32.王妹オリヴィア 3
ヴァージルはぱっかりと開いた口をぱくぱくと何度か開閉し、それから「ん~~~」と唸ると、小さく息を吐いた。
「………よろしいのですか?」
「どういう意味かしら?」
「宰相とは国の要。王宮にあってこそ力を発揮する者。国で王族に次ぐ権力を持ち責任を持つ、国王と王妃に次ぎ不自由な地位のことです。自由には、動けなくなりますよ?」
ヴァージルが宰相になってからもうすぐ十一年。実はヴァージルは父の葬儀以外一度も領地に帰っていない。王都で指示を出すことはあるが、領地で必要なことはほとんどをアナベルに任せてきた。
軍馬を乗り換えつつ駆ければ往復二日も掛からないとはいえ、その時間すら惜しいほどに国は、情勢は、時間は待ってくれない。それほどまでに、宰相は激務だ。
「知っているわ。ずっとあなたを見てきたもの」
オリヴィアは眉を下げて微笑むとゆっくりと頷いた。
「わたくしに学ぶことを教えたのはあなただわ。兄様たちにできないことをと、わたくしに各地を巡るという内政を教えたのもあなただわ。このまま王妹として同じことを続けることも可能だけれど、わたくしには自らの足で歩き目で見てきた知識と経験がある。わたくし自身が各地を巡ることで得てきた繋がりがある。だからこそ、城から動けずとも多くをできるだけの素地があるはずよ」
ヴァージルももちろん覚えている。オリヴィアは学園を卒業してすぐ、ヴァージルの執務室に突撃してきた。「わたくしに出来ることを教えなさい」と。
結婚しそうにない次兄ライオネルの代わりに早々に結婚して血を残すのはいかがでしょう?とへらりと言ったヴァージルに、臓腑まで凍り付くかと思うほど冷たい視線を向け「宰相は馬鹿なの?」と宣ったオリヴィアを今でも良く覚えている。あれから、もう六年だ。
「わたくしね、悔しいのよ。レオ兄様はわたくしたちをずっと守ってくれているのに、わたくしたちは誰もレオ兄様を守れなかった。レオ兄様はそんなこと無いぞって笑うけれど、レオ兄様の真実を国民のほとんどが知らないのはわたくしやウィル兄様たちの罪だわ。年が離れているからなんて言い訳はしたくない。わたくしは…………わたくしもレオ兄様を、国を守りたい。今度こそ」
膝の上でぎゅっと握りしめたオリヴィアのこぶしが震えている。
オリヴィアは今年で二十四歳になった。最初にことが起こった時はまだ十三歳になったばかりだった。
さぞかし恐ろしかっただろうに、目を背けても仕方なかったのに、オリヴィアは決して自分にそれを許さず最も厳しい中央の学園で主席を取り続け、卒業してすぐにヴァージルの元へとやって来た。
「今すぐは無理よ、それは分かってる。わたくしは宰相を継ぐには若すぎるし圧倒的に足りないものが多すぎる。だから十年…せめて五年、あなたの下で学びたいの。次の世代を導くことができるように…あなたが、兄様たちを導いてきたように」
オリヴィアが言葉を止めた。探るように、どこか不安そうにヴァージルを見つめている。
真面目な話をしているはずなのに何だか面白くなってしまい、ヴァージルはうっかり笑ってしまった。
「殿下はそうは見えないのに、意外とお兄様方が大好きですよねぇ」
「何よ……意外と言われることが意外だわ」
「ベンジャミンを大公配に、というお考えは?」
「ベンジャミンが首を縦に振ると思うの?」
「ん-…ライオネル殿下の側にいることを許すなら?」
「一生家に帰って来ない気がするわね。兄様が許しても帰って来そうにないわ」
「うん、駄目ですね。他にはこう、殿下のお眼鏡に適うものは?」
「駄目ね、ベンジャミン以上が見当たらないわ、色々な意味で」
「八方塞ですね!はっはっは!」
「笑えないのよね」
「ははは………はぁ」
オリヴィアは配偶者には便利で優秀な駒が欲しいのだろうと思っていた。ヴァージルも許されるならベンジャミンを自分の後継にと思ったくらいだ。そこに恋まで加わったなら…ヴァージルとすればむしろ、笑うしかない。
うーん、とヴァージルが唸っているとオリヴィアが諦めたように小さく笑った。
「ベンジャミンでないのなら誰でも構わないわ」
「殿下。せめて好みを」
「ベンジャミンよ」
「あー…それは好みじゃなくてですね…」
ずしりと、ヴァージルの胃が重くなった。
いっそ知りたくなかった。オリヴィアのベンジャミンへの求婚が始まったのは五年前だったが、オリヴィアはヴァージルの執務室に駆けこんですぐの頃からベンジャミンを気にしていた。つまり、六年。この三兄妹はどうしてこうも様々こじらせるのだろう。
「そうね………似た男はやめてちょうだい」
「そのあたりはご兄妹ですねぇ……」
「不毛なのもそっくりでしょ」
「お心持がそっくりですよ」
「そう。レオ兄様に似るのは嫌じゃないわね」
オリヴィアはふふ、と声を上げて笑った。
ライオネルも似ているからとティンバーレイク公女を拒んだ。オリヴィアもまた似た者は駄目だと言う。恐らく、ライオネルと同じ理由。
兄妹揃って愛すべき不器用揃い。だからこそ、ヴァージルも内心でため息を吐きつつも何度でも覚悟を決めることができるのだ。
「では殿下。うちの愚息なんていかがです?」
「ニールはこの間結婚したばかりよね?」
「そっちじゃないです。長男のほうです」
「………まさかローレンス?」
「まさかまさかのローレンスです」
にこりと笑ったヴァージルに、オリヴィアは何とも微妙な顔をした。
「え、ローレンス、女性と結婚できるの?」
「男が好きだとは聞いておりませんがね」
「結婚できるとして花の精とかじゃないの?むしろ花そのもの?」
「否定はしませんが否定したいですね、父としては」
社交の場で探りを入れられた時は『長男は庭の薔薇と結婚してますので』などと冗談混じりで良く言うが、あながち冗談に見えない生活のせいで周知の事実となってしまっているし、最近はヴァージルもそんな気がしてしまっている。
ドラモンドのタウンハウスの庭の薔薇を愛していたのは元々はローレンスでは無かったのだが。
思い出した面影にじくりと胃に痛みが走った気がしてヴァージルは気付かれないよう小さく首を横に振った。




