28.イーグルトン公爵令嬢グローリア 2
ほんの少しの沈黙の後、グローリアは視線を泳がせると困ったように首を傾げた。
「え……なぜそんな……?」
「いえ、分かりませんね。ごく普通に挨拶をしてただけなんですけどね。とっても可愛らしく自己紹介をして大変上手にカーテシーをしてじっと玉座の両陛下と横に控えるライオネル殿下を見つめたあとに、公女はそう言ったんですよ」
「はぁ……『だいじょうぶ』、と………?」
その言葉の重さをグローリアは分からないだろう。あの時のヴァージルたちが感じた激しい感情を、グローリアはきっと理解できない。けれど、それで良い。それこそがヴァージルたちの望む先なのだから。
不思議そうに「大丈夫…って何ですの?」と口元に手をあてて首を傾げるグローリアに、ヴァージルは口角を上げてひとつ、頷いた。
「あの頃のお三方はね…いえ、お三方だけではなく周囲もですが、ともかく全然大丈夫じゃなかったんですよ。身も心も色々な傷が全然癒えてなくて。王太子だったウィルフレッド陛下は先王陛下の代理に任命されてすぐで、セシリア殿下も公表前ではありましたがちょうど二度目の妊娠をされたところで不安定で。ライオネル殿下は……あれ、どこまで聞いてます?」
「反乱の真の理由、だけですわ。その……王弟殿下に王位を……と……」
言いづらそうに視線を泳がせたグローリアを見てヴァージルはあんぐりと口を開けた。ちらりとベンジャミンを見ると『話してましたよ』とばかりに小さく頷いた。
「えー!?!?あの人、それ話しました!?」
「詳しくではありませんわ。本当に触りだけだと思いますけれど」
「いや、それでも話したのか……うわぁ………えーわーきゃー!!!」
「閣下?」
「あ、すいません、つい興奮して」
思わず奇声を上げてしまいヴァージルはへらりと笑って頭を掻いた。後方から突き刺さるアナベルの視線が少々痛い。
「そうか………ライオネル殿下はついに口にできるようになったんですね……」
「いえ……その、先日のウィルミントンの件の際に西の事情についてお話しいただくときに少しですのよ」
「うん、それがすごいことなんですよ本当に……」
セシリアから軽く聞いてはいたがまさかそんなことまで話してあるとはヴァージルは思ってもみなかった。しかもベンジャミンがさも当たり前のような顔をしている。なるほどベンジャミンがグローリアを拒絶しないはずだ。大切に、するはずだ。
ヴァージルはひとつ咳払いをすると、万感の思いを込めて頷いた。
「そうですね…続きをお話ししましょう。ライオネル殿下は…触りだけだとしても理由を聞いたならお分かりですね?殿下はああ見えて根がとんでもなく優しい真面目な方ですからね。とても……とても傷ついていて………でもそれを見せまいと気丈に振舞ってはいたんですけどまぁ本当に、いつ壊れるか分からないような……周りから見るともう本当に危うい状態で」
へらりと、ヴァージルが眉を下げて笑うとグローリアが痛ましいものを見るように表情を崩し「殿下……」と目を閉じてぎゅっと胸の前で両手を握った。
そんなグローリアを後ろから見守るベンジャミンの視線が優しい。ヴァージルは何となく泣きそうになり、ぱちぱちと数度瞬くと軽く頭を振ってにんまりと笑った。
「でね、あの日もあの無駄に綺麗な顔で無駄ににこにこ笑ってたんですけどね?」
「無駄って」
「あっははー、だって綺麗すぎるでしょ?ライオネル殿下。今も色男ですけど昔も違う方向にとんでもなかったんです。まぁともかく。ライオネル殿下、『だいじょうぶ』って公女が言ったとたんに固まりましてね。そりゃもう見事に、石みたいにびしっ!と」
「びしっと……ですの?」
「はいそうです。両陛下も周りで見ていた者たちもランドルフ殿も驚きすぎてぎょっとして一緒に固まっちゃうくらいにびし!っと」
ヴァージルがぴし!っと背を伸ばして両腕をぴしりと脇に付けて上半身を直立させると、グローリアは困惑したように眉を下げた。
「なぜそんなことに………?」
「あはは~!悪いことでは無いのですよ?ライオネル殿下、石の状態から復活してすぐにつかつかと公女の元へ足早に近づきましてね、こうがばっと、抱き上げまして」
「は……はぁ」
「公女を縦抱きに抱っこして顔を合わせて仰ったんですよ。『だいじょうぶ、だと思うか?』って」
幼子を抱き上げるように両手を上げたヴァージルを見て、グローリアは少し前のめりになり真剣な顔になった。
「わたくしは、なんと?」
「『だいじょうぶです。きっとよ!』と」
「何が何だか……」
グローリアは脱力したように肩の力を抜き困ったようにベンジャミンを見上げて首を傾げた。そんなグローリアに微笑み返すベンジャミンの視線はやはり優しい。あんな表情ヴァージルはされたことがない。というより初めて見た。
何とも言えない気持ちでベンジャミンを見れば『続きをどうぞ』と視線と頷きで促された。
「そうですね。見ていた者も誰も分かってなかったと思いますよ。ですがライオネル殿下と公女の間では会話が成立してたみたいで」
「どうやって……?」
「さあ?でもその証拠にライオネル殿下は『そうか、大丈夫か!』って、もうほんと、一年ぶりくらいにちゃんと笑ったんですよ。にか!って、あの人らしい顔で」
「笑って……?」
「そうですそうです。それでね、あなたも『うん!』って頷いてそれはそれは可愛らしく笑いましてね。見てた全員胸きゅんで倒れるかと」
そう、笑ったのだ。
ただそれだけのことがヴァージルたちにとってどれだけ嬉しかったことか。
セシリアの子が流れたのを始まりにそれから約一年、王国は表向きには小さな反乱とされたが実際は深い部分で揺れに揺れ、ライオネルは完全に笑顔を失っていた。
あの日、笑い合うライオネルとグローリアの眩しさとその笑顔の尊さに、見ていた者たちがどれほど心励まされ安堵したのか…。筆舌に尽くしがたいあの感情は、しばらくの間『だいじょうぶ』という言葉を聞いただけでヴァージルが涙ぐむほどだった。今でも思い出せば、ついうっかり目元が潤みそうになる。
「大げさでは……?」
「いや、本当ですよ。本当に…あの頃はみんな限界だったんです。何が正しいのか、何が悪かったのか、これからどうすれば良いのか……本当にどこにも答えがなくて、誰もわからなくて。いつ誰が倒れても、いつ国が瓦解してもおかしくなかった―――そんな時だったんですよ。これからの未来を担うだろう小さな女の子が『だいじょうぶ』って、笑ってくれたのは」
「それは…」
驚いたように、けれどどこか不安そうにベンジャミンを見上げたグローリアにベンジャミンはそっと一歩前に出た。投げかけられたベンジャミンの視線にヴァージルも『分かってるよ』と視線だけで答えた。




