33.王妹オリヴィア 4
「年は三十二。家はニールが継ぎますのでドラモンドの後ろ盾はつきますが大公家に婿入りできます。というか、ドラモンドを継いでオリヴィア殿下を娶って補佐しろなんて言ったら失踪しますので婿入りでお願いします。ご存知の通り頭の出来は悪くないんで庭いじりと絵描きの許可だけ出してやればそれなりにお役には立つかと……社交以外は。顔はまぁ……すいません、ローレンスは妻に似なかったもので」
「あら、わたくしは宰相の顔も割と好きよ」
「それは光栄。悪くない話だとは思うんですけどどうです?師匠の息子なんてちょうど良いと思いません?」
「そうね、さっぱり似ていないしね」
「ええ、何もかもが驚くほど似ていないですよ」
ローレンスの髪はヴァージルと同じ黒、瞳はアナベルと同じ翡翠。背は低くも高くも無く、細くも太くもない。人と関わる時はいつもどこかつまらなそうにしていて、口元に微笑が浮かぶことは無いし上手い言葉も出てこない。どこをとってもベンジャミンとは似ていない。
「でも無理強いはしたくないわ」
「あの子に無理強いしようにも無理でしょうからねぇ」
「そこは似てるわね」
「いちいち似ているところを探さないでくださいよ」
「大丈夫よ、あなたにもわたくしにも似てるってことだもの」
「痛い、否定できない!」
意志が強いと言えば聞こえは良いがつまりは頑固なのだ。こうと決めたらてこでも動かない。だが、動かせないわけでは無い。誰しも弱点はあるし、卑怯な手を使わずとも自ら動きたくなるよう仕向けることはできる。
胃を押さえたヴァージルを見て困ったように笑うとオリヴィアはひとつ、ため息を吐いた。
「そうね、良いわ。ローレンスが嫌でないのなら」
「ではまずはあれの庭園でお茶ですかね」
「手土産は薔薇ジャムが良いかしら」
「あー、薔薇ジャムは難しいかもしれませんね」
「品質で怒られそう?」
「いや、品質というかこだわりというか……」
ローレンスは庭いじりのついでに薔薇を主として様々な花の品種改良をしておりその品種改良をした花を使った加工品も研究している。今ではドラモンド公爵領の特産品になったものもあり、その中でも、特に薔薇ジャムには強い思い入れがある。
「そうですね…あの子にとって少しばかり薔薇ジャムは特別なんですよ。何かで塗り替えてやれれば良いんですけどね」
「良くない思い出なのかしら?」
「どうでしょう。良いか悪いか……それは周りが判断すべきではない記憶、でしょうかね」
「そう………」
オリヴィアは何かを考えるように視線を下げた。ひとつ、ふたつとゆっくりと瞬きをすると視線を上げて真っ直ぐにヴァージルを見た。
「説得できるの?宰相」
「あの子は拒否しませんよ」
「これまでずっと誰が相手でも拒否し続けて来たのに?」
「ええ。断言できます」
ローレンスは断らない。ヴァージルが断らせないのもあるが、ローレンスは必ず自分の意志で受け入れる。
そう確信を持ってオリヴィアの赤の瞳を見つめると、オリヴィアは瞳を揺らし、「そう」と呟いて目を閉じ俯いた。
数瞬ののち、大きく吐き出された息と共に目を開いた時にはもうオリヴィアの瞳は揺れていなかった。
「分かったわ。ローレンスが嫌がらないのならわたくしの伴侶はローレンスよ。宰相、わたくしをあなたの後継に選んでちょうだい…………いえ、違うわね」
オリヴィアは一度言葉を切るとふるりと首を横に振り、蜜色の睫毛に縁どられた赤の目を細めてにっと口角を上げた。
「わたくしを選びなさい。宰相ヴァージル・ドラモンド」
これでこそいつものオリヴィアだ。どこか好戦的で、自信に溢れた赤の瞳。吹っ切れたようなオリヴィアの笑みに、ヴァージルもにやりと笑って胸に手をあて恭しく頭を垂れた。
「お望みのままに、オリヴィア王妹殿下。ドラモンドはあなた様の盾となりましょう」
「違うわ宰相。わたくしを盾として育てなさい」
「ん-、でも殿下、盾って言うより剣ですよね?むしろ鈍器?」
「あなた、わたくしを何だと思ってるのよ……」
「えー?合理性重視、効率主義な王妹殿下?」
「否定はしないわね」
ふっと、オリヴィアは口角を上げて視線を落とした。
「そうね…だからきっと、わたくしはベンジャミンに選ばれなかったのね……」
「あー、まぁ……ライオネル殿下に合理性とか、効率とか、言ったところで何の意味も無いですからねぇ…」
「それがレオ兄様の素敵なところでもあるわよ。取りこぼさないように見落とさないように馬鹿みたいにどこまでも大きく腕を広げて……ほんと、欲張りなんだから。だからそれを支えるためにきっと本物が集まるんだわ。………わたくしには無理よ。わたくしではせいぜい目に入る範囲。違うわね、両手で掬い上げられる程度だわ。駄目ね…宰相には、本当に足りない……」
自嘲気味に表情を崩して笑んだオリヴィアは、何かを掬い上げるように両手を合わせてじっとその手を見つめている。小さく、華奢な女性の手。取りこぼしてきた何かを悔いるようにぎゅっと両手を握り締め、オリヴィアは唇を噛んだ。
「これからはオリヴィア殿下が掬い上げるのではなく、フレデリック殿下の手が沢山のものを掬い上げることができるよう、盾として守って行かれるのでしょう?」
「え?」
かちゃり、と響いた音にオリヴィアが驚いたように顔を上げ、ぱっと隣室につながる扉を見た。
「盗み聞きのようになり申し訳ありません」
いつの間に戻っていたのか、続き扉から入って来たアナベルが目尻にしわを寄せ翡翠の瞳を優しく細めた。時計を見ればとうに一時間は過ぎている。
「ドラモンド公爵家は盾です。誰かが何かを成し遂げるため、その盾となって守るのがドラモンドです。ふふふ、親近感が湧いてしまいまして……思わず割り込んでしまいました」
「夫人……」
ヴァージルが宰相として国を、大切な子供たちの成長を守る盾として生きる道を選んだことで、アナベルはドラモンド公爵の夫人として、公爵代理としてヴァージルを守る盾として立った。
今、目の前で国と次代の盾として生きることを選んだオリヴィアの苦悩はアナベルにとっては覚えのあるものだ。アナベルがいたからこそ、ヴァージルは宰相として生きてこられたのだから。




