29.イーグルトン公爵令嬢グローリア 3
もしもベンジャミンがあの頃ライオネルの側にいてくれたなら。考えても仕方の無いことだと分かっていても考えてしまう。
それと同じくらい、もしもあの時グローリアがライオネルの前に現れなかったらと、考えたくもないのに考えてしまう。
どちらにしろ、間違いなく今の王国は無かっただろう。良い意味でも、悪い意味でも。
隣に並んだベンジャミンに安心したのかグローリアがヴァージルへと向き直った。首を傾げたグローリアにヴァージルは微笑みで返すと、ちらりとベンジャミンを見て、またグローリアに視線を戻した。
「小さな公女がどんな意図であれを言ったのかは今となっては分からないですし、あなたに何かを背負わせる気は全く無いんですよ。でもね、あの時のあの言葉と笑顔は、間違いなくあの日謁見の間にいた崩れそうな大人たちにもう一度頑張る意義を与えてくれました」
「意義、ですの?」
「ええ、意義です。生きる意義。生かす意義。自分たちは絶対に次へつながらなければいけない。そういう意義…………未来への、希望です」
「わたくしが、希望」
「ええ」
大げさではなく、グローリア・イーグルトン公女はあの日この国を救ったとヴァージルは思っている。
ライオネルが笑わない国。セシリアが未来に希望を抱けない国。ふたりを苦しめるのならばそれはウィルフレッドにとっては不要なものであり、守る価値が無いどころか邪魔なものだ。すぐに叩き潰すことはしなかったかもしれないが、緩やかに亡びには向かったかもしれない。
グローリアがはっきりとした希望としてあの日現れてくれたことでこの国は取り返しのつかないほど荒れることなく再生を始めた…そう思っている。
そしてその希望こそヴァージルや周囲がグローリアを望んでしまう理由であり、恐らくライオネルがグローリアを拒む理由だ。
上手く飲みこめないように何度も瞬きを繰り返すグローリアに、ヴァージルは「それにですねー?」とにっこりと笑った。あの光景を思い出すだけでも今でもついつい口元が緩む。
「そのあと公女が大っっっっ変、可愛らしいおまじないをライオネル殿下にほどこしましてね。その場にいたおっさんもおばちゃんも皆してメロメロです」
「え……わたくしはいったい何を……?」
「それはですね、いつかライオネル殿下に直接聞いてみてください。きっと話してくれると思いますよ、その内、きっと――――詳しいところまで話そうって思えた時に」
「あ………」
グローリアが目を見開いた。特に十一年前の詳細に関わることではないのでここでヴァージルが話しても構わない。だが、ヴァージルはライオネルから直接聞いてほしいと思う。
ベンジャミンを見上げると、微笑んだままひとつ、肯定するようにゆっくりと瞬きをした。
「まぁほら。あの人あんな自信満々に見えて大事なところで自分に自信が無いんでね。大切なみんなの希望を壊しちゃいけないー…とか思ってそうだなとは思いますね」
「わたくし、簡単に壊れるほどやわではございませんことよ」
「ええ、ええ、知ってますよ。公女は見た目に反して生命力に満ち溢れてますからね」
「……わたくし褒められてますの?貶されてますの?」
「褒めてますよ!!誰よりも強く光り輝いて人と国を照らすイーグルトンの『栄えある光』グローリア公女!!……ですからね」
グローリア。栄えある光。
その名の示す通り、グローリアは間違いなく光だ。真っ暗で前も後ろも分からない心折れそうな闇夜を切り裂くように差し込む朝の光のように鮮烈で、そして希望に満ちた、光。
「閣下は……わたくしはわたくしの名の古き意味の通りに照らせると思われますか?」
「思いますよ。あなたならできると思います。というか、あなたじゃなきゃ照らせないんじゃないかな、ライオネル殿下は」
こればかりはベンジャミンにも無理だ。ベンジャミンではライオネルの支えになることはできても目を開かせることはできない。背中を押すことはできても引きずり出すことはできない。あとひと押し、グローリアならきっとできる。
「そう、ですかしら」
「ええ。なので公女には正直、頑張っていただきたいんですよねぇ」
「わたくしが殿下をお慕いしている前提ですのね?」
「僕がそう願ってるっていうのが正しいですかね」
「わたくし、負け戦はしない主義ですのよ」
グローリアが小さく息を吐きつつふるりと首を横に振った。
もしやグローリアにはその気が無いのだろうかとヴァージルは少々不安になった。これはやはり説得が必要だろうか。
ちらりとベンジャミンを見上げればベンジャミンはそれはそれは良い顔で微笑んでいる。おや、と思って視線をグローリアに戻すと、グローリアはそれはそれは綺麗ににっこりと笑っていた。
「あー、なるほどねー!負け戦はしないんですね!はっはー!それはそれは心強いですね!!」
グローリアは負け戦はしない。つまり、負ける気が無い。ヴァージルは自分が見誤ったことに気づき、ぺちりと額を叩いて笑った。
「ええ、その通りですわ。ですけれど、まだまだ準備が足りないのです」
「なるほどなるほど。この老骨、最期のひと花を咲かせるのはやぶさかではありませんよ?」
「まぁ老骨だなんて。閣下にはこれからもずっとお元気でいていただきたいのですわ……血のつながらない可愛い孫などご覧になりたくはございませんこと?」
にっこりと、とても良い笑顔でグローリアが首を傾げた。
その気が無いどころかグローリアは確実に勝ちに行くつもりだ。頼もしい。
「あっはっはー!いいですね!!どう生まれても世紀の美少女か美少年!!!ぜひこの腕に抱きたいなー!」
「そうでございましょう?」
こういうところはセシリアに通ずるものがあるかもしれない。いや、強い女性とは得てしてこうなるものなのだろうか。妻もそうだが、この年になってもヴァージルはさっぱりと敵う気がしない。
ひとしきり声を上げて笑うと、ヴァージルはほんの少しだけ真面目な顔になってグローリアをじっと見つめた。
「公女」
「はい、閣下」
「よろしくお願いします。僕はね、ライオネル殿下の幸せもちゃんと見てから死にたいんですよ」
「わたくしはわたくしにできることをするだけですわ」
ふわりと微笑んだグローリアの薄紫の瞳に万感の思いがこみ上げる。
やっとダレルとハリエットが踏み出した。これからは様々なことが動くかもしれない。ほんの少しだけ諦めかけていた可愛い子供たちの幸せを、この目で見てから死ねるかもしれない。
「ええ、分かってますよ。僕もできることは何でも協力します」
「感謝いたしますわ閣下。ただ……」
「ただ?」
「わたくしが成人するまで、もう少しだけお待ちくださいましね?」
「あーっと?イーグルトン公女?」
「ふふふ、期待しておりますわ閣下」
グローリアの笑顔が変わった。相変わらず眩しいほどに美しい笑顔なのだが、瞳の奥に見えるのは純粋無垢な少女ではない。
グローリアは狩る側の人間だと、ヴァージルは確信した。
「うん、あー、うん。ま、いっか!」
へらりと笑ったヴァージルに、ベンジャミンがなぜか勝ち誇ったように「よろしくお願いしますね」と微笑んだ。
ベンジャミンとグローリアがその気の時点でヴァージルの協力など要らない気もするのだが、そこは確実性を高めるためと思うことにした。あとは後始末か。
あはははは、うふふふふ、とヴァージルとグローリアの高笑いが部屋中に響いたところで侍医が例の薬湯を持って診察に来たためその日の面会時間は終了となった。
きっと王国の未来は明るい。きっとだ。




