3.王弟の謝罪
結論を言えば、最悪にはならなかったが思っていたよりは悪かった。
困った顔で笑い「すまん、抑えきれなかった」と頭を下げたライオネルにヴァージルも「いやぁ、全員五体満足で良かったです」と笑うしかなかった。
結局、悪いことは全て表向きにはライオネルが被る。
保護対象級の銀大蛇や危険区域が絡むため公にはされないがそれでも関係者には話をせねばならず、陛下という特異点を読み切れず制御できなかったという無理難題の結果により引き起こされたほぼ災害のような事態も全てが王弟殿下の失敗として処理される。もう十年以上、それで通してきた。
それが分かっていてライオネルを責める言葉をヴァージルは持たない。むしろ、良くぞこの程度で…公表せずに済む範囲で抑えてくれたと称賛したいくらいだ。本人が喜ばないのでやらないが。
「あー……胃が痛い……」
ヴァージルが胃を押さえつつため息を吐くと、対面で茶を飲んでいたライオネルが形の良い眉を下げた。
「ごめんな、宰相。隠すことに集中するんじゃなくもっと兄上の行動も視野に入れて最悪を考えておくべきだった」
「いやいやいや、そもそもあれだけこそこそ動いたんです。みんなして。何でばれてるんだかそっちの方が問題ですよ」
「兄上だからなぁ……」
「そこなんですよ。だって妃殿下は気付かなかったんですよ?あの妃殿下がですよ?なのに陛下は気付くって……どれだけ高性能な感知機能を持ってるんですか、あの人」
「いやもう、兄上だからなぁとしかだなぁ……」
全てが国王だからで済んでしまう国王ウィルフレッドという人間が国王をやれているのは間違いなく今ヴァージルの目の前で困った顔で茶をすする国一番の美丈夫と平衡感覚に優れた王妃がいるからだろう。
そもそもこのふたりのためでなければウィルフレッドが国王を続けること自体がありえないのでおかしな話なのだが、国王は国にも王位にもさっぱりと興味が無いのだ。国や王位だけではなく、様々なものに対して驚くほど興味が無い。
「まぁただ……」
カップをソーサーに音もなく戻すと、ライオネルは視線を落とし口元に笑みを浮かべた。
「兄上がフレッドのために動いた。俺はそれがどうしようもなく嬉しいよ」
「それ、ダレルも似たようなこと言ってましたよ」
「義姉上もたぶん言っただろうな」
「ほんと、誰も彼もが甘いですよねぇ」
もう三十も半ばに差し掛かったいい大人に対して喜ぶところだろうかそれは。そう思いつつもヴァージルも国王がフレデリック王子を追って動いたと聞いた時、陛下が王子殿下を気にしている!と内心で驚きつつ喜んだので、きっともう駄目なのだ。色々と。
「言っとくがお前も甘いぞ、宰相」
「私のは甘いんじゃなくて区別してるんですよ」
「その区別の仕方が甘いんだよ」
「殿下に言われたくないですからね」
「間違いないな!」
からからと大きな口を開けて楽しそうに笑うライオネルも今年でもう三十一歳になる。年々美貌に磨きがかかり魅力が凄みを帯びるばかりでさっぱり劣化しないことがヴァージルには羨ましいやら妬ましいやらだ。
「その甘さを女性にも正しく発揮して遊び相手じゃなく本命をさっさと作ってくださいね」
「今は紫眼も少なくないし別に結婚しなくても良いだろ。この濃紫は遺伝しねえんだし」
「そういう問題じゃないんですよ。あなたが幸せにならないと終われないんですよ、色々と」
じっと濃紫の瞳を見つめてヴァージルが言えば、ライオネルは一瞬だけ目を瞠り、それから苦笑した。
「俺は今でももう十分に幸せだからもう気にしなくて良いのにな」
「あなたのことだから幸せだろうことは分かりますが足りないんですよ。おっさんはこのままじゃ安心して逝けません」
「宰相はあと四十年は生きるだろうから俺は安心してるけどな」
「相変わらず小憎らしいったら無いですね」
半目になったヴァージルににやりと笑うとライオネルは茶の最後のひと口を飲み立ち上がった。
「じゃ、俺は行く。忙しいのに邪魔して悪かったな」
「あ、逃げる!」
「フレッドの立太子が終わったらな!」
「絶対ですよ!?」
くるりと背を向けて「へーへー、分かってるよ」と後ろ手に手を振るライオネルを見送り、ぱたりと閉じた扉に「絶対ですよー!!」とヴァージルが再度声を張ったのがつい三日前の話だ。
十一日後には国王生誕記念夜会が控えており、約一ヶ月後には建国記念祭が差し迫っている。合間にも当然通常の政務が詰まっており、今年は少々早くから暑くなったことで各地から農作物の異常がちらほらと報告されている。
差し迫った危機とまでは言えないが用心せねばならず、第一王子フレデリックと王弟ライオネルの妃選びも進行中。
隣国、通称宝石の国の第三王子ベルトルトの婚約者となったティンバーレイク公女の卒業も控えており、実際の嫁入りは来年のベルトルトの卒業を待ってからだが夏休みの間にベルトルトと共に隣国へ挨拶へ行くことになっておりそれの随行の最終確認も必要だ。
ある程度の仕事は得意な者に割り振ってはいるが結局最終確認はヴァージルが行うし、ヴァージル以外の者から国王が話を聞こうとしないのでヴァージルが行くしかない。
王妃ならヴァージル以外からも話を聞いてくれるが、政務を行っているのはほぼ王妃とはいえ重要なところは国王に玉璽を押してもらわねばならない。
余計なところにはひょいひょい押すくせに大事なところにはヴァージルか王妃、ライオネルが行かねば押してくれないのだ。
いっそ玉璽も王妃に渡してくれればよいのにと思わないでもないが、本当に国王が何もしなくなるから却下だと王妃に拒絶されて今に至る。
もうこれはヴァージルが三人くらいいないとどうしようもないな~、などと薄ら笑いを浮かべながら胃薬を主食に生ける屍の如くふらふらと各所を練り歩き、会う者会う者から「大丈夫…じゃないですね…」と気の毒そうに眉を下げられる日々を送って来たわけだ、が。
そんな日々にもたまには良い知らせというものもあるもので。そうして良い知らせが常に良い結果を連れてくるとは限らないということもまた真理であるとヴァージルが知ったのはこの日の午後、ちょうど茶の時間のことだった。




