31.王妹オリヴィア 2
「良くできた奥方よね」
「お褒めに預かり光栄ですよ」
寝台横の椅子に改めて座り直したオリヴィアが扉をじっと見つめたままで言った。その視線の先、アナベルたちと入れ違いで入って来た女性騎士がひとり、静かに壁際に立った。もうひとりはアナベルの護衛についてくれたのだろう。
外からは先ほどまでとは違う少しテンポの速い舞踏曲の旋律が聞こえてくる。夜会も中盤に差し掛かったようだ。
「……本当に、申し訳ないと思ってるのよ」
「おや、珍しいですね?」
「茶化さないで」
いつになくしおらしい様子で俯いたまま口を開いたオリヴィアに、ヴァージルは茶化したわけでは無く本当に驚いた。
オリヴィアは必要があれば謝るし、必要があれば怒るし、必要があれば笑うし、必要があれば聞くし話す。必要ないと判断すればそれはもう、見事にばっさりと切り捨てる。
オリヴィアにとって今ヴァージルが病床にあることはオリヴィアが謝る必要があることだと、そういうことだ。
いつもと様子の違うオリヴィアにどうしたものかとヴァージルが考えあぐねていると、ぐっと、オリヴィアが顔を上げた。
「宰相……お願いがあるのよ」
元々あまり表情を変えないオリヴィアではあるが、常に見るよりも更に真剣な面持ちにヴァージルの背が自然と伸びた。
「お願いですか?今の私にできることで?」
「ええ。あなた以外に頼めないと思っているわ」
「光栄ですが。さて、何でございましょう?」
「わたくしの夫に相応しい人を選んで頂戴」
「は?」
ぱっかりと、ヴァージルの口が開いた。
「………幻聴ですか?」
「茶化さないでと言ったはずよ」
「いや、申し訳ありません。ついに胃に限界が来て今際の際に落ちて願望で幻聴を聞くようになったかと思いまして…。どのような心境の変わりようで?」
「そろそろわたくしも、腹を括ろうと思ったまでよ」
「その心は?」
「……………ベンジャミンを、諦めるわ」
数瞬の沈黙ののち、ぽつりと、オリヴィアは呟いた。その少し伏せられた視線にヴァージルはふと、ありえないはずのことを思った。
「もしや、本気でいらっしゃった……?」
「悪いかしら」
「いや……いえ……意外ではありますが決して悪くはございませんよ」
「似合わないでしょうね。わたくしに恋など」
「あーあーあー………正直者の私を許していただけますと幸いです」
「許すわ。腹立たしいけれど。わたくしだってこうなるとは思っていなかったわ。最初は本当に、ただ便利そうだと思っただけだったもの」
ずっとヴァージルも不思議ではあったのだ。押しても引いても脅しても盛っても何をしても靡かないベンジャミンにどうしてこれほどまで長く執着するのかと。
オリヴィアならば駄目なら即、見切りをつけて次を見つけるなり自分の手で育てるなりするはずだ。その方がずっと効率がいい。
だが…恋なら仕方ない。恋なら分かる。ただ、オリヴィアと恋が結びつかなかっただけだ。
「しかし、なぜまた突然諦めるなどと」
「ベンジャミンの頭の中はレオ兄様一色よ。フェネリーのくせにメイウェザーだなんて……」
ぴくりと、ヴァージルの眉が動いた。隠しているわけでもないが公言はしていないし貴族名鑑からも読み取れない。あの頃のオリヴィアはまだ八歳であり血のつながりを知る由が無い。しっかりと調べた、ということだろう。
そしてオリヴィアの目から見てもベンジャミンの人生を賭けるものはライオネル、ということだ。
「薬を盛ってでも拘束してでも無理やりに嫁ぐのも良いけれど、それだとわたくしのやりたいことができなくなるのよ」
「あー、すでに盛ったんですよね?」
「盛ったわね。でも拘束はしなかったわ」
「えーっと、あー…、一応、男女どちらが仕込んだにしろ同意無しは犯罪になりますので……」
「問題ないわ。既成事実さえ作ればうやむやになるでしょう」
「問題しか無いんですよ。まぁ良いんですけどね。いや良くないな」
恐ろしいことを淡々と話す妙齢の美女にヴァージルがふるりと大げさに震えあがると、オリヴィアがふと、悲しげに笑った。
「ベンジャミンは薬なんかでどうこうなる人じゃないわ。受け入れる気なんてさらさら無いくせに『もっとなりふり構わなくても大丈夫ですよ』なんて、平気で笑って言う、酷い人よ……」
権力でも、財力でも、人脈でも。オリヴィアが本気でベンジャミンを捕まえようと思えばできただろうに、オリヴィアは決して逃げ場を塞ぐことはしなかった。
薬だって間違いなく合法の物だろうし量も後に残らないようしっかりと調整したはずだ。何なら解毒剤も一緒に置いてあったかもしれない。
そんなオリヴィアだからこそ、あのベンジャミンもいつか諦める日までとやられるがままに受け入れていたのだろうし、そんな妹だからこそ文句を言いつつもライオネルは静観していたのだろう。
王家の兄妹三人、似ているようで似ていないようで、やはりどことなく似ている気がする。こう…方向性は違えど周囲の胃が痛くなりそうで、なのに憎めないところが、特に。
こほん、と咳払いで誤魔化すとヴァージルは話を変えた。
「ところで殿下のやりたいこととは?」
「そうね……陞爵しても伯爵夫人じゃ弱いのよね。ましてやいつかウェリングバローに行くんじゃ無理ね」
「今の生活が?」
「いいえ?今の生活も国のためを考えれば悪くない立ち位置ではあるけれど、このままではできないことがあるのよ」
「と、申しますと?」
「わたくしが継ぐわ、宰相。あなたの後を」
「………はい?」
「わたくしが宰相になるわ。レオ兄さまがヴィンセント叔父様の引退後にウェリングバローに入って象徴としてこの国を守るというのなら、わたくしが内政を守ります。あなたはわたくしでは、不足だと思うかしら?」
「なんと!?」
ヴァージルはまたもぱっかりと、口を開いて固まった。




