口雑言もさらさらと口から出るのに、今は情けないほど言葉が出ない。振り向けば、アナベルが苦笑している。
「ローレンス」
「はい、母上」
「オリヴィア様が盾になる決心をされたわ」
「ああ…そういう……」
ローレンスはまたも嫌そうに顔を顰めてため息を吐いた。我が息子ながらそのひと言で察してくれるのは大したものだとヴァージルは思う。
「あなたは?」
「は?」
「あなたはどうするの?また、目を逸らす?」
「ちょちょ、アナベル待って。あんまりにも率直すぎ」
「あら、遠回しに言う意味もないでしょう?」
「う、うん。そうだけどね?」
あまりにも容赦のないアナベルにヴァージルは苦笑した。
ドラモンドは盾だ。守るべきものを決めたらその盾となり守り支えることを最上とする。家門が持つ二つ名も『王国の盾』。
ヴァージルは国とウィルフレッドたち大切な子供たち世代を守る盾となることを選んだ。アナベルは嫁いできてくれた身だが、ドラモンドとしてヴァージルの意志を守る盾となることを選んでくれた。
「僕は………」
俯いたままローレンスが呟くように言った。
「僕は、ドラモンドにはなれません」
ふるふると、力なく首を横に振ると、ローレンスはきゅっと、唇と噛みしめた。
ローレンスはかつて、守るものを選びきれず思考を止めたことで大切なものを失った。時間が解決につながることもある。だが、時間が全てを良いように解決してくれることは、ない。
部屋に沈黙が流れる。ヴァージルも、アナベルも。俯いたままのローレンスを見つめたまま何も言おうとしなかった。
ローレンスを動かす言葉はいくつかある。だが、ヴァージルはできることならローレンス自身で決めて欲しかった。
ローレンス自身が脊髄反射ではなく考えた上で出した答えが『否』ならそれで良い。ヴァージルが頭を下げてオリヴィアにもっと良い縁組を探せば良いだけだ。
窓の外、流れていたはずの音楽がいつの間にか止まっていた。時計を見れば夜半を過ぎている。
じっと待っていると、俯いたままローレンスがぽつりと言った。
「僕は、きっとまた、迷います。選べない。止められない。きっと…逃げます」
「うん、そうかもしれないね」
ヴァージルは否定することなく頷いた。
ローレンスが選べなかったのはそこに『思い』があったからだ。思いが強ければ強いほど人は迷うし、悩む。それは人として当然のことだ。途方に暮れることだってあるだろう。結果として、手遅れになることも。
「それでも………」
「うん」
「それでも僕に、できることがあると、思いますか」
「どうだろうね、分からないなぁ」
あるよ、と言ってあげることが正しいのかもしれない。君ならできるよ、と言ってあげるべきなのかもしれない。だが、ヴァージルにそのつもりは無い。
「できるかできないかなんて、やってみないと分からないでしょ?僕ができたって君ができると限らないし、僕ができなくても君ができないとは限らない。でもね、ローレンス。君が今、即座に断らなかったこともまた、ひとつの答えなんじゃないかな」
「答え、ですか」
「うん」
ちらりと見るとアナベルは何かを考えるようにじっとローレンスを見つめている。ヴァージルも項垂れたままのローレンスに視線を向けた。
「うーん、そうだなぁ……。じゃあ、さ。君は何で即座に断らなかったの?」
「………」
「オリヴィア様に言われたんだよね?嫌ならはっきり拒絶しろって」
「………はい」
「じゃ、嫌では無いんだね」
「分かり、ません」
「ふーん………」
アナベルを見るとぱちぱちと、ローレンスを見て何度も瞬きをしている。さもありなん、ヴァージルも正直、一度も拒絶の言葉が出ていないことに驚いている。
最終的には受けるだろうとは思っていたが、一度も拒否しないとは思っていなかったのだが。
ああ、そうか、とヴァージルはやっと気が付いた。今ローレンスにかけるべき言葉はこんな回りくどいものでは無い。率直すぎるアナベルが正解だ。やはりヴァージルの妻は最高だ。
「ローレンス」
「はい」
「盾になりなさい。なれるかなれないかはどうでも良いよ。なりなさい」
「ですが……」
「オリヴィア様はまだ若い。しかも女性だ。宰相を目指すとなればこれから先、どれほどの悪意に晒されるか分からない。それでも自分の意志で宰相に、国の盾になることを選んでくださった。でもこのままでは………オリヴィア様はいつか飲まれるかもしれないよ。………彼女のように」
「…………」
ローレンスの翡翠の瞳が揺れた。揺れたのが、見えた。いつの間にか、項垂れていたローレンスの背が伸び視線が前を向いている。
ヴァージルは真っ直ぐに自分を見る翡翠の瞳を見つめ返すと、ゆっくりと瞬いた。
「ローレンス。あの時の君にはできることは何もなかった。若かったし、人脈も無かったし、経験も無かったし、立場的にも無理だった。でも今の君は違うよね?今の君には人脈も、権力も、経験も、何なら財力もある。それだけでも十分に君はオリヴィア様の盾になれる。それでもやはり、目を背けるかい?」
目を逸らさないローレンスにヴァージルは万感の思いを込めて微笑んだ。
ローレンスが立ち直るまではと、ヴァージルもアナベルもローレンスに自由を許していた。いつか自分で踏み出せるまではと、強く何かを言うことはしなかった。いや、違う。何も言うことができなかった。
今、ヴァージルの目の前でローレンスは視線を泳がせ、唇を震わせ、膝の上で手を握り締めている。それでもローレンスは、俯くことはしない。
ローレンスはきっと、どこかでもう準備はできていたのだろう。ただ足を踏み出す勇気が持てなかった。きっかけを探していたのだろう。時に、誰かが引っ張り背中を押してやることも必要なのだ。
ウィルフレッドといいローレンスといい…ヴァージルはいつも見落としてばかりだ。本当に…ヴァージルはとても平凡で、本来なら宰相なんて柄ではないのだ。
「………愛せません、きっと」
ぐっと、唇を引き結んだローレンスが何かを堪えるように目を閉じて言った。
「そこはふたりで話し合ってよ。それこそオリヴィア様にだって色々あるでしょ」
「薔薇を、捨てられません」
「そこも話し合いなさい。まぁ、話したところでオリヴィア様は捨てろって言わないだろうけどね」
ローレンスが最も大切にする薔薇の名を聞いても、ローレンスの薔薇ジャムの話を聞いてもオリヴィアはきっと「そうなのね」とだけ言って笑う。きっとそのまま受け入れる。
「それは……僕が、許せません」
「うん、何で僕の血からこんな生真面目な子が生まれちゃったのかなぁ…」
そしてそれが許せないのがローレンスだ、分かっている。許せるのならとっくに違う生き方をしているだろう。
どうしてこの世代はこうも不器用な子供たちが揃ってしまっているのか…。いつまで経っても胃が良くなる気がしなくて、ヴァージルはもう笑うしかないのだ。




