26.先王チャールズ 6
ハリエットが今ここにいるということはルイザは先王についているのだろう。勝手なことをさせないためにも良い人選だ。
ハリエットもルイザもまた、十一年前を知っている。いや、ふたりだけでなく今セシリアの側にいる侍女たちは、最近入った年若い侍女以外皆、十一年前を共に戦い抜いた者たちだ。
「まぁ……そうですね、ちょっとばかしきつかったですね、前情報なしは」
「ごめんなさい………」
「いや、良いんですよ。どうせあの人のことだから適当なこと言って王都どころか王宮近くまで早々に入り込んでたんでしょう?」
「良く分かるわね」
「ウィルフレッド陛下のお父上ですよ」
「どうしましょう、否定できないわ」
「ただの事実ですからねぇ……」
ヴァージルがへらりと笑えば、珍しく感情を露わにしていたセシリアが目尻を拭って照れたように笑った。
「ふふ、駄目ね。もう十一年も経つのに……不意打ちをされるといまだに冷静さを欠いてしまうわね」
「いやいや。良くぞご自身で会わずに私につないでくださいました。万が一王妃殿下が直接お話などされていたらうちの妻のこぶしが唸るところでしたよ」
「あらまぁ…ふふふ」
冗談だとでも思っているのだろうか。セシリアはハンカチで濡れた頬を拭うとアナベルを見て楽しそうに笑った。
とても優しい微笑みを返したその美しい翡翠の瞳の女性は今も絶対本気でやるんですよ……とはヴァージルは言わなかった。
当時の社交界にいた者たちは真実を知っているが、今のアナベルしか知らない若い世代はアナベルの武勇伝は誇張されたものだと思っている者も少なくない。
特に先王陛下とその元婚約者に関するものは美談とされたが、その後が非常に後味の悪いものとなったため規制はされていないが自ずと口をつぐむ者も多くなった。
「それでも宰相に余計な負担を掛けたのは事実だわ」
「王妃殿下やライオネル殿下が直接対応なぞしたら私の胃が破壊されてましたよ」
「それは…そうかもしれないけど……」
「グレアムでは荷が重いですし、ダレルには陛下を抑えてもらわなければいけません。ベンジャミンはライオネル殿下から全てを聞いた可能性はありますが十一年前を直接知りません。直接知っていれば…まぁ、あー………こほんっ」
十一年前にベンジャミンがライオネルの側にいればまた違う結末だったかもしれない。うっかりそう思ったがヴァージルは咳払いで誤魔化した。まったく誤魔化せていないだろうが。
「そうね……ふふ、人の巡りというのは難しいわね」
「ええ。ですから今回も、王妃殿下は何も悪くありませんよ。我々おっさんどもが何とかすべきことです」
ヴァージルの手を握りしめたままのセシリアの手をぽんぽんと叩いてやると、セシリアはやっと手を掴んでいることに気付いたようでまた照れ笑いをしてそっと離した。
「ごめんなさいね、取り乱して。何かあれば私にも報告が入るようにしていたんだけど…宰相の顔が土気色になって医者を求めてるって聞いて………」
「土気色」
「ええ、土気色」
ちらりとアナベルを見れば、アナベルは口元を押さえておかしそうに頷いた。
後ろで薬湯の片付けや頓服薬の準備をしていたアルジャーノンも「命に関わりますよ、いい加減」と呆れたように笑った。
頓服薬を処方され、細かい固形物に戻っていた食事がまたも液体まで戻されることになり、ついでに先ほどのどろどろの何かがしばらくの間は一日一回処方されることが決まった。
「えー…あれ、毎日なのかぁ…」
「一日三回舌がしびれるほど苦いお薬をお飲みいただくか、朝晩にそれなりに飲める薬湯を飲んで一日一回、あの濃い薬湯をお飲みいただくか…お選びください」
「一回で済ませたいかな!」
「ではそのように」
アルジャーノンはそう言ってにっこりと笑うと「今日は絶食です」と朗らかに言って去って行った。椅子を運んだだけで今日は黙ってアルジャーノンに従っていた医務官が、部屋を出る際にちらりとヴァージルを見て何とも複雑そうな、気の毒そうな顔をしたことが妙に気になった。
「じゃ、宰相。私も行くわ。ウィルに色々ばれる前に何とかしないとね」
「たぶんもうばれてますんで暴走しないようにだけよろしくお願いします。ライオネル殿下も気づいてると思いますがちょっと関わらせたくないので」
「私たちにさえ接触しなければウィルも命ばかりは取らないわよ。私も直接会ってないしレオにも会わせないから…案内はルイザだしルイザならお義父様を気絶させてでも会わせないから大丈夫よ」
「さすが元第一騎士団の女騎士は王族にも容赦有りませんね!」
「ルイザもお義父様には思うところしかないものね」
おどけたように肩をすくめたセシリアにヴァージルは苦笑した。
「ルイザがあの方を案内してきたときには本当に肝が冷えましたよ。ルイザこそ切り捨てかねないんですから。物理で」
「さすがにもうしないわよ、たぶん」
そう言って笑いながら「またね」と手を振り部屋を出て行ったセシリアを見送りヴァージルがふぅと息を吐くと、アナベルがすっと寝台へ座った。
「ほら、横になってくださいな」
「え、何で?」
「横になって目を瞑って」
「ええ?眠くないよ?」
「良いですから」
微笑みを浮かべてにじり寄るアナベルに押されてヴァージルはぼふりと、寝台へ横になった。その衝撃で思わず瞑った目の上にアナベルの小さな手が乗せられる。
「眠ってください」
「え~…僕眠れるかな、ちょっと興奮状態って言うかなんて言うか」
「大丈夫、眠れますよ」
「そう?」
「ええ」
先王に対する苛々といいセシリアに対する驚きといい、眠れる要素が何もないのに横になってみると自然と意識がぼんやりとしてくるから不思議だ。アナベルの小さな手の冷たさが気持ち良い。
「アナ」
「はい」
「やっぱり一発殴れば良かったかな」
「ふふふ……では夢の中でぜひ」
「え~…夢の中くらいあんなのの顔、見たくないよー」
「では素敵な夢になりますように」
ヴァージルの頬に温かくて柔らかな何かが触れた。幸せな何かだ。誘われるように眠りに落ちる寸前で、ヴァージルの耳は「六発は殴ってやりたいわ…」という愛しい妻の囁きを聞いた気がした。




