27.イーグルトン公爵令嬢グローリア 1
それから二日間、ヴァージルは医者とアナベル以外は面会謝絶となった。
胃の状態が酷く悪化したわけでは無いのだが、誰かと会うたびに胃を悪化させられてはたまらないとアルジャーノンに止められセシリアが承認…つまりウィルフレッドにも面会謝絶が許可されてしまった。
あれほどの負担を感じる相手などあとひとりくらいしか思いつかないのだが……そう言ってみてもセシリアに睨まれライオネルに鼻で笑われて終わるのでヴァージルは大人しく受け入れた。アナベルがそばにいるならヴァージルからすれば正直、あとはどうでも良い。二日ぐらいなら。
そうして二日後。
何度も繰り返すようだが、見舞いにも嬉しい見舞いと嬉しくない見舞いがあり、面会謝絶明けのこの日はヴァージルにとっては待ち人来る、という心境だった。
「これはこれは!ようこそ、まさか来てくださるとは」
「閣下にご挨拶申し上げますわ。突然の訪問、お許しくださいませ」
いっそ本人が光り輝いているのではと思うほど眩い微笑みと共にヴァージルの部屋に入ってきたのは淡く緩やかに流れる白金の髪にライラックの瞳の絶世の美少女…イーグルトン公女グローリアだ。
エスコート役はベンジャミン。どうもセシリアの言っていたことは本当のようで、あまりにも自然にグローリアの手を取るベンジャミンにヴァージルは一瞬、半目になった。
グローリアはアナベルにも「お邪魔いたしますわ」と微笑むと、ベンジャミンに導かれて寝台横の椅子に座る。当たり前のように視線を合わせて微笑み合う様子を見るに、グローリアがベンジャミンにかなり気を許しているのは間違いないようだ。
これは調子が狂うなとヴァージルが笑顔に隠して内心唸っていると、後ろへ下がろうとするベンジャミンをはっとしたように見上げたグローリアに、ベンジャミンは「後ろにいますよ」と駄々っ子を見るように微笑み眉を下げた。
――――え、もしかしてベンジャミン君で決定?
――――ご冗談を。まだまだこれからですよ。
グローリアが座る椅子のすぐ斜め後ろに控えたベンジャミンと、視線と小さな表情の変化だけで会話をする。
ヴァージルから見るとライオネルに勝算があるのか怪しく思えるのだが、ベンジャミンがまだだと言い切るのならまだいけるのだろう。たぶん。
グローリアはヴァージルの方へ向き直ると小さく頭を下げた。
「本来でしたら父が伺う予定でしたが急に仕事が入ったようでして……わたくしが代理で参りましたの。せっかくお時間をいただきましたのに申し訳ございません」
「そうでしたか、ありがとうございます。むしろランドルフ殿は気を使ってくれたのかもしれませんね。我々にとって公女は希望ですから」
「わたくしが希望、でございますか?」
「ええ、そうですよ」
不思議そうに瞳を瞬かせたグローリアにヴァージルはにこりと、懐かしいような切ないような気持ちで微笑んだ。
「私は今でも覚えておりますよ」
「え?」
「公女がこの王宮に初めて来た日です。公女はまだ六歳でしたが……覚えていませんかね?」
「覚えておりますわ。全てではございませんけれど……初めて王族の皆様にお会いした日でございますわよね?」
グローリアは頷き、そして少し考えるように小首を傾げた。
六歳のイーグルトン公女はあの日、当時はまだ小公爵であり第一騎士団の隊長格だったランドルフに連れられて謁見の間へやって来た。大貴族の子女は茶会デビュー前に一度非公式で王族と面通しをすることが多い。
王宮内はまだまだ落ち着かない状態ではあったが、あの日の謁見は王太子妃だったセシリアの希望で設定された、ということになっている。
「ええ、そうです。私も実は当時王太子だったウィルフレッド陛下の横に控えてたんですがね。その時、あなたが何と言ったか覚えていますか?」
「何と言ったか、で、ございますか?」
「そうですそうです。ウィルフレッド陛下とセシリア殿下とライオネル殿下に。特に、ライオネル殿下にですね」
「さっぱり、覚えておりませんわ。お会いしたことは覚えておりますけれど……」
「あはは、そうですかそうですか。それじゃあ仕方ないですね。何であんなにライオネル殿下が頑ななのか、分かんないですよねぇ」
ヴァージルがほんの少し意地の悪い笑顔を浮かべるとグローリアが目を丸くして、それから困惑したように眉を下げた。
「え……わたくしはいったい何を言ってしまいましたの?」
「あはははは、世の中知らなくて良いことも多いんですよー」
「閣下!!揶揄わないでくださいませ!!…あ!」
声を張り前のめりになったグローリアは何かに気づいたようにぴたりと止まると、しおしおとしぼむように椅子に戻り目元をほんのりと赤く染めて「申し訳ございません…」と小さな声で呟いた。
「あっはは!公女でもそのように取り乱すことがあるんですね!ふふ、ふふふっ……ふぅ…。あー………知りたいですか?」
「もちろんですわ、教えてくださいまし。何か言ったのだと知った以上、知らねば気になって眠ることもできませんわ」
「そうですね、気になりますよね」
「閣下」
咎めるように少しだけ眉間にしわを寄せたグローリアにヴァージルはにっと笑った。
本当に覚えていないようだ。あの場にいたグローリア以外の人間にとっては永遠に忘れられない言葉だっただろうに。ライオネルにとっては、きっとそれからの未来を決めたかもしれないひと言だっただろうに。
瞬きをひとつ、思い出すだけでこみ上げてくる感情と熱をごくりと飲み込むと、ヴァージルは目を開けてグローリアの王族の色を帯びた瞳をじっと見つめた。
「『だいじょうぶよ』」
「え?」
「『だいじょうぶよ、きっとだいじょうぶ』。公女はそう言いましたよ」
中央棟にある謁見の間のひとつ。王宮にいくつかある謁見の間の中で、小さいが最も美しいとされるその部屋に差し込む春の陽光が玉座の後ろ、高い位置にあるステンドグラスを通り、まるで女神の使いの如く世にも美しい少女の淡い金の髪を更に輝かせていた。
暗く沈んだ王宮の、最も澱んでいたかもしれない謁見の間。その暗さを引き裂くように…輝きで満たすように。あの日、幼かった目の前の少女は視線を真っ直ぐ玉座へと向けて『だいじょうぶ』と、言ったのだ。




