34.王妹オリヴィア 5
赤の目をぱちぱちと瞬かせてアナベルを見つめるオリヴィアに、アナベルはゆっくりと、けれどはっきりと頷いた。
「大丈夫です、殿下。今はまだ殿下の手は小さくていらっしゃいます。お持ちになれる盾も小さい。ですが殿下はひとりではございません。私たちは殿下の……盾の盾となりましょう。いつかその手に国を覆うほど大きく力強い盾をお持ちになる日まで」
「わたくし、できるかしら……?」
「できますよ。沢山悩まれたのでしょう?その上でやると決めて夫に会いに来られた殿下ではありませんか。殿下は自分の力量も知らぬ馬鹿ではありません。そのような馬鹿なら王族だろうと何だろうと宰相の言葉を出した時点で叩き出しております。殿下はご自身を知った上でいらしたのでしょう?覚悟は、できていらっしゃるのでしょう?」
すっと、アナベルの目が細められ口角が上がった。今度は優しくではなく、それはもう挑発的に。
少々乱暴なアナベルの物言いに驚いた様子のオリヴィアがぱっとヴァージルを振り返った。若い世代は本当に知らないのだ、アナベルという得難い女性を。
「お忘れですか、オリヴィア殿下。僕が宰相をやっている間、ドラモンドとその周辺を黙らせてきたのはアナベルですよ」
ヴァージルがにっこりと満面の笑みを浮かべれば、オリヴィアは困惑したように視線を揺らし、それから納得したように頷いた。
「そう、よね。お祖父様を殴りつけたのは、夫人だものね」
「おや、信じていらっしゃる?」
「誇張されていると思っていたわ。でも、今、全面的に信じたわ……」
「あっははー!それは良かった!本当のことですよ!!あ、一応こぶしじゃなくて平手でしたけどね?」
「あなた、あの場にいなかったではありませんの」
「いやぁ、ほんと、もったいないよねぇ。見たかったなぁ…」
アナベルはヴァージルのひとつ年上だ。先王陛下を引っ叩いたのもヴァージルが学園へ入学する前の話。ヴァージルが何度か目撃したのは違う男が制裁を受ける場面だった。
この世からクズが消えない限りアナベルのこぶしは唸り続ける。つまり、永久に不滅だ。
さすがに物理制裁は色々と問題が出るのでヴァージルはアナベルに権力という名のこぶしを贈った。今のアナベルはそれを余すところなく見事に利用している…それだけのことだ。
「呆れた……」
眉を下げるアナベルにへらりと笑うと、ヴァージルはオリヴィアに視線を向けてにっこりと笑った。
「僕の妻は格好良いでしょう?殿下」
「そうね……見習うべき師匠が違うかもしれないことに気づいたわ」
「あ、待って待って。国については僕に師事してくださいね!?」
「他は良いわけ?」
「それ以外で僕がアナベルに優るところなんてひとつもありません!!」
「そう…何だか少し複雑なのだけど……。でも、そうね。お義父様とお義母様が味方であり師匠だなんて、とても幸せなことかもしれないわね」
「そうでしょう、そうでしょう!?」
満面の笑みで「僕の妻は最高で最強なんです!」と寝台の上で弾みそうなほど声を明るくするヴァージルを見てオリヴィアは少しばかり引きつった笑顔を浮かべつつ姿勢を正した。
「宰相」
「あ、はい?」
「わたくしが次期宰相、良いのよね?」
「そうですね。現状、無理せず望める中では最善です」
「つまり、覆ることもあるのね?」
「当然ですね。相応しくない、上があると判断すれば切り捨てるのがこの国の宰相の仕事です」
「そうね、その通りだわ。わたくしは、わたくし自身で、わたくしこそが相応しいと周囲を納得させ続けねばいけないのだものね」
「はい、その通りです。まずは良くできました」
妥協であってはいけない。次善であってはいけない。常に最善をのぞみ、叶わなければそれを越える道を探す。考えて、考えて、決して考えることを止めてはいけない。それは酷く孤独で過酷な道だ。それでも立ち止まらない、立ち止まってはいけない。立ち止まれば、負ける。自分自身に。
はぁ、とオリヴィアが脱力したように息を吐いた。目を閉じふるりと首を横に振ると、ヴァージルとオリヴィアを交互に見た。そうして、立ち上がった。
「よろしくお願いいたします、師匠……お義父様、お義母様」
ふわりと優雅に、けれど深く膝を折ったオリヴィアに、ヴァージルとアナベルはあえて立ち上がらずに微笑みで応えた。
「はい、頑張りましょうね」
「お支えしますわ、殿下」
顔を上げたオリヴィアの顔はとてもすっきりとして不安の色は消えていた。まずは第一段階合格、といったところだろうか。
「僕の方から陛下と王妃殿下に通します。あ、縁談も含めてです。同時進行でローレンスと見合いでも良いですか?」
「良いわ。わたくしにできることは?」
「そうですね、会場に戻ってローレンスを見かけたらこっちに寄こしていただけますか?」
「すぐに話すの?」
「放っとくとどこに行くか分からないですからね、うちの長男。捕まえる機会があるなら即、捕獲です。すでに終盤ですしまだ会場にいるかすら定かじゃないんですが………今日は僕の代理ですからさすがに最後までいるとは思うんですよねぇ……」
ちらりとアナベルを見ると笑顔なのに少し怖い。万が一すでに会場にいないなどということになったら後が怖い。ちゃんと残っていてくれよ息子、とヴァージルは心の中で呼びかけた。
「分かったわ。わたくしから、何か話した方が良いかしら?」
「どちらでも。殿下が思うとおりにやってみてください」
「良いの?」
「ええ。あなたが『最善』だと思う通りにどうぞ」
「ふふ、もう始まってるのね?」
「ええ、そうです。僕は甘くありませんよ?」
にっこりと笑ったヴァージルに、オリヴィアは心から嬉しそうに笑った。
「良いわ!望むところよ、師匠。わたくしのことは敬称無しで呼んでちょうだい、お義父様、お義母様」
「そうですね、まだ本決まりじゃないので様は付けますよ、オリヴィア様」
「ふふふ、それで良いわ」
オリヴィアは「じゃ、行って来るわね」と頷くと騎士を伴って軽やかに部屋を後にした。




