35.ドラモンド公爵令息ローレンス 1
ぱたりと、扉の音まで軽やかに閉まる。
そう感じるのはヴァージルの心持のせいだろうか。それともオリヴィアが残していった晴れやかな笑顔のせいだろうか。
「ごめんね、アナ。十年くらい伸びそう」
「素敵な義娘が増えて嬉しい限りね」
へにゃりと眉を下げて振り返ったヴァージルにアナベルがくすくすと楽しそうに笑った。
「そうだねー、まさかオリヴィア様を義娘にできるとは思ってなかったなー」
「噓ね?」
「どうしてそう思うの?」
「ライリー子爵を後継に出来ない時点で考えていたことでしょう?」
「まぁ、そうだねぇ。若すぎるからどうかなぁとは思ってたけど……オリヴィア様にやる気があるなら、ね。若さも飲みこみの早さってのに繋がるかなぁ」
ヴァージルとしては最善はベンジャミンだと思っている。そうでなければダレル。だがふたりとも、宰相をやらせるよりももっと大切な、彼らにしかできない役割を担っている。その上、どちらも少しばかりそれぞれの主に甘い。いや、甘すぎてきっと宰相業なんてそっちのけになる。無理だ。
次はライオネルかグレアム。ライオネルは申し分ないが別の役割がある。あと十五年くらいは役割から離れられないだろう。十五年はさすがにヴァージルがもつか分からない。グレアムは能力に不安は無いが少しばかりフレデリックに傾倒しすぎる不安がある。いや、こちらもすでに甘すぎるか。もう少し、離れて見ることができないといざというとき危うい。
そうやって考えていくと意外と人が残らない。これもまた、十一年前の弊害と言えるだろう。
「オリヴィア様を宰相にするなら伴侶選びは更に難しいからねぇ。あのオリヴィア様が伴侶に振り回されるってことは無いだろうけど…逆に即、切り捨てかねないし」
「ああ、それはありますね」
「そうでしょ?そうなると無駄に足引っ張ろうとする連中が湧くでしょ?夫も御せないのに何が宰相だーとか。頭の足りない奴ほど騒ぐのが目に見えてる」
「そうなればきっとまた、ライオネル殿下が動きますね」
「そういうことになるだろうねぇ」
ライオネルは国王のやらかしを被るのみならず、裏側の汚い部分もある程度請け負ってきた。裏の部分を請け負う家門は別にあるのだが、それだけでは埋まらない部分もまた、過去にはあったからだ。
「だから、さ。ローレンスならその辺、上手くやるでしょ。うちとしてもローレンスの使いどころができて良いしね。今のままじゃあの子も前に進めないし~?」
おどけたヴァージルにアナベルが困ったように微笑み、少しだけ視線を俯かせた。
「…………少し、似ていますね」
「そうだねぇ……そこだけがちょっと、気になるかなぁ…」
挑むような目、自信にあふれた笑み。似ていないはずの笑顔にヴァージルですら時折、過去の幻影を見てしまう。
「それでも、さ。あの子もいい加減、乗り越えないと…ね」
窓から流れて来る音楽はいつの間にかゆったりとしたものに変わっている。もうそろそろ、お開きの時間も近いのだろう。
「僕らはさ、いつだってただ見守るしかできない。もどかしいよねぇ…」
ウィルフレッドとセシリアが退席し音楽が止まっても夜会は本当の意味では終わらない。少しずつ人が減り、誰もが会場を去って初めて扉が閉められる。それが宴の終わり。そこからは王宮の使用人たちの戦場だ。色々確認しに行きたくなってしまうのはもう、ある種の病気と言えるかもしれない。
「駄目ですよ」
ちらりと窓の方へ視線を向けると笑い混じりの声が聞こえてヴァージルは肩を竦めた。アナベルにはしっかりと見抜かれているらしい。
「分かってる。それに今はローレンスを待たないとね」
オリヴィアは無事にローレンスを見つけることができただろうか。オリヴィアはローレンスに何を話しただろうか。
実のところ、ヴァージルは正解を用意していない。人と人との関係…特に男女の関係というのは周りが何をどうしたところで予測通りにはなってくれないものだ。だから何をどうしても良い。あえて言うなら、今日の夜会で…オリヴィアに勢いがあるうちに会えればそれで正解だ。
そんなことを考えつつぽつり、ぽつりと話をしているとごん、ごん、ごん、と扉が気だるそうに叩かれた。ノックだけで面倒くさそうなのが分かるのはもう、特技にして良い気もする。
「はい、どうぞー」
苦笑いをしながらヴァージルが声を掛ければがちゃりと扉が開き、のそりと、良く良く見知った顔が入って来た。
「お呼びとうかがいました、父上、母上」
「うん、呼んだ呼んだー」
ヴァージルがへらりと笑って手招きをすると、ローレンスは小さくため息を吐いて寝台横までやって来た。
「座りなさい、ローレンス」
「……長いですか?」
「それは君次第。とりあえず座る」
「はぁ……」
びしっと正装を着こなしており、見た目は間違いようのない紳士なのだが如何せん覇気が無い。どうもローレンスは室内だと、萎れる。
「オリヴィア様に会った?まぁ、会ったからここにいるんだよね?」
「はぁ、お会いしましたね」
「何か話した?」
「………嫌ならはっきり拒絶しろ、と」
「何を?」
「そこは特に」
「聞かなかったの?」
「まぁ……興味が無いので」
「ふーん、ま、君だもんね、そうなるよね」
今のローレンスが興味を示すのは庭と植物と絵とその題材だけ。あえて、そうしているようにヴァージルには見えるが。
「じゃ、単刀直入に言うけど。オリヴィア様と結婚しなさい」
「……なぜでしょうか」
「おや、即答で拒否しないんだね」
「まぁ………あの王妹殿下が拒絶しなかったのなら、僕である意味のあることなんでしょう」
「うん、まぁ……そうなんだけどね?」
ヴァージルは顔にこそ出さなかったが内心で「え?嘘でしょ!?」と大いに叫んだ。
今までどんな縁談を持って来ても、どんな令嬢に声を掛けられてもローレンスは表情も変えず即座に切り捨てていた。今回も第一声は拒絶だろうと身構えていたのだが。
そんなヴァージルを嫌そうに見るとローレンスはため息を吐きつつ目を逸らした。
「……レオが、反対しないなら」
「え!?あ、あれ?もうちょっと抵抗しないの!?」
「……しましょうか?」
「あ、うん、ごめん。受け入れてくれてありがとう」
「はぁ……で、理由は」
「あ、うん、あのね?えっとね?」
ヴァージルは様々な言葉を用意していたのだ。ローレンスを動かせそうな言葉をそれはもう、何種類も一生懸命考えたのだ。それなのに、あまりにあっさりと受け入れられたことで逆にヴァージルの方が狼狽えてしまった。




